第17話:エピローグ


 いつものお昼休み。


 僕は彼女と一緒に屋上のベンチに座って、冬の始まりを感じさせる少し冷たい風を浴びながら彼女特製のお弁当を食べていた。


「美味しい?」と聞かれれば、嘘偽りなく心の底から「美味しい」と伝える。すると、彼女は世界で一番幸せみたいな笑顔を浮かべてくれる。


 風で艶やかな黒髪がさらりと靡く。手で押さえた髪の隙間から美しい銀色のピアスが一瞬光った。

 笑顔で細められる瞳は角度によって僅かに色合いを変える紫色で、その眼差しは優しい。


 微笑む唇の形は綺麗で、神が丹精込めて作ったと思われる顔立ちは人形のように整っていて――整い過ぎているが故に真顔の状態だとある種の恐ろしさもあるが、彼女の持つ柔らかな雰囲気が親しみやすさを与えてくれていた。


 街中を歩けば10人が10人とも振り返る美貌の彼女が自分の彼女だなんて未だに信じられない。これは夢なのかと何度も思ったが、現実だった。


 好きだった。

 幸せだった。

 いつまでもこの夢のような現実が続けばいいと思っていた。

 ましてや、自分から終わらせるつもりなんて全く、これっぽっちもなかった。


 だから、この夢が終わるとしたら――


「先輩、ここにいたんですか。この間の決着、今日こそ付けましょう」

「お、おい、唯! 流石に逢引の途中に割って入るのはまずいんじゃないか……?」

「公共の場でいちゃついている先輩たちが悪いんです。私たちは偶々ここへお昼を食べに来ただけです。そうですよね? 兄さん」

「いや、それは――痛っ! 分かった! 分かったから足を踏むな!」


 ――騒々しい兄妹が割って入って来たときだろう。


 聖西学園の制服を身に纏い、燃えるような赤髪を靡かせた少女――十六夜唯。

 先日の事件で僕の口先三寸に騙されたことがよほど気に食わなかったのか、あれ以来、何かと理由をつけては僕に勝負を挑み、契約の内容を更新させようと画策してくる困ったお嬢さんだ。

 もちろん、契約を更新できるはずもなく、僕は毎回あれやこれやと理由をつけて逃げているのだが……。

 兄である十六夜蓮は何とか妹を止めようと努力はしてくれたようだが、ずるずると腕を引っ張られているところを見るに、完全に尻に敷かれているようだ。


 僕は急に胃が重くなったのを感じた。

 恐る恐る、隣を見る。


「……あ、赤い子だ」


 そこには、冷たい笑みを浮かべる僕の自慢の恋人がいた。

 紫色の神秘的な瞳はハイライトが消えかけていて、ぶっちゃけ怖い。

 滅茶苦茶、こわい。


「むっ、赤い子とはなんですか。私の短い名前も覚える気がないとは、相変わらず失礼な方ですね」

「失礼さで君に指摘される謂れはないかな。それから、今の発言は結構よ。お互いに傷つけ合わないっていう契約のこと、もう忘れたのかな?」

「ぐっ! そ、それで言えば私の方も貴女の態度に傷つけられましたが⁉」


 会って早々、口喧嘩を始める2人。

 僕が無理やり結ばせた契約を盾にとってあれやこれやとギリギリのラインを見極めながら罵り合っている。


 どうしてこんなことになってしまったのか……。

 急に泣きたくなってきたとき、ふいに十六夜蓮と目が合った。


「「……」」


 お互いの疲れた目線が交差する。


(なんか、その……すまん)

(いや、こちらこそ……ごめん)

(苦労を掛けるな……)

(ハハハ……それはお互い様でしょ?)


 お互いに無言で頷きあう。

 そこには、奇妙な男の連帯感があった。


「璃奈。そこら辺にしておいたらどう? まだ途中だったし、一緒にお昼を食べようよ?」

「――うん! もちろん!」


 十六夜唯に向けていた能面のような表情からコロッと一転。

 幸せな少女に戻った天羽璃奈は、何事もなかったかのような表情で僕に「あーん」を再開し始めた。


 当然、眼中にもないといった対応をされた少女は面白くない。


「こ、このッ……! 勝負から逃げるつもりですか⁉」

「はいはい。唯もその辺にしておこうな? ほら、一緒に食べようぜ。今日のハンバーグは結構自信作なんだ」


 蓮が絶妙なタイミングでフォローに入る。

 さすが兄、分かっている。


「……仕方ありませんね。今日のところは見逃しておいてあげましょう」


 十六夜唯は悔しそうにしながらも、お弁当の誘惑には勝てなかったらしい。

 ぶつぶつ文句を言いながらも、兄の隣に座り込んだ。

 そして、唯ちゃんと蓮は僕たちの隣に腰かけた。


 ……いや、なんで?


「優斗君、どうしたの? 食べないの? も、もしかして、味が気に食わなかった……?」

「い、いや! このアスパラの肉巻き最高だよ! ただ、ちょっと、その、お隣さんの目が気になって……」


 箸を差し出したまま泣きそうな目になる璃奈に慌ててフォローを入れつつ、堂々と隣に座ってお弁当を広げ始めた兄妹に視線を向ける。

 璃奈の全てを受け入れる決意をした僕だが、流石に人様の前で――それも、原作主人公と原作ヒロインの前でいちゃつくのは憚れた。


「私たちのことはお構いなく。どうぞ、公共の場で他人の目を気にすることなく堂々といちゃついて気まずい空気を垂れ流してください」

「唯! もうちょっと言い方ってものがあるだろう?」

「内容については否定しないんですね、兄さん」

「……いや、そういうわけじゃないが……」


 冷たい目で嫌味を飛ばす十六夜唯。

 そんな妹を嗜めつつ、ちらちらと、璃奈と僕に複雑な表情を向ける十六夜蓮。


「ねぇ、優斗君――邪魔なら消そうか?」


 そして、何とも言えない表情を浮かべていた僕の耳元で怖いことを囁く天羽璃奈。

 拗ねたような瞳と、嫉妬が混ざった複雑な瞳、そして悪魔のように冷徹な瞳に見つめられる。


 ……えっ、なに? この地獄みたいな空気……


 結果だけ見れば、現在の状況は悪くないはずだった。


 原作のこの時点では体調が悪化して病院で寝込んでいるはずの十六夜唯は死王女との共存を成し遂げ、元気いっぱい。

 おまけに“契約”のお陰でこちらサイドにおり、とんでもない戦力になってくれている。


 十六夜蓮はまだ力を覚醒こそさせていないものの、その黄金の精神は健在で、妹が元気になったことに(経緯はどうあれ)喜んでおり、死王女のこともその大きな器で受け入れてくれているようだ。


 天羽璃奈は……彼女のことは一旦置いておくとして。


 客観的に見れば原作よりも(殆ど意図した通りに物事は進まなかったとはいえ)良くなっているはずなのに、空気感がよろしくない。


 非常によろしくない。

 

 原作の主要メンバー3人から同時に視線を向けられ、頭が混乱してしまう。

 どうすべきか。

 どうすればいい。


 僕は頭を働かせて――


「と、取り敢えず……皆でご飯食べようか?」


 そんな、逃げの一手を打った。





♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰





「ふむ。なかなかいい出来ですね。褒めて遣わしますよ。兄さん」

「そりゃどーも。……しかし、その尊大な口調はどうにかならないのか? モルさんに影響を受けるのはいいが、ほどほどにしろよ?」

「むっ、私だって人前ではちゃんとしています。それに、何にでも影響を受けやすいみたいに言われるのは心外です」

「いやいや、この間だって、テレビで見た女優の口調真似していただろ? 純粋なのはいいが、もうちょっと自分の軸というのをだな……」

「せ、説教なら後にしてください! 今の私はお弁当を味わっているんです!」

「そうか、そうか。じゃあ、しっかり味わって食べてくれ。俺のハンバーグもいるか?」

「ッ! ……いただきます」

「――優斗君、食べないの?」

「食べるよ。でも、璃奈も僕にばっかり食べさせるんじゃなくて、しっかり食べなきゃダメだよ」

「食べてるよ。それよりも、私は優斗君にいっぱい食べて欲しいの」

「ふん、随分とお節介な彼女ですね。嫌がっている先輩に無理やり食べさせようとするとは」

「――優斗君、嫌なの?」

「嫌じゃないよ! 唯ちゃん、勝手なことを言ったらダメだろ?」

「失礼しました。先輩は尻に敷かれているようですので、なかなか言い出せない本音を代わりに口にした次第です」

「唯、本人たちが否定しているのに茶々を入れるものじゃない。そういう悪い子には弁当やらないぞ?」

「ぐっ」

「ほら、謝りなさい」

「……すみませんでした」


 思い付きで始めた4人での昼食会だったが、思いのほか、上手く回っていた。


 十六夜兄妹は相変わらず賑やかで、唯ちゃんは何かと張り合おうとするが、兄の蓮がしっかり手綱を握っているため、余計な波風は立たない。

 一方、璃奈はというと、相変わらず事あるごとに僕に「あーん」しようとしてくるが、本人に悪意はなく、むしろ十六夜兄妹のことが視界に入らないくらい幸せそうな顔をしていた。


 時折、唯ちゃんが無駄にちょっかいを掛けてくるが、単純な分あしらうのは簡単だ。

 蓮もこちらの味方をしてくれているし(というより、純粋すぎる妹を躾けようとしている感じか……?)、険悪な空気になることもなく、珍しく穏やかな時間が流れていた。


 ――だからこそ。


 そいつの出現は、余計な邪魔者以外の何者でもなかった。


「本当に美味しいね、このハンバーグ。焼き加減が絶妙だよ」


 4人の団欒に、突然割って入るような艶やかな声。


 自然すぎた。

 まるで最初からそこにいたかのような錯覚を覚えるほどに。

 一瞬、誰の声か認識できずに動きが止まる。


 だが、遅れて理解した。


 こんな鬱陶しい声を聞き間違えるはずがない。


「ッ!」

「お前、どうしてここに!」

「――」


 三者三様の反応。


 唯ちゃんは眉をひそめ、蓮は咄嗟に妹を庇うように身構えた。

 隣の璃奈は、紫色の瞳をぎらつかせながら、二丁拳銃を呼び出す。


 そして僕は――大きく息を吐き、ゆっくりとそちらを振り返る。


 そこには、まるで最初からそこに座っていたかのように、僕たちの輪にしれっと溶け込んでいる如月メフィラの姿があった。


「やあ、そんな怖い顔をしないでくれよ? せっかくの食事、楽しく食べたいじゃないか」


 不敵な笑みを浮かべながら、メフィラはごく自然にハンバーグを口に運んだ。


『貴様! 何をしにきた愚妹!』


 性悪悪魔の登場を受け、基本的に日が昇っている間は眠っているという死王女モルヴェリアが慌てて飛び起きた。

 普段は唯ちゃんが握っている身体の主導権を半ば強引に奪い、彼女を守るため黄金の瞳で現世に降臨する。

 契約で傷をつけることは出来ないと分かってはいるものの、この詐欺師を相手に油断など出来るはずもない。

 制服の上から黒い衣を身に纏い、何が来ても対処できるよう戦闘態勢を整える。


「コイツが、如月メフィラか……!」


 唯ちゃんから話を聞いていたのか。

 十六夜蓮もまた警戒心マックスで戦闘態勢を取った。


「―――――殺す」


 璃奈は僕の隣で祓器を展開し、銃口をメフィラに向けていた。

 静かに呟かれた一言には計り知れないほどの殺意と憤怒が籠められている。

 彼女は僕の陣営として契約を交わしているが、メフィラとは交わしていない。

 死王女たちが手出しを出来ず、僕も“悪魔の屁理屈ワンダー・トリック”を無効化されてしまう現状では、メフィラを殺せる唯一の人材であった。


「おやおや、皆さん急に殺気立って……僕って人気者なのかな? 我が愛しの契約者様?」


 死王女と璃奈の物理的な圧力すら感じる敵意を受けていながらそれには怯まず、逆に愉快そうに嗤う悪魔。

 コイツのことは永遠に好きになれそうにないが、その胆力だけは大したものだと認めざるを得ない。


「お前のことを知っていれば、誰だってこういう反応をするよ。……それで、何の用? 暇つぶしにちょっかいを掛けに来ただけなら、さっさと帰って」

「フフフ……契約者の危機に馳せ参じたというのに、随分と冷たいじゃないか」

「……危機?」


 不穏な単語に思わず耳を傾けてしまう。

 メフィラはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「どうにも、四騎士が動き出したらしい。姉上の復活を受けて、現世に進行を開始しているみたいだね」


 ちらり、と実姉に視線を送りながら手に入れた情報を嬉々として伝えてくる。


 四騎士。

 悪魔たちの頂点に君臨する悪魔王、直属の配下である。

 条件次第で最強に至る死王女を始めとし、とんでもないチート能力を所持した化け物集団である。


 そいつが動き始めた。

 世界の危機と言っても差支えがない知らせを聞いて、僕は――安堵していた。


「動き始めたって言うのは、具体的に何が起きたの?」

「むっ? あまり驚かないんだね」


 つまらない、とでも言いたげな表情でメフィラが呟く。


「内容を聞かないと慌てようもないよ」

「それもそうか……それじゃあ、具体的に言うと四騎士が一体、紅の戦君バルナハルトが先兵を現世に送り出してきたらしい」


 紅の戦君バルナハルト。


 四騎士の一体にして、悪魔内で最大規模の戦力を所有する凶悪な悪魔だ。

 第二章からちょっかいを掛けてくる厄介な悪魔であり、やることなすこと全てが規格外の化け物。

 普通に戦って勝てる相手ではない。

 コイツに本気で動かれたら、現世は呆気なく蹂躙されて滅びるだろう。


『バルナハルト……あの小僧か。相変わらず、猪口才なことをする』


 そんな化け物を小僧呼ばわり出来る死王女がこちらサイドにいるバグには一旦目を瞑ることにする。


「姉上はお知り合いでしたね。彼の君の動きについてどのようにお考えになりますか?」

『ふん。あ奴は良くも悪くも。直接現世に降臨することは難しいからして、適当に配下を寄越してきたのだろう。父上へのアピールの意味もあるのだろうがな』


 悪魔界の事情に詳しい死王女が推測を口にする。

 流石は元四騎士というべきか。

 彼女の言葉は正しい。

 バルナハルトはとにかく容量が。現世にインストールをするには情報量が多すぎるのだ。

 その点、同じ四騎士であり、さらに単騎の戦闘能力では上を行くはずの死王女が弱体化しているとはいえ現世に降臨できているのは、彼女の情報量がスリムで洗練されているからだ。

 単一ながら強力無比な権能のお陰でしれっと現世に降臨できる上に、自身より情報量が大きい化け物相手に打ち勝てる。


 ……うん。やっぱり、死王女ってチートだわ。


 閑話休題


 話が逸れたが、紅の戦君は直接動くことができない。

 だからこそ、序盤は配下を使って現世で策を巡らせてくる。


 そして、その動きが予定通りであることを、メフィラの報告が証明していた。


 原作でもあったイベントが、現実でも進行しつつあるということなのだから。


 すでに崩壊しつつある原作の展開に固執するつもりはない。

 だが、危険人物たちの動きを把握するための指標として、原作知識は依然として有効だ。


 利用できるものは利用する。

 それが僕の考えだった。


「フフフ……なるほど、調というわけか」

「ッ!」


 意味深に呟き、邪悪な笑みを浮かべるメフィラ。

 ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

 上位悪魔の印である黄金の瞳はじっと僕のことを見つめていた。

 開いた口から覗く赤い舌が艶めかしく動く。

 それはまるで、獲物を付け狙う蛇のようだった。


「良かった。我が契約者のに影響が及ぶ一大事かと思いましたが、今はまだ様子見だったということですね」


 笑いながら告げられた言葉に戦慄する。

 そうか。コイツ、僕の原作知識から乖離がないかわざわざ確認しに来たのか……!


『様子見とはいえ、放置していれば好き勝手に情報を抜き取られることになる。さっさと殺した方が良いだろうな。――おい、そこな小娘。貴様、さっさと行って殺してこい』

「……私?」

『他に誰がおる。エクソシストであろう? 貴様の実力であれば手こずる相手でもあるまい。謹んで務めを果たせ』


 尊大な口調で死王女が璃奈に命令を下す。

 死王女は勇猛果敢な戦いぶりを見せた璃奈のことを高く評価しているらしく、こういった悪魔退治は彼女に任せておけばいいと考えているようだ。

 単に自分が動くのが面倒なだけだとは思うが……。


 一方、死王女から評価され、命令を下された璃奈の方はというと、メフィラに向けたのと同じくらいの殺気を死王女にぶつけていた。

 契約上、手を取り合っていかなければならないことは彼女も理解している。


 しかし。


 どうしても――僕を何度も殺した彼女のことが許せないらしい。


 今にも襲い掛かりそうな物騒な気配を発しながら、しかし契約があることから銃口は向けずに睨みつけるのみにとどまっている。


『……なんじゃ、その目は。よもや貴様、このワシに逆らうつもりか? 雑事をワシにこなせと?』


 反抗的な璃奈の態度を見た死王女が目線を強めていく。それに比例して高まっていく強大な魔力の圧。

 重力が強くなったような錯覚を覚える程の力の奔流が溢れる。


 ま、まずい! このままだとこの学校が消し飛ぶ!


 契約でそうできないことは知っていても、死王女の規格外さを知っている身からすれば彼女が怒るだけで心臓が縮み上がりそうになる。


 仕方ない、か。

 僕はパン、と手を叩いて全員の注目を集めさせ、切り出した。


「えーと、ここで言い合っていても仕方がないんじゃないかな? 今は死王女様の言う通り悪魔をなんとかしなきゃいけないわけで……」

『なんじゃ、貴様がいくのか?』


 死王女の黄金の瞳が僕を睨みつける。彼女は騙し討ちのような形で唯ちゃんと契約を結んだ僕のことを大層嫌っているらしく、契約がなければ今すぐにでも首を斬り飛ばしていたに違いない殺気を飛ばしてくる。


 僕は内心で震えあがりながら、しかしそれを極力表に出さないように気を付けながらメフィラに尋ねる。


「メフィラ、その紅の戦君が送り込んできた悪魔ってどれくらいの規模なの?」

「偵察用の一分隊って感じかな? 初級が10体~15体、中級が3体かな。偵察系と直接戦闘タイプがバランスよく配備されているようだね」

「出現場所は?」

「今は海浜公園の辺りにいるようだね」


 僕は再度胸を撫で下ろした。

 原作通りだ。

 これは紅の戦君の影をちらつかせるためだけのイベントなので、そこまで苦戦することはない。

 であれば―― 


「じゃあ、僕が行くよ。中級悪魔なんでしょ? すぐに退治してくるよ」


 あの病院での事件から既に二週間が経過している。その間、僕だって何もしていなかったわけじゃない。

 手に入れた力――“悪魔の屁理屈”をより上手く運用するための方法を考えたり、これから先の展開の為に己を鍛えていた。

 中級3体と初級の群れくらいならどうとでもなる。


「優斗君が行くなら私も行くよ」


 死王女に圧を掛けられていた時は欠片も興味がなさそうだった璃奈が、僕が行くと言った瞬間に立候補をしてきた。

 ピタリ、と寄り添うように隣に立つ。

 全員が彼女の突然の心変わりに呆気にとられる。


『むっ、唯? ……分かった。お主が言うなら代わろう』


 ふと、死王女が虚空に視線を向けながら独り言を呟く。

 その黄金の瞳を閉じ、次に開いた時――瞳の色は赤に戻っていた。


「――さて、モルヴェリアさんはあまり乗り気ではなかったようですが、先輩が行くなら私も行きますよ。悪魔退治で競い合うのも面白そうです」


 実質的に悪魔でありながら、同胞たちの命には欠片も興味がない十六夜唯が軽い調子で言う。

 ていうか、君、本当にしつこいね……。


「唯が行くなら俺も行くぞ。それに……危険な悪魔を見逃すなんてことはできない」


 色々と危なっかしい妹が心配で仕方ないのか、原作よりも積極的に関わろうとしている蓮もまた立候補する。

 後半の理由は流石主人公様と言いたくなるほどの高潔さで――僕には些か眩しく映る。


「フフフ……もちろん僕も行くよ。言い出しっぺの法則とも言うしね」


 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら同行を申し出てくる如月メフィラ。

 こうして、ここにいる全員で悪魔退治に赴くことになったのだった。









 ……いや、ちょっと待って。








 弱体化しているとはいえ、最強格の悪魔である死王女モルヴェリアと十六夜唯。

 天賦の才を持つ優秀なエクソシスト、天羽璃奈。

 世界の命運を左右する運命のエクソシスト、十六夜蓮。

 最悪の詐欺師にして四騎士に匹敵する力を持つ悪魔、如月メフィラ。

 そして、メフィラと悪魔の契約を結び、チート能力を行使できる僕。






 ……えっ、この過剰という言葉も生温い戦力で初級と中級悪魔を討ちに行くの?







 大人と子供、なんていうレベル差ではない。

 例えるなら、子供の喧嘩に親がバズーカを持参したみたいな……そういう、えげつなさを感じる。

 別に悪魔に情など抱かないのだが、流石にオーバーキルも良いところだ。

 というか、普通に効率が悪い。


「……や、やっぱり、僕はいいかな……」

「あれ、逃げるんですか? 先輩」


 唯ちゃんが笑顔で煽って来るが、そんなもの僕には効かない。

 悪いが、こちとら元からプライドなんてないのだ。


「流石にこれだけ戦力がいたら、僕はいらないでしょ」

「優斗君が行かないなら私もいいかな」


 ピタリと僕の腕にくっついた状態の璃奈が言う。


「……じゃあ、私もいいです」

『唯が行かぬなら、ワシも行かぬ』

「僕もいいや」

「お、俺は行くぞ……⁉」






……十六夜蓮しゅじんこう以外、誰も行かねぇのかよッ⁉





 僕はようやく理解した。

 壊れてしまった原作のツケは……壊してしまった僕が責任を持たなければならないことを。


「……ごめん。やっぱり、行くよ。悪魔は倒さなければならない」

「流石は優斗君」

「もうっ! 優柔不断はいい加減にしてくださいよ先輩!」

『なんじゃ、結局行くのか?』

「……悪いな、地藤」

「フフフ……本当、見ていて飽きないね」


 二転三転してしまい申し訳ないと謝りながら悪魔退治に赴くことを宣言すれば、再び全員で向かうことが決定した。

 本当、どうしてこうなってしまったのか……


「先輩、競争といきましょう。私が勝ったら、例の契約は見直してもらいますよ」

「そんな勝手なことを言われても――」

「はい! 勝負スタート! ほら、さっさと行きますよ兄さん」

「お、おい唯! 何を――」


 好き勝手なことを言いながら、黒衣を身に纏った唯ちゃんは兄の手を引いて屋上を駆け出した。

 その右目が無慈悲で冷徹な黄金に変化する。

 自由自在に悪魔の力を引き出せる彼女は勢いそのままに十六夜蓮をお姫様抱っこで持ち上げた。

 そして――


「昼食後の運動と行きましょう! 、兄さん」

「いや、飛ぶって……ドわあぁぁぁぁぁァァァァァァ⁉」


 彼女は黒衣をマントのように広げながら屋上のフェンスを飛び越え、文字通りそのまま空を飛んでいった。

 高位の悪魔だけが使える飛行魔術だ。


「またかよォォォォォォォーー⁉」


 情けない兄の悲鳴をドップラー効果で置き去りにしながら、死王女と一体化した少女は飛び去った。


「……もう、あの2人でいいんじゃないかな」


 そう思わないでもないが、ここで行かないと後が怖いのも事実だ。


「行こうか、璃奈」

「うん」


 まるで従者のように傍らに控える璃奈が笑顔で頷く。

 その笑顔は美しいが、同時に僕の心に影を落とす。

 嘗ての天羽璃奈であれば率先して悪魔退治に赴いていただろう。

 エクソシストとしての使命を全うしようとしていただろう。

 それが今や、抱いていた使命などなかったかのように振舞っている。


 まるで――僕の為だけに存在する騎士のようだ。


 彼女本人がその在り方を良しとしているのであれば、僕がそれを否定する権利などないのだが……それでも、思うところはある。


 だが、僕は責任を取ると決めたのだ。

 決めたからにはやり遂げなければならない。

 たとえ、この先に何が待ち受けていたとしても。


「――で、お前も行くの? メフィラ」

「もちろん。さっきそう言っただろう? ……まぁ、仲が良い2人に気を遣って、遠巻きに眺めておくだけにするよ」


 両手を上げて降参のポーズを取りながらへらへらと笑う悪魔。

 もちろん、信用なんて出来るはずもない。


「まぁ、精々庭掃除を頑張ってくれたまえ」

「……言われなくとも」


 雑用で働かされるのは真っ平ごめん。そんな表情を浮かべているから、この程度のイベントでちょっかいを掛けるつもりは本当になさそうだ。

 もちろん、警戒を怠るつもりはないが。


 僕はメフィラを最大限警戒しつつ、璃奈を伴って屋上を飛び出そうとした。


「あっ、そうだ。一つだけ忠告を送るよ」


 背中から思い出したように不穏な台詞が投げかけられる。

 またか……。

 

 疲れたように振り返ると、メフィラは相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 隣の璃奈が敵意を剥き出しにして睨みつけるが、悪魔はそれすらも楽しんでいるかのように微風のように受け流している。


 メフィラはゆっくりと僕に近づいてきた。


 咄嗟に銃口を跳ね上げる璃奈を片手で制しながら、僕は悪魔を迎え撃つ。

 如月メフィラは、心底楽しそうな顔で囁いた。


「――、ということは時に武器ではなく呪いになる。情報はそれを活かせる者の手に渡って初めて真価を発揮するものだよ」

「……何が言いたい?」


 直感的に、嫌な気配を感じた。


「なに。君が背負っている重荷、僕にしか共有できない契約になっていただろう?」


 悪魔の笑みが、より深くなる。


「――苦しくなったらいつでも僕を頼るといい。このメフィラが君を正しく導いてみせようじゃないか」


 その声は、甘美で、残酷だった。

 地藤優斗の逃げ道を塞ぐように。

 知らないことへのメリットを語り、暗に自分であれば上手く情報を扱えると囁く。


 ……業腹だが、メフィラの言うことは間違っていないのだろう。


 知っているから、惑わされる。

 知っているから、欲が生まれる。

 知っているから、迷いが生じる。


 もし知らなければ、僕はもっと幸せでいられたかもしれない。

 何も知らず、何も考えずに生きていれば――こんな苦しみを味わうこともなかっただろう。


 それは単に僕に力がないこともそうだが、その知識の扱い方を知らないという点が大きい。

 僕には、頭脳がないのだ。

 その場しのぎの対応はできても、全体を俯瞰して駒を進めるような、チェスのような戦略は到底組み立てられない。


 その点、メフィラはその道のプロだった。

 この世界でもトップクラスの知略を持ち、そしてそれを最大限活用する術を知る策略家だ。


 ルート④に派生することだけが怖いが、それでもこいつに身を委ねれば、厄介な連中を一掃することはできるかもしれない。


 だが――仮にどんなメリットがあったとしても、コイツへの返答は一つと決まっている。


「お断りだ。僕は、僕が決めた道を行く」


 きっぱりと言い放つ。


 メフィラは一瞬驚いたように目を丸くした。

 だが、すぐに愉快そうに笑みを浮かべた。


「……フフフ、また振られてしまったね。だが、いい眼をしている」


 その言葉には、ほんの僅かばかりの賞賛が混じっているように感じた。

 満足げに微笑み、メフィラは背中を向ける。

 その身体が藍色の光に包まれ、徐々に霧散していく。


「簡単に手に入るものに価値などない。――精々、足掻いてくれ、我が愛しの契約者様」


 好き勝手な言葉を残し、彼女は完全に消え去った。

 これから海浜公園に向かって僕たちの戦いを観戦するつもりなのだろう。

 相も変わらず自由気ままで、悪魔らしい奴だ。


「……優斗君」

「よく抑えてくれたね、璃奈」

「うぅん。優斗君が言うなら私はいくらでも我慢するよ。でも――」


 アイツ、早く殺した方が良いと思うよ?


 璃奈は冷たい声で囁く。

 その意見には同感だったが、今の璃奈ではアイツには勝てない。

 僕もまた然り。


 だから、今は、我慢するべき時だ。


「ごめんね、璃奈。もう少しアイツを殺すのは我慢して欲しい。然るべき時が来たら――僕が決着をつけるよ」

「……」

「璃奈?」


 ようやく2人きりに戻った屋上で彼女に告げる。

 すぐに返事が返って来るかと思いきや、彼女は紫色の瞳でじっと僕を見つめていた。


「決着をつける時は一緒に、だよ」

「……悪いけど、アイツとの契約は僕の問題で――」

「一緒に、だよ」

「……分かった、分かったよ。だから璃奈――」


――僕の腕に爪を立てるのを止めて。


「ッ! ご、ごめんね……? つい……」

「いや、いいよ。僕も悪かったから」


 彼女を置いて行かない。一人にしない。

 そう誓ったばかりだったというのに、今の僕はまた彼女を置いていくようなことを言ってしまった。


 青ざめる璃奈の頭を、そっと撫でる。

 すると、彼女はすぐに目を細め、まるで子猫のように僕の手に頭を擦りつけた。


「ねぇ、璃奈」

「なに?」


 目を閉じて僕に身を預ける彼女の表情があまりにも柔らかくて――

 ふと、僕は問いかける。


「今、幸せ?」


 璃奈は一瞬、驚いたように瞬きをする。

 けれど、すぐに微笑んだ。


「幸せだよ」


 その笑みは、僕が好きになった彼女の笑みそのものだった。

 心の奥底から零れた、純粋な幸福の表情。


「……良かった」


 僕は静かに胸を撫で下ろす。

 歪な形ながらも、彼女を幸せにできているなら、それだけで僕は救われる。

 あとは――それを、これからも守り続けることができるかどうかだ。


 未来のことは分からない。

 でも、欲しい未来があるなら、自分の手で掴み取るしかない。


「――さて、僕たちも行こうか、璃奈」

「うん!」


 彼女の声が弾む。

 その瞳には迷いも恐れもなく、ただ純粋に僕と共にあることへの喜びが滲んでいた。

 すっかり機嫌を直した璃奈とともに、僕は屋上のフェンスを軽々と飛び越える。


 宙に身を投げ出した瞬間、空が広がる。

 高い場所から見下ろす学園の風景。生徒たちのざわめきが遠く聞こえる。

 足元には、落ちていく感覚。

 だが、恐れはない。


 風が吹き抜けた。

 璃奈の淡い髪が揺れ、僕の頬をくすぐる。

 彼女から貰った銀色のピアスが、陽の光を受けて柔らかに煌めいた。


 夜の帳が下りる前――

 エクソシストと悪魔の戦いが始まる。

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