第2話 理解されぬ革新
帝国錬金術評議会の大広間は、厳かな雰囲気に包まれていた。青いカーペットが敷かれた中央通路の両側に並ぶ席には、帝国の錬金術界を牛耳る面々が揃っている。重厚な石造りの壁には歴代錬金術師たちの肖像画が掲げられ、その冷たい視線がユノを見下ろしていた。天井から垂れ下がる水晶の燭台が、儀式めいた光を部屋中に散りばめている。
「次は、帝国中央錬金院第三研究課、ユノ・レイグランツ研究員による新技術提案『死体再活性化技術の倫理的な応用』について審議を行う」
古めかしい服装の議長が宣言すると、ユノは壇上へと歩み出た。白い研究服の上に、発表用の正装の上着を着ているが、いささか窮屈そうだ。彼の亜麻色の髪は少し長めで、銀灰色の瞳には知性の光が宿っていた。手元の資料を持つ指には、実験の痕跡である微かな火傷や針痕が残っている。
「本日は貴重な機会をいただき、ありがとうございます」
彼は一礼した後、自信を持って話し始めた。声の中には、自らの研究に対する確固たる信念が滲んでいた。
「我々の研究は、死亡した肉体から残留する魔力エネルギーを抽出し、再利用するための技術です。これにより、鉱山労働や危険地帯での作業など、人命を危険に晒す必要のない労働力として活用できます」
会場からはざわめきが起こった。ユノは冷静さを保ちながら続ける。
「もちろん、倫理的な配慮は最大限に行います。対象は本人や遺族の事前同意を得たものに限定し、人格の復活は行わず、単純作業のみに従事させます。これにより、危険な労働から生きた人間を解放し、より創造的な仕事へのシフトが可能になります」
壇上に設置された投影水晶に、彼の研究データが映し出される。錬金術式の図面と、実験結果のグラフ。そこには数ヶ月にわたる研究の成果が凝縮されていた。
「私が提案する『錬屍術』——この技術の本質は、死者の冒涜ではなく、むしろ命の価値を最大化することにあります。我々の社会では、貧困層や辺境の民が危険な労働で命を落とし続けています。この技術により、そうした不条理な死を減らすことができるのです」
彼は熱を込めて説明を続けた。しかし、評議会の面々の表情は次第に厳しさを増していく。高座に並ぶ評議員たちの間で、小声の会話が交わされ始めた。ユノにはその内容は聞こえなかったが、彼らの冷たい視線が何を意味するのかは理解できた。
「質問がある」
声を上げたのは、貴族院代表のアラン・フォン・ヘルムウィグ卿だった。灰色の髭をたくわえた老貴族は、金糸の刺繍が施された豪華な衣装に身を包み、冷ややかな視線でユノを見下ろす。その瞳には、科学よりも伝統を重んじる古い価値観が宿っていた。
「君の研究は、要するに死者を奴隷として使役するということだな?」
「いいえ、そのような意図は——」
「死者の安息を乱し、さらには労働市場まで混乱させるつもりか」
アランの言葉に続き、次々と批判の声が上がる。壁際に並ぶ宗教界の代表者たちからは、「冒涜」「神への挑戦」といった非難の声が響いた。商工会議所からの代表は「労働者の職を奪う」と声高に主張する。ユノは冷静に反論しようとするが、彼の言葉は聞き入れられない。
「私の技術は、むしろ不必要な死を防ぎ、生きている人々をより安全な環境で働かせるためのものです。死者は——」
「黙りなさい、レイグランツ」
厳しい声が会場に響き渡った。それは帝国錬金術院首席研究官ヴィクター・ノルドハウゼンだった。その眼鏡の奥の眼差しには、若き研究員への警告が込められていた。
「貴族院から出された懸念は正当なものだ。この種の研究が帝国の秩序を乱す可能性は看過できない」
特に痛烈だったのは、かつての同期生であるレギア・バーンハルトからの言葉だった。彼女は美しい長い金髪を背中に流し、最新の貴族ファッションに身を包んでいた。
「ユノ君、君の研究は科学という名の傲慢だ。死者の魂が安らかに眠るという聖なる教えに反している」
レギアはあえて公の場で彼を「君」と呼び、優位に立つ姿勢を示していた。彼女は早くから貴族の庇護を受け、美容錬金術の分野で名を馳せている。その研究は主に貴族階級向けの若返りポーションや美顔術を中心としていた。
「科学に傲慢も謙虚もない。あるのは真実と効率だけだ」
ユノは静かに反論する。胸の内には怒りが燃えていたが、表情には冷静さを保っていた。
「この技術により、毎年鉱山事故で亡くなる労働者たちの命を救えるのだ。彼らの死に意味を与えることができる」
「意味?」
レギアは優雅な仕草で髪を払いながら言った。
「死者に意味を与えるなど、神のみぞ知る領域だ。我々人間が踏み込むべきではない」
会場の隅から、一人の若い書記官が立ち上がった。その表情には不安と躊躇いが浮かんでいた。
「申し上げます。レイグランツ研究員の提案には、検討の価値があるかもしれません。昨年の王立鉱山での事故では、私の故郷から百名以上が…」
「席に着きなさい」
議長が厳しく言い放った。書記官は言葉を飲み込み、うつむいて座り直した。
ユノの胸に怒りが募る。彼の視界が一瞬、赤く染まったように感じた。
「レイグランツ研究員」
議長が厳しい口調で言った。
「死者を利用するという発想自体が、帝国の倫理規範に抵触する恐れがある。委員会は本日の審議を一時中断し、改めて調査を行うことにする」
その言葉には、すでに結論が出ていることが透けて見えた。ユノは唇を噛んだ。彼の理想と現実の間に横たわる溝の深さを、初めて実感していた。会場の空気は冷たく、彼の孤立は明らかだった。
評議会が終わり、人々が会場から退出していく中、ジェラルドが彼に近づいてきた。老教授の顔には疲れと諦めが刻まれていた。
「早急に研究内容の修正を検討したほうがいい。このままでは…」
老教授の眼差しには心配が滲んでいた。しかしユノは、信念を曲げるつもりはなかった。
「私が提案しているのは、死者を蔑ろにすることではなく、むしろ死後も社会に貢献できる尊厳ある選択肢なんです」
ジェラルドはため息をつき、肩をすくめた。彼の目には、長年の帝国での生活が教えた現実主義が宿っていた。
「若さゆえの理想論だな。私も若い頃はそうだった…だが、この帝国では理想よりも体制が優先される。気をつけなさい」
老教授は周囲を警戒するように視線を走らせ、小声で付け加えた。
「噂では、お前の研究室に調査が入るという話だ。念のため…重要な資料は別の場所に保管しておいたほうがいい」
ユノの瞳が細くなる。彼はすでに、自分の身に何が起ころうとしているのか、薄々感じ始めていた。
「ありがとうございます、先生。忠告、心に留めておきます」
二人が別れる直前、廊下の暗がりからレギアが姿を現した。彼女の唇には、薄い笑みが浮かんでいる。
「ユノ、久しぶり。今日の発表は…まあ、ユニークだったわ」
「レギア」
ユノは冷たく応じた。
「あなたの意見はすでに聞いた。他に何か?」
彼女は優雅に肩をすくめた。
「忠告よ。この研究は諦めなさい。貴族院は絶対に認めない。それに…」
彼女は一歩近づき、囁いた。
「あなたの研究成果は、すでに特定の人物たちの関心を引いているわ。安全なうちに身を引くべきよ」
レギアの目には、かつての同僚への警告と、計算された打算が混在していた。彼女は言葉を続ける前に、豪華な廊下を優雅に立ち去っていった。
帝都の夕暮れは、次第に暗さを増していった。ユノが見上げた空は、灰色の雲に覆われていた。彼の影は長く伸び、不吉な予感を暗示するかのように歪んでいた。
研究院の外に出ると、冷たい風が彼の頬を撫でた。通りでは労働者たちが帰路につき、彼らの疲れた姿が目に入る。遠くには帝国宮殿が夕日に照らされ、金色に輝いていた。あまりにも対照的な光景に、ユノの胸の内で何かが静かに決意へと変わっていく。
「死者は冒涜されるべきではない…」
彼は静かに呟いた。
「だが、死に意味を与えずに放置するのこそが、本当の冒涜なのだ」
翌日、彼の研究室には帝国軍の調査官たちが押し寄せることになる。不敬罪の証拠として、何者かによって運び込まれた「実験体」が発見されることも、ユノはまだ知らなかった。
それは、彼の人生を変える運命の前日だった。
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