第2話 静寂の森
村を出て半時ほど歩くと、なだらかな丘を越えた先に、鬱蒼と茂る森が視界に広がった。木々が密集し、深い緑の闇が森の奥を隠している。その先に何が待っているのか――薄暗い入り口からは、想像すらつかない。
これが禁じられた森だ。
森の入り口には苔むした古びた石碑が立っている。表面には何かが刻まれているが、風雨にさらされて文字は風化し、もはや読むことはできない。ツバサは、幼い頃に養父から「あの石碑には『神域はいるべからず』と書かれている。決してそれを侵してはならない」と口を酸っぱくして教えられていた。
そんなツバサがたった一度、うっかり森に入ろうとしたことがある。だが、あれほどまでに「入るな」と言っていた養父は、𠮟るでもなく、静かな声でこう言った。
「まだその時ではない」
その一言はどこか意味深で、まるで、これから起きる”何か”を知っていたかのようだった。あれからずっとツバサの胸には、不思議な余韻とともにその言葉が残り続けていた。
「その時」――それは、今この瞬間を指していたのだろうか。疑念に揺れながらも、ツバサは歩を止めなかった。
森の木々が風でざわめき、まるで彼女の訪れを察知したかのように微かな音を立てる。周囲には誰もいない。ただ、冷たい空気が静寂を強調するかのように張り詰めていた。
ツバサは一歩、石碑の前に立ち、手をそっと触れた。その冷たさが、長い間ここに誰も訪れていないことを物語っている。
「違ってたらごめん、じーちゃん……でも、入るよ」
彼女は決意を胸に小さく呟くと、深く息を吸い込み、森の中へ足を踏み入れた。
***
靴が落ち葉を踏みしめる音だけが静寂を破る。ツバサは薄暗い木々の間をかき分け、奥へと進んでいった。村人たちが決して足を踏み入れないその場所に、道など無いに等しい。
しかし、ツバサはまるで誰かに導かれるように、迷うことなくまっすぐ足を進んでいた。
「不思議……なんだろう、ここ……昔来たことがあるみたい。変なの、そんなわけないのに。それに……」
その妙な違和感に、ツバサは無意識に足を止め、眉をひそめた。
「禁じられるほど、危険な場所には思えないな……」
ツバサはあたりをぐるりと見回しながらそう言うと、両親のことを思い出す。この森で魔獣に襲われ命を落としたという二人。
だがどういうことか、話に聞くような獰猛な魔獣はおろか、森には動物の、いや、虫一匹すらないようだ。村の人たちの「この森に立ち入れば祟りにあう」「獰猛な魔獣に襲われる」そんな噂の方が嘘のようにすら思えてくる。
「……生き物の気配が、まるでないなんて……こんなこと、ありえるの?」
まるで森全体が息を潜めているかのようだった。普段なら、彼女の耳に聞こえる風や木々のお喋りが、今日は誰かに口止めされているように沈黙している。
「なんなのよ、いつもは勝手に話しかけてくるくせに……」
ツバサは少し不機嫌そうに小さくため息を漏らし、黙々と歩き続けた。いつの間にか喉が渇いていることに気付き、どれくらい歩いたのか見当もつかない。
どこまでも続くように思えた森の道が、不意にぱっと開けた。
そこには――あまりにも場違いな、巨大な岩壁が立ちはだかっていた。
見慣れた森の風景が、唐突に切り取られたかのような光景に、ツバサは思わず足を止め、目を見張る。
「……なにこれ、どういうこと……?」
彼女の声が静かな森に溶けて消えていく。
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イメージイラスト
https://kakuyomu.jp/users/haricots/news/16818622176205125596
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