錬屍術師ユノ

君山洋太朗

第1話 天才錬金術師

「これで……完成だ」


亜麻色の髪を乱した青年が、ガラス管の液体を慎重に観察している。銀灰色の瞳には疲労の色が宿るも、情熱だけは衰えていなかった。


ユノ・レイグランツ。帝国中央錬金院最年少主席研究員にして、「天才」と呼ばれる若き錬金術師だ。その評価は決して社交辞令ではなく、二十六歳で主席研究員という史上最年少の地位が、彼の才能を雄弁に物語っていた。


手元の青い溶液が徐々に緑色へと変化し、最終的に透明へと姿を変えていく。ユノはその様子を注視しながら、細密な字でノートに記録を続けた。実験室の静寂を破るのは、ガラス器具同士が触れ合う繊細な音と、ペンが紙をなぞる音だけ。


「予想通りの反応だ。これなら、義手の神経接続薬として十分な機能を果たせるはずだ」


彼が今取り組んでいたのは、戦争で四肢を失った兵士たちのための低価格義肢用接続薬。貴族階級が求める延命薬や美容薬ではなく、庶民にこそ必要な薬品だった。彼の研究機材の傍らには、街の病院から借り出した義肢のプロトタイプが置かれている。それは最新技術を用いた精巧な造りだが、現状では接続薬の価格が高すぎて、一般市民には手が届かない代物だった。


「レイグランツ君、まだ残っていたのか」


声の主は、ユノの元指導教官であるジェラルド・ウェイバーリー教授だった。温厚な笑みを浮かべながらも、その眼差しには若干の不安が混じっている。彼はユノの師であり、この研究院で数少ない理解者でもあった。


「ああ、ジェラルド先生」


ユノは顔を上げ、疲れた目元に笑みを浮かべた。


「もう少しでこの薬品が完成するんです。見てください、この透明性。これなら血管・神経接合の際の炎症反応も最小限に抑えられ、痛みも従来の半分以下になるはずです」


ジェラルドは興味深そうに溶液を観察し、頷いた。


「素晴らしい成果だ。しかし、忘れていないかね?明日は帝国錬金術評議会だ。君の新研究提案の発表があるんだろう?」


ユノは顔を上げ、壁の時計を見た。既に深夜を回っていた。研究に没頭する時間の感覚を失うのは、いつものことだった。


「大丈夫です。準備は整っています」


彼は机の一角に置かれた革製の書類フォルダを軽く叩いた。古びた革の表面には「帝国錬金術研究提案書」と公式の金文字が刻まれている。


「それにしても、まさか君が『死者再活性化』を研究テーマにするとは」


ジェラルドの声音には僅かな緊張が混じっていた。


「確かに理論的には興味深いが、君も分かっているだろう。死に関する研究は帝国内では常にセンシティブなテーマだ」


ユノは真剣な表情で応じた。


「だからこそ、科学的アプローチで議論の場に出す必要があるんです。今の社会では死者の扱いは宗教的タブーや感情論に支配されすぎています。でも、適切な倫理的ガイドラインの下で行えば、死者の神経網を再活性化させることで、単純労働の代替となり得るんです」


彼は熱を帯びた声で続けた。


「考えてみてください。採掘場や工場での危険な作業から人々を解放できる。何より、家族を残して亡くなった人が、その遺族に収入をもたらせるんです。もちろん、人格の復活は行わない、遺族の同意を得る、尊厳を損なわないための厳格なルールも提案しています」


ジェラルドは溜息をついた。彼はユノの危険なほどの理想主義を理解していた。それが時に、この若き天才の足かせになることも。


「……気をつけるんだよ。君の研究は素晴らしい。だが、時に革新的すぎて、人々を怖がらせることもある。特に、帝国の上層部は伝統や秩序を何よりも重んじる連中だ」


老錬金術師は意味深な言葉を残して立ち去った。その背中には、教え子を案じる影が揺れていた。


研究室に一人残されたユノは再び実験台に向かい、最後の記録を終えると、机の引き出しから分厚い資料を取り出した。表紙には「死体再活性化技術の倫理的応用—人間の尊厳と社会的有用性の両立」という題名が記されている。


三年の歳月をかけて練り上げたこの研究計画。ユノは自信に満ちた表情で、その最終ページに目を通した。


「この研究さえ認められれば……帝国の貧困問題も、労働搾取も、少しは改善できるはずだ」


彼は窓辺に歩み寄った。研究棟の高い窓からは、帝都エルミナスの夜景が一望できる。煌めく街灯と、その間に点在する暗闇。光と影のコントラストが美しい帝都だが、ユノの目には、その影に潜む貧困層の苦しみが見えていた。


「科学の力で、人々を救いたい——」


彼はそう呟くと、明日の発表に備えて資料を片付け始めた。希望に満ちた表情で、まだ見ぬ未来を夢見ながら。


窓の外では、帝都の夜景が煌めいている。光と影が交錯する帝都の中で、ユノはまだ、光の側にいると信じていた。彼はまだ知らなかった。その理想が、やがて彼自身を奈落へと突き落とすことになるとは。

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