第18話 懐かしい味

 午後の日差しが窓から柔らかく差し込む。淡い光が木製のテーブルに映えて、部屋全体がほんのりと温かい色に染まっているように感じた。

 彼女は黙々と鍋をかき混ぜている。手つきに迷いはなく、無駄のない動作が自然だった。


「カレーって、結構簡単なんだよね」
 


 静かなリビングに彼女の声が響いた。


「まぁ、簡単そうなイメージはありますね」

「スパイスからって思ったら話は変わるんだろうけど」


 彼女は小さく「できたー」と言って、買ったばかりの皿に盛りつけを始めた。

 テーブルに並べられたカレーは、柔らかく煮えたジャガイモや人参がルーに沈み、湯気がほのかに立ち上っている。彼女は小さな器にサラダも用意してくれていた。


「いただきます」
 


 スプーンを手に取る。ひとくち口に運ぶと、甘みが強い市販のルー特有の味が口の中に広がった。決して上等とは言えないけど、不思議とホッとする味だ。


「美味しいです」


 俺の言葉を聞いて彼女は笑った。



「なんてったって私が作ったからね!某チェーン店なんかより美味しいんじゃない?」


 褒められて調子に乗った彼女は満足そうにカレーを頬張った。


 食事を終えた俺は食べ終えた食器をキッチンへと持っていき、シンクの中に入れた。

 彼女は窓を開けてベランダへと出る。どうせ食後の煙草だろうな。そう思って彼女の方を見る。予想通り煙草に火をつけた。

 煙がゆっくりと宙に溶けていくのを見ながら、俺はある決心をした。俺はテーブルの前に座って、ベランダにいる彼女に向かって話しかける。


「先輩」

「ん?」

「明日実家に行こうと思ってて、先輩も来てくれませんか?」
 


 彼女は一呼吸おいて、窓越しにこちらを見た。真剣な顔で俺に聞く。


「どうして?」

「俺が殺した人の遺書が、実家にあるんです」


 少し、声が震えた。向き合うことが怖かった過去。ずっと置き去りにしていたもの。だけど、今なら向き合える気がした。


「君が殺した人の遺書を、持ってるの?」


 俺が説明不足なのもあるが、たしかによく分からない話だ。常識的に考えて、被害者の遺書が加害者の手元にあるなんて不自然だ。


「それは色々事情があって・・・」


 沈黙が数秒、二人の間に流れた。彼女は煙草の火を静かに消してから微笑んだ。



「ひとつ聞いていい?」

「・・・なんですか?」

「どうして私について来てほしいの?」


 それは・・・。

 彼女と過ごす時間は楽しくて、温かい。一人であの家に帰りたくない。今までの事が全部夢で、現実に引き戻されてしまうような、そんな気がしてしまう。


「先輩がいると、心強いんです。独りじゃないって実感できるんです」


 彼女は優しく微笑んで俺を見ている。俺は恥ずかしくなって下を向いた。小さくて微かに震えた声で彼女に言う。


「先輩がいてくれたら、俺は過去に向き合える気がするんです。前に、進める気がするんです」


 素直な言葉を次々と吐いた。俺の胸の奥にあった何かが、少しずつ溶けていくような気がした。


「分かった、一緒に行こう」


 俺はゆっくり顔を上げた。彼女は小さく首を傾げて、ふふっと表情を緩めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る