第15話 シエラの初めてのおつかい
港町ポルテアの領主フォルンコート家の令嬢、レイチェル=フォルンコートに見出され、専属の側付きメイドとなったシエラは、日々たくさんの事を覚えなければならなかった。
これまで”下働き”のメイドとして裏方の仕事しかしてこなかった彼女にとっては見聞きする全てがまるで違う世界の事のように感じられるほどであった。
数多くいるメイドの中でも表働きをする人数は限られている。その中でもフォルンコート家の一族の直属ともなればさらに厳選された、いわば選ばれし使用人なのだ。
自然シエラに求められるものは大きくなる。言葉遣いなどは下手をすると王族とも言葉を交わす可能性すらあるのだからして、洗練された立ち居振る舞いや受け答えはできて当然と言えた。
また、主のスケジュール管理も行わねばならず、状況に応じて各方面と調整を図る交渉力も必要となる。
そのため、シエラには普段のお屋敷での”実践”における学びに加えて、より積極的に外界と関わる機会を設けられる事となる。
そして、今日はそんな彼女に”初めてのおつかい”が命じられた。
普段は出入りの商人が必要な物全般をお屋敷に持ち込む。
だが、急な必要に迫られ使用人が急遽買い出しに出かける事もあるのだ。
そうして、今回はシエラの学習もかねて彼女にお鉢が回って来たのだ。
☆ ☆ ☆
お屋敷へと続く、歴史を感じさせる石畳の道。
それは静かな貴族の居住区を抜けると、まるで幕が開けるように視界が広がり、港町ポルテアでも最も賑わう繁華街へと姿を変える。
居住区に近いエリアには、年代物の木彫看板を掲げた老舗が並び、石造りの重厚な店構えが通行人の目を引く。
さらに足を進めると、大きな円形の広場が現れる。そこは町の中心に据えられた環状交差点――いわゆるラウンドアバウトとなっており、そこから四方へと放射状の道が伸びていた。
石畳に蹄を打ち鳴らしながら馬車が軽やかに周回し、荷を積んだ車が何台も滞りなく各方面へと分かれていく。
この町の鼓動のように、絶え間なく動き続けるその光景に、シエラは思わず目を奪われる。
ラウンドアバウトの周囲には露店や屋台がひしめき合い、香辛料の香り、焼き魚の煙、果物の甘い匂いが入り混じって、まるで市場そのものが生きているかのようだ。
シエラが今日目指している店は、この賑やかな市場の一角にある。
メイド長ダリアが手書きしてくれた地図を頼りに、シエラはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていく。
「……あら、どこで道を間違えたのかしら」
立ち止まり、地図と街並みを見比べていると、ふいに背後から声がかかった。
「お姉ちゃん、迷子になっちゃったの?」
くるりと振り返ると、そこにはふさふさのしっぽを揺らしながら、あどけない笑顔を向ける小さなリス系獣人の女の子が立っていた。
「うん、潮騒亭ってお店を探してるんだけど、見つけられなくて……」
シエラは少し膝を折り、少女に目線を合わせるように話しかける。
「ラフィ、知ってるよ!お姉ちゃん、連れてってあげる!」
元気よくそう言うと、少女――ラフィはシエラの手を取って、勢いよく駆け出した。
「ちょ、ちょっと待って、靴が……靴が脱げちゃうから〜!」
今日のために下ろしたばかりのよそ行きの靴は、少し大きすぎた。
「どうせすぐ足が伸びるから」としばらく前に買っておいたものだったが、残念ながら今もまだサイズが合わなかったらしい。
転ばないよう足元に注意を払いながら、シエラはなんとか走りについていく。
幸い、ラフィの小さな歩幅のおかげで、大事には至らずに済んだ。
「着いた〜!お姉ちゃんが来たかったお店、ここでしょ?」
くるりと振り返ったラフィは、くりくりした瞳を輝かせながら、小さな指で木製の看板を指し示した。
シエラが見上げた先には、温かみのある文字で”潮騒亭”と彫られた看板が掲げられていた。
──確かに、目指していた店の名だ。
「ありがとう、ラフィちゃん。本当に助かったわ」
シエラが少女にお礼をしていると道の先から声がかかった。
「ラフィ何してるんだ~!急に姿が見えなくなるから焦っちゃったよ」
ラフィ―と顔立ちの似た同じくリス系獣人の青年が息を切らして駆け寄ってきた。
「あっクライお兄ちゃん、今ねこのお姉ちゃんの案内をしてたの!」
ラフィが誇らしげに胸を張ると、少年はシエラに向き直って頭をかいた。
「そっか……でもあんまり勝手にどこか行くなよ。心配するだろ?」
クライと呼ばれたその青年は、少しキツイ口調でラフィを窘めた。妹を思う気持ちが口調に表れたのだろう。
そうして、チラリとシエラに視線を向けた。
「ごめんなさい、お手間を取らせてしまって……妹さんに助けていただきました。道に迷った私に親切にも声をかけて下さり、わざわざ店まで連れて来てくたんです。
優しい妹さんですね」
シエラがそう言って頭を下げると、クライはどこか照れくさそうに口元をゆるめた。
「……ならよかった。ラフィも偉かったな」
ラフィの頭をなでながら相好を崩す姿はまさに”お兄ちゃん”だった。
こうして、見ず知らずだった少女の親切に助けられて無事買い物を済ませたシエラは、お屋敷へと戻り、いつものようにレイチェルお付きのメイドとしての仕事に戻っていった。
「シエラ、今日は市場へお買い物に出かけていたのですわね? ポルテアの街並みはいかがでした? 何か素敵な出会いはございましたの?」
シエラが買ってきたハーブティーを手に、レイチェルが穏やかに問いかける。
「はい。実は道に迷ってしまい、途方に暮れていた私を助けてくれた、親切な少女がいたんです。初対面にもかかわらず、わざわざお店の前まで連れて行ってくれて……本当に可愛らしい子でした。それに比べて私は……満足に買い物ひとつできなくて、自分が情けなくなってしまって……」
シエラはそう言ってため息をつきながら、空になりかけたティーカップにハーブティーを注いだ。
「まあ、シエラ。何をそんなに気に病んでいるのです? あなたはこうして、ちゃんと目的の品を持ち帰ってくれましたわ。……もしかして──、すべてを一人でやり遂げなければならない、などと思い込んでいらっしゃるのかしら?」
レイチェルはカップをそっとテーブルに置き、少し息を整えると、静かに言葉を重ねた。
「人に頼ることや、誰かの助けを借りること。それは少しも恥ずかしいことではありませんわ。むしろ、わたくしたちが何かを成し遂げるとき、たいていは身の回りの誰かの力に支えられているものです。
今日、親切な少女があなたを助けてくれた。そして、あなたが人に親切にされるような人だからこそ、今こうして、わたくしはこのおいしいお茶と共にくつろぎのひとときを過ごせている。それだけで、十分ですわ」
レイチェルはそう言って、穏やかな笑みをたたえた。
日常の、ほんのささいな一コマかもしれない。
けれど、この小さな出来事も――やがてレイチェルたちの未来へと繋がっていく。
なぜなら、今日シエラが出会ったあの兄妹との縁は、この先ますます強く、そして確かに結びついていくことになるのだから。
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