4話 神の声

セリオスの剣が静かに下ろされる。


空間の反転とともに流れ込んだ“記憶の奔流”は、彼の意識を深く揺さぶっていた。

目の前には、なおもその存在を保つグランデルム。

歪んだ肢体から流れ出す黒と白の光は、もはやただの瘴気ではなかった。


(……これは“神”そのものの意識だ)


意識の底に、誰かの“問い”が浮かぶ。


「なぜ、お前はそれでも記すのか」


直接ではない。だが確かに、神の夢の中から投げかけられた“声”だった。

グランデルムの中心核で、神の意識は今もなお“忘却”と“恐怖”に沈んでいた。


(俺は……)


セリオスは剣を収め、歩を進める。


ミレアたちは後方で警戒を続けていた。

だが今この瞬間、グランデルムは動かない。

いや――“静かに、見ている”。


空間は揺れていた。

見慣れた崩壊の景色が溶け、白くも黒くもない“色のない空間”が現れる。


そこは、神の記憶そのものだった。


何千、何万という“断片”が、セリオスの脳裏に叩きつけられる。

誰かの祈り。誰かの絶望。

異形に飲まれる人々。自らを捨てて守った者たち。

それを見届けた“存在”――神。


だがその神は、何も語らなかった。

ただ“見る”ことしかできなかった。

世界が崩れていく様を、無数の人々が散っていく姿を、ただ記憶し続けることしか。


(……そうだ。神は、覚えていたんだ)


記録とは、力だ。

だが同時に、記録とは“呪い”でもある。


忘れられない。

忘れようとする世界に、ただひとり取り残されていく。


「誰か……誰か、私を覚えていて」


意識の内側に、かすかに響いた“声”。


それは、祈りにも似た――叫びだった。


(……忘れられる恐怖。忘れてしまう恐怖。神はその両方を知っている)


だからこそ、光の記録者が必要だった。


崩壊と再生を繰り返すこの世界で、

“神の夢”を記し、語り継ぐ者。


それこそが、セリオスに託された役目だった。


(……だが)


神は、セリオスを拒もうとはしなかった。

むしろ、静かにその身を預けるように――夢の深奥を開きはじめていた。


「セリオス!」


ミレアの声が遠くで響いた。


その瞬間、空間が反転する。


夢と現実の境界が曖昧になり、視界がゆっくりと沈んでいく。


グランデルムの中心部。

その“核”が、明確な形を帯びて姿を現した。


人の形にも、異形にも見える。

だが、それは間違いなく“神”そのものだった。


「記録者よ」


言葉にならない声が、セリオスの胸奥で響く。


「お前は、私を記すか。すべてを見届けるか」


セリオスは、短く息を吐いた。

その問いは、すでに彼自身が心の奥で何度も繰り返してきたものだった。


「記す。忘れない。そして……お前が、ひとりではないことも」


その言葉に応えるように、グランデルムの核心がゆっくりと開き始める。


それは、世界が崩れる瞬間ではなかった。

逆に、再生の始まりに似ていた。


空間が震え、中心から“記録の光”があふれ出す。


セリオスの身体が、その波に包まれる。

剣が震え、記録者の力が完全に目覚めようとしていた。


ライゼが叫ぶ。


「セリオス、光が……!」


だが、セリオスは静かだった。


ゆっくりと、剣を構える。


「倒すだけじゃない。救うために、記すんだ」


光が、剣を包む。


その光の中、セリオスは前へ進んだ。


グランデルムは、なお沈黙を保っている。


だがその目は、確かに“受け入れた”。


記録者とともに、すべてを終わらせることを。

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