【第二十七話】再生
深い深い水底から、ゆっくりと浮かび上がるような感覚があった。
おぼろげに意識を取り戻した遮楽は、半覚醒状態特有の、微睡みと現実の間に揺れる感覚を味わう。
続いて閉じていた目を開けようとし――否、それは不可能である事を実感と共に思い出す。力の入らぬ瞼は、瞳に幕を下ろしたまま僅かさえも持ち上がらない。
代わりに、視覚以外の四感が周囲の状況を伝えた。落ち着いた木の香りに混ざって、消毒液や、薬草を煎じているかのような仄かに刺激のある匂いが鼻を衝く。聞こえてくるのは、湯の沸くコポコポというくぐもる音と、焚き木の小さく爆ぜる音、そして遠くで鳴いている虫の声である。察するに――今は真夜中なのだろうか?
体に触れるのは、柔らかなシーツ。どうやらベッドの上に寝かされているようである。頭の下には水枕が敷かれているらしく、ひんやりとした心地よい感覚があった。
身じろぎしようとする。しかし全身鉛のように重く怠い。痛みも今朝に比べれば幾分マシにはなっていたが、それでもまだかなり疼く。
「……ぐっ……」
思わず呻いたその時、近くで衣擦れの音がした。
「遮楽? ……目が覚めたかい?」
続いて椅子を引くような音と、傍に誰かが立つ気配。その声の正体は、既に分かり切っていた。意識を失う前の出来事が、脳内にフラッシュバックする。
「……ァ……う……」
口を開いたが、出てきたのは嗄れた声のみであった。口内が酷く乾いている。喉も焼け付くようだ。
その様子を見て察したか、クローヴィスが静かに動いた。傍らにあったガラス製の水差しを取り、そっと遮楽の首元へ手を差し込んで支えると、吸い口をあてがう。慎重に傾ければ、常温の水が少しずつ彼の内に染み入り、潤していった。
やがて首を動かし、もう充分だという意志表示をした遮楽は、曲げた肘に力を込め半身を起こそうとする。しかし、その途中で肩に触れられ、優しく押し留められた。
「無理に動かない方が良い。熱も有るようだし……ね」
遮楽は歯噛みするも、再び水枕の上へ頭を戻す。するとクローヴィスもまた、ベッド横に置いた木製の椅子に腰かけた。
そして手を組むと、落ち着いた声で切り出す。
「知り合いの医者を呼んで、出来る限りの手当はして貰ったんだ。もう一日処置が遅れていたらかなり危なかったようだが……ひとまず安静にしていれば、いずれまた動けるようにはなるらしい」
そこで一旦間を開け、続く言葉には、言い辛そうな躊躇いが滲んでいた。
「ただ、その……目だけは、どうにもならなかったようだが……」
「……そうかい。ま、端から分かり切ってた事だ」
顔を背け、淡々と呟く遮楽。落胆するでも、強がるでもないその様子は、一層クローヴィスの胸を締め付けた。
「……そうだ。目を覚ましたなら、少しでも何か食べた方が良い。薬も飲まなければならないし。ちょっと待っててくれ」
切り替えるようにそう言うと、席を立った彼は、ほどなくして陶器の椀とスプーンを手に戻ってきた。
「白粥を作ったんだ。これなら今の君でも食べられる筈さ。……失礼、体を起こすよ」
両腕を使い、遮楽の上半身をゆっくりと持ち上げる。そして、スプーンで粥を掬った。
「さ、口を開けて」
「……あ? お、おい、何の真似だ。要らねェ。飯ぐれェ手前で食えるってんだ……止せや気色悪ィ」
口の前まで持ってこられたスプーンを、嫌悪の反応と共に体ごと引いて拒否する遮楽。
「だけど、手元も見えないんじゃやり辛いだろう? 体もまだ上手く動かないだろうし……。大丈夫さ、今此処には私しか居ないんだから、何も気後れする事は無い。食べなければ回復だって遅れるよ?」
態度も口調も穏やかであるものの、一切譲らぬ様子である。遮楽は口を固く引き結んで顔を逸らし、無言を通そうとしていたが……。
その時、包帯の奥で腹が低く抗議の音を立てた。
無理からぬ事。丸一日以上、絶食状態であったのだ。強情を張る遮楽とは対照的に、体は至って正直である。
くすりと微笑むクローヴィス。吐息のようなその笑い声を聞き、低く舌打ちした遮楽は、僅かに顎を引いた。その動作を了承と受け取ったクローヴィスが改めてスプーンの先を唇に当てると、渋々その口が開かれる。
人肌程度に温められた、柔らかい粥が流れ込んだ。塩気の薄い味付けだったが、今の遮楽には丁度良い。数種類の生薬や香草と共に炊かれているらしく、舌の上で滋養を含んだ風味がじわりと広がる。申し訳程度に咀嚼して飲み下せば、ほっと落ち着く温もりが優しく胃の底に落ちていった。
思わず緊張していた肩の力が抜け、呼吸も深くなる――が、まんまと相手の良いように気を鎮められている自分がどこか癪に障り、遮楽はますます仏頂面になった。
「……どうだろう、お口に合うかな?」
スプーンを椀に戻し、少々不安げにクローヴィスが尋ねる。対して、遮楽は不機嫌そうに鼻を鳴らすのみ。……しかし、否定的な言葉は出なかった。それを受け、クローヴィスは表情を緩める。
「ふふ。悪くはなかったようで、何よりだよ」
ゆっくりと時間をかけ、ようやく食事が済んだ。最後に出された薬湯を飲み干すと、遮楽は再び柔らかなマットレスに身を預ける。
「…………」
そしておもむろに右手を持ち上げ、感覚を確かめるように動かした。指を開き、閉じるその動作は、どこかぎこちない。まとわりつくような違和感。今は、単純な体の曲げ伸ばしにすら難儀してしまう。
僅かに締め付ける感覚から、全身、至る所に包帯が巻かれているらしい事も分かった。それは、現在の自身の無力さを訴えかけるかのようであった。
ふ、と笑いとも溜息ともつかない息を洩らす。
「……酷ェ、ザマだろ……あっしは……」
ぽつりとその場に落ちるように呟かれた言葉。沈黙は肯定に繋がると理解していながら、クローヴィスは何も発する事が出来なかった。
しかし数秒の間を置いた後、慎重に言葉を選びながら静かに口を開く。
「……でも、治る。また立ち上がれるようになる。こうやって無事に物も食べられたんだ……君の体は、立派に生きようとしているよ」
その言葉は、どこか自分自身へ言い聞かせるようでもあった。遮楽は何も言わず、掛けられた毛布を手探りで引き上げる。しばし流れる静寂。やがて、クローヴィスが空の椀とスプーンを片付けるために立ち上がった。
「起きたばかりで、寝るのも難しいだろうが……今は横になっていてくれ。必要な物が有れば、私に言ってくれれば良いから」
「……アンタは、休まねェのか」
思わず遮楽が問いかけると、彼は目を細めて笑う。
「私を心配してくれているのかい? 大丈夫だよ。全く自慢にはならないが、研究に没頭し過ぎて夜を明かした事だって、一度や二度じゃないんだ……これでも、結構体力は有るのだよ?」
冗談めかした声音で言い、力こぶを作るポーズを取ろうとして……相手が見えない事を思い出し、はたと止める。そして気まずさを隠すような咳払いを挟むと、毛布の端を直した。
「それじゃあ……ゆっくり休んで」
遮楽の耳に、去っていく足音が届く。再び静けさが下りる室内に、しんしんと染み入る遠く密やかな虫の声。その余白の中、遮楽はそっと寝返りを打った。
それから、十数日が経過した頃。
柔らかな陽光の差し込むベッドの上で、遮楽は静かに上体を起こした。その動きは以前の瀕死の状態を思えば、随分とスムーズになっている。無意識的に目を擦ろうとして顔に手をやり、ごわごわした布地の感触でハッと手を下ろす。いまだに慣れぬ身体の齟齬であった。
「やあ……おはよう。起きていたのかい」
ドアの開く音と共に、クローヴィスの声が届いた。手に木箱を持っており、それを机に置くと、中から包帯を取り出す。遮楽が今巻いているものを取り替えるのである。作業を止めぬまま、言葉を続けた。
「全く驚いたよ。あれだけの傷を負って、十日やそこらでもう動けるようになるだなんて。飛び抜けた回復力だね」
「……まァな」
どこかぶっきらぼうな声を返す遮楽。クローヴィスは何も気にせず彼の傍に椅子を持ってきて腰を下ろすと、右腕を手に取った。傷口の様子を確かめながら、慎重に包帯を解いていく。
「膿も引いている。治薬草のポーションが良く効いてくれて助かった」
やがて包帯の交換が終わった。その後朝食を取り――ちなみに本人が強く希望したため、クローヴィスの手からではなく、自ら椀を持ち食している――事が全て済むと、クローヴィスはふと立ち上がり、机の上に置いていたある物を手に取った。
「遮楽。ちょっと良いかい」
そして彼に呼びかけ、再度椅子に座る。
「本当はもう少し体の様子を見てから……と思っていたのだけれど、経過も順調なようだし。少しずつ、訓練を始めていこうか」
「……訓練?」
遮楽は怪訝そうに聞き返す。
「ああ。今後ずっとベッドの上で暮らす、なんて訳にもいかないだろう? 視力が無くとも、生活していけるようになる為の練習をしないといけない。それで、これを」
そして、彼の手を取ると掌に持っていた物を乗せた。
それは細身の杖であった。一本の木から削り出されたものであり、飾り気も無く、作りとしては簡素である。
「私のお下がりで悪いけれどもね。これを使って、自分の周りを探るんだ。物との距離を測れるようになれば、動き回る事だって可能になる。勿論、簡単な話ではないだろうが……私も手伝うさ。一緒に頑張ろう」
クローヴィスの傍らには、医療関係の本が数冊積まれていた。一冊手に取ると、付箋の貼られたページを開き、視線を落としながら独りごちる。
「えぇっと、まずは歩行訓練……手引き歩行を伴う、屋内の移動からだな。えー、格子状探索法による空間の理解、方角概念の活用……ふむ……」
それを聞き流しつつ、遮楽は手元の杖を握った。随分と使い込まれているようで、手触りはつるつるとしている。近接戦闘に向かないそれは、彼が今まで振るってきた物と比べれば、あまりにも軽く貧相であった。
軽く唇を噛む。こんな頼りなく細い棒切れ一本に縋りながら、よろよろと歩く自分の姿を想像したのだ。
以前の自分と比べ、なんと情けなく滑稽な様か……そう思わずにはいられない。一度は全てを投げ打ち、死なせろと自暴自棄に吐き捨てたのだから猶更である。
……だが、とある声と顔が脳裏にちらつく。
荒事に慣れた盗賊を相手取りながら、恐怖心を押し殺し、碌な作戦も立てず、ただ愚直に対話を求め続けた。果ては絶望に身を堕とした者すら前にして、共に生きるのだと捨て身で叫んでみせた。
――そして今も、まるで自分事のように真剣になっている……そんな変わり者の声と表情が。
「…………」
遮楽の口から、微かな溜息がついて出た。それは苛立ち、自嘲、呆れ、様々な感情が交錯した複雑なものであった。
「遮楽?」
それを聞きつけたクローヴィスが、心配そうに問い掛ける。
「やっぱり……不安かい? 無理もないが……」
「……いや」
再度浅く息を吐くと、杖を床に突き立て、慎重にベッドから足を下ろした。しばらく安静を強いられていた足腰は弱り、やや覚束なかったが……それでも、確かに立った。
「四の五の言ったって仕方が無ェ。どうせやるしかねェんだろう……で? 何から始めるって?」
クローヴィスの顔がぱっと明るくなる。遮楽にはそれが見えていなかったが、ありありと想像できていた。
「そう来なくては! 大変だとは思うが、二人三脚で歩んでいこう……。ふふっ、なんだか感慨深いな。その杖は私がギルドを卒業した頃に買った、初めての自分の杖でね……記念に取っていたんだが、まさか君の手に渡るとは。まるで弟子が出来たみたいだ。杖も何となく誇らし――」
得意げに話していたその矢先、ごつ、という鈍い音が鳴った。
遮楽が無造作に振り下ろした杖の先が、クローヴィスの頭を直撃したのである。
「痛ぁ!?」
「誰が弟子だ」
「えぇっ、な、何故!? 見えていないのに!?」
頭を押さえながら目を白黒させるクローヴィス。
「そんだけ喧しく喋ってりゃ、嫌でも居場所ぐれェ分かるってんだ」
「そっ……凄いな!? まだ何も訓練しない内から、正確な方向予測を……!? これは前途も明るいぞ!」
痛がりつつも相変わらず屈託の無い反応を見せる彼に、遮楽は二度目の溜息をついたのだった。今度は混じり気無しの呆れの感情である。
……こうして、再起の為の日々が始まった。
すべき事は山積みである。食器や家具の位置を予測し、杖で障害物を探り当て、服の前後を指先の感覚で判断する。音の反響で、物との距離や室内の広さを推し量る試みもあった。どれもこれまでの日常生活においては無縁な作業である。
当然、苦難の連続。繰り返される失敗――予測を誤った指先はカップを倒して中身をぶちまけ、歩こうとすれば肩や足先がぶつかる。
ままならない歯がゆさに苛立ちが募り、思わずクローヴィスへ八つ当たり気味に声を荒らげた事もあった。
しかし、クローヴィスは一貫して折れなかった。静かに受け止め、動じず、否定せず、𠮟責もせず。ただ遮楽が再び自ら歩き出すのを、ひたすらに支え続けた。
そして、そのような生活が続いた……ある日。
遮楽に、奇妙な変化が起こり始めた。
いつものように、クローヴィスを伴いながら、部屋の一角を歩く訓練をしていた時の事である。
「……あ……?」
手で壁やテーブルを伝い歩いていた遮楽の足が、ふと止まった。
床板がわずかに軋む音。移動に伴い変わる空気の流れ。声が響く方向。
それらが、脳内で輪郭を持ち始める。
かつて見た訳でもないというのに。まるで覚えのある景色のように、閉じた瞼の裏へ、ぼんやりと浮かび上がってくる……。
(何だ、こりゃァ……)
内心混乱しながらも、数歩だけ歩みを進め、そして半信半疑のまま恐る恐る右手を伸ばした。
――寸分の狂いもなく、手が柱の一本に触れた。
「し、遮楽……?」
様子が若干おかしいのを不安に思ったクローヴィスが、おずおずと声を掛ける。
「あァ、いや、何でもねェ……」
曖昧に返す遮楽。得体の知れない感覚だった。暗闇に沈んだはずの世界が、少しずつ静かに“視えて”くる──。
そして、数日後。
買い物に出かけていたクローヴィスは、日の落ちかかる頃に帰宅した。食材や魔導具等を詰めた布袋を手に、扉を開ける。
「ただいま、遮楽。帰ったよ」
そして声を掛けた。
……だが、返事が返ってこない。
これまでは、ぞんざいではあるにせよ「おう」や「あァ」等の短い返答はあったにも関わらず、である。
「……遮楽? 寝てるのかい……?」
怪訝な表情を浮かべながら、すっかり暗くなった部屋の灯りをつける。
柔らかい光に照らされたその部屋は、無人であった。
「……え……」
言い知れぬ胸騒ぎを覚えたクローヴィスは、あらん限りの声を出した。
「おーい! どこだ!? 居るなら返事をしてくれないか!?」
しかし、その声は虚しく反響するばかり。
「そんな……まさか……」
思わず悪い想像を膨らませ、張り詰めた声で呟いたその時である。
ぽん、と突然背後から肩に手が置かれた。
「うわあぁ!?」
過剰に反応して叫んでしまう。咄嗟に振り向けば、そこには杖を片手に遮楽が立っていた。
「よォ、帰ったか」
そして、何事も無い表情をして平然と言う。
「遮楽!? 一人で出歩いていたのか!? だっ……大丈夫なのかい!?」
冷や汗をかきつつそう投げかけたクローヴィスに対し、彼は顎に手をやりながら口を開いた。
「いやァ……あっしも不思議なんだが、ここ最近辺りから、何となく周りが分かるようになってきてなァ。もう光さえ見えねェってのに、どういう訳だかな、勝手に景色が浮かんでくんだ……」
「景色が……浮かんで……? ど、どういう……」
全く状況が呑み込めていない……そんな反応を前に、少し考えた遮楽はスッと目の前を指差した。
「アンタが今右手に持ってるその袋。えらく大層な買い物をしてきたみてェだな、随分膨らんでやがる。ちィと飛び出てんのはパンか何かか?」
「え……!」
わざわざ手元に視線を落とすまでもなく、その言葉は正確であった。
「す、すごい……まるで見ているみたいに……!?」
「まァそういうこって、この杖も今じゃほとんどお飾りだな……。柄にもなく面白くなっちまってよ、その辺をフラフラしてたとこだ。もう出歩ける程度にはなって、鈍った体も動かしたかったしなァ」
どことなく機嫌が良さそうにヘラヘラと笑う遮楽。
すると、驚きで固まっていたクローヴィスが突如動いた。遮楽の目の前まで駆け寄ると、空いた左手を取る。
「うおっ」
「な、なんて……なんて素晴らしいんだ!!」
そして目を輝かせながら、上下にぶんぶんと振った。その頬は興奮のあまり紅潮している。勢いに気圧され、遮楽はやや身を引く。しかしそんな反応は露ほども気にせず、クローヴィスは弾んだ声でまくし立てた。
「デミゴブリンは元々、聴覚に優れた種族だというのは聞いていたんだ。だから時間を掛けて訓練すれば、耳が目の代わりになって、日常生活くらいは送れるかもと思って。それが短期間でこんなに……! いやはや、凄い才能だな! 視覚を絶たれた事で能力が開花したのか? これはもはや第三の目。そうだな、心眼とも呼ぶべき代物だよ! まさしく奇跡だ……私は今神秘を目の当たりにしている!」
「お、おう……大袈裟だな相変わらずよ……何か知らんがとりあえず離せ」
「ああ、すまない! 感動のあまりつい」
慌ててぱっと手を離す。そして口元に指先を当てると、首を傾げ言った。
「それじゃあ、もう訓練は全く必要無いのかな……?」
「そうだな、今となっちゃァ困る事ァ……」
頷きかけた遮楽であったが、ふと言葉を中断させると下を向き、思い直したように呟いた。
「いや、この際だ。一丁やってみるか」
「え?」
「アンタ、喧嘩はからっきしだが魔法は得意なんだろう」
不意に何を言い出すのかと疑問に思いつつ、クローヴィスは遠慮がちに頷く。
「ま、まあ、魔法使いとして一通りの事は……」
「だったらまァ十分だ。この通り広い場所もあるしな」
「遮楽? 一体何をやるつもりなんだい?」
遮楽は杖をトンと地面に立てると、さも当然であるかのように答えた。
「生活訓練は終わりだろう? だったら次は戦闘訓練だ……。アンタの撃つ魔法をどれだけ捌けるんだか、試すとするぜ」
「せ、戦闘訓練!? なっ何もそこまで……いや待て、技能としては必要なのか……? 咄嗟に危険を避けられればそれに越した事は無いし……。うーんそれにしても、君を攻撃するのは流石に気が引けるというか」
「今更どうした。そもそも最初は、あっしを爆発で吹き飛ばそうとしただろうが」
「ぐっ!? そ、それは君がどうしても襲って来るから……!」
「冗談だ。まァ、あん時みてェな調子でやってくれりゃァいい。別に決闘しろと言ってる訳じゃねェ……つっても、今日はもう遅ェんだろう。やるなら明日だな」
一方的に言うと、さっさと家の中に入ってしまう。そして背中越しに続けた。
「……乗り掛かった舟って奴だぜ。それも元を辿れば、アンタが強引に乗ってきたんだ……。せいぜい、最後まで付き合いな」
有無を言わせぬ口調に、クローヴィスはしばし沈黙した後……。
「……ふふふっ」
「あ?」
全く予想していない朗らかな笑い声を聞き、思わず遮楽は体ごと振り向いた。
「何が可笑しい」
「いや失礼、嬉しかったんだよ……君が、生きる事にこんなに前向きになってくれて」
「は……」
微笑みながら発されたその言葉を聞き、遮楽はぴくりと眉根を寄せると、虚を突かれたような反応を見せた。
「何だそりゃァ……今のをどう聞いたらそうなる。全く毎度毎度甘っちょろいにも程があるってんだ」
呆れた風に鼻を鳴らし、再度背を向けて会話を断ち切ろうとする。
――しかし。
「……だが、まァ……」
その後、何やら躊躇するように足下を向くと、曖昧に口を開いた。手を彷徨わせ、杖の先を無意味に一度突く。
言い淀む事、数秒。後頭部をがしがしと掻いたのち、ようやく渋々と低い声が続いた。
「こうなるまで、色々と……面倒をかけて……悪かった」
ぼそりと、ともすれば風に攫われそうな声量で零れた謝意に、一瞬目を丸くするクローヴィス。その後、柔らかく笑いながら片手を振った。
「なぁに。何ともねぇさ、こんなもん、ってね」
いつかの遮楽の言い方を真似してみせる。
「はは。それじゃあ、夕餉にしようじゃないか! ちょっとした良い肉を安く譲って貰えたんだ。明日からまた忙しくなるのなら、精を付けておかなければね」
楽しげに遮楽の背を叩きつつ、クローヴィスもまた自宅へと入っていった。ぱたんと軽い音を立てて閉まる木製の扉。じきに姿を隠そうとしている夕日は、最後の見せ場だとでも言うように一層赤く輝き、和やかに光を灯すその小さな家を照らしていた。
そして陽は昇り、また沈み、それを繰り返した先のある日の事。
柔らかく湯気を立てる紅茶のカップをテーブルに置き、椅子に腰を下ろしたクローヴィスは、ふうと体の力を緩めた。対面には遮楽が座っており、温めた酒をちびちびと口に運んでいる。かつて全身に巻かれていた包帯も、今ではそのほとんどが解かれていた。だが顔に巻かれた包帯はいまだ外せず、目立つ傷を覆い隠している。
「すまないね遮楽、研究資料の片付けまで手伝って貰って……。それにしても、薬草なんて似たような物も多いのに、迷い無く仕分けるのだから驚きだよ」
「手触りや匂いで大体分かるモンだぜ。見た目に頼り過ぎるからそうなる」
「……近頃、何だか本当に達人めいてきたね? 全く目覚ましい成長スピードだよ……もう私の初級魔法程度なら難無く躱せてしまうし……」
両手でカップを包むように持ち、感嘆の息をつくクローヴィス。
こうして彼と時間や寝食を共にし、時に仕事も手伝う――そんな暮らしが“日常”と呼べるほどには、遮楽もこの生活に馴染み始めていた。
時刻は夕暮れ。本来ならば食事時だが、今日は昼食がいつもより遅かった事もあり、二人とも簡単な軽食――あるいは肴――をつまんでいる。
「しかしなァ……」
ふと、ぐるりと周りを見渡すように首を巡らせた遮楽が切り出した。
「前から思っちゃいたが、学者ってェのは稼げる仕事じゃねェのか? わざわざこんな辺鄙な場所の、古くて狭っ苦しい家でなくてもよ……もっとマシな住み処なんざ、探しゃァいくらでもあるだろう」
遠慮の無いセリフに、クローヴィスは苦笑しながら答える。
「残念ながら、そんなに夢のある職業でもないよ。基本は地味な作業の連続さ。その上、私はまだまだ駆け出しの半人前だからね。それに、何より……」
そこで一呼吸置いたクローヴィスは、穏やかな表情は変えないまま、しかし少々真剣味を強めた声で呟いた。
「成し遂げたい夢の為にも、浪費は出来ない。なるべく貯蓄しないとね」
「……あァ、言ってたなそういえば……。保護村、だっけか?」
思い出したように言う遮楽。
「はは、覚えていてくれたのだね」
彼はどこか気恥ずかしげに笑った。
「此処と同じように、豊かな自然で囲まれた穏やかな場所が良いな。あ……そうだ、実は村の名前も、もう既に考えてあってね」
誰かに話すのは初めてなんだが、と照れ臭そうに前置きし、彼は指を組むと静かに口を開く。
「ミレクシア……古代語で『希望の憩う郷』を意味していて、ある神話における聖なる安息地の名前でもあるんだ」
遮楽は反応を返さないまま、ただ酒の入った杯を唇に運んでいる。しかしその顔は彼の方をしっかりと向いていた。無言の促しに応え、語る声が続く。
「そこでは天に住まう神や精霊だけではなくて、地に住まう者達も、皆が分け隔てなく体と心を休めたと言われている。何者にも気兼ねする事の無い、まさしく聖域だよ」
しかしそこまで言ってから、彼は遠慮がちに眉を下げると、視線を外しながら頭に手をやった。
「ま、まぁ、そんな大層な名前を冠するのは、私如きが少々大風呂敷かもしれないけれども」
「小難しい事ァ分からん。だが……威勢は伝わる名前なんじゃねェか」
吐き出す息と共に言った遮楽。椅子の背に片腕を掛け、どこか気の抜けた調子で重ねる。
「アンタの事だ。その向こう見ずな行動力と、呆れるような図太さで、その内本当にやっちまいそうな気がしてるぜ」
「それは、素直に褒め言葉として受け取って良いのだよね?」
笑顔で返すと、クローヴィスは嬉しそうに肩をすくめた。
「ありがとう。そうだ、今なら遮楽が第一村人に立候補できるよ? いや、それどころか創設者の一人だ。村長なんていうのも悪くないな?」
おどけた声で茶化すように言う。照れ隠しも込めた軽い冗談のつもりであった。
「……そりゃ随分と気の早ェ話だな」
だがクローヴィスの予想に反して、遮楽は椅子にもたれたままそう呟き、ふいと顔を逸らしたのみ。てっきり今までのように「冗談じゃねェ」などと素っ気なくあしらわれると思っていた彼は、意外そうにほんの少し首を傾げる。
「まァ、今後どうするにしてもだ」
続けて発されたその声は、いつになく起伏も平坦で、どこか遠く物思いへ耽っているかのようでもあった。酒の残り少なくなった杯を、手の中で軽く揺らす。
「まずはしっかり地に足付けてからだろうよ。片付けなきゃならねェモンが、山ほどあらァな……」
「えっ……あ、いや、も、勿論まだまだ実現には程遠いよ? 資金も人手も、何一つ足りないし……はは、皮算用も良い所だな」
焦ったように弁解を始めたクローヴィスに、遮楽は小さく鼻を鳴らして応じる。
「いや、そうじゃねェ。今のは、あっしの――」
その言葉が、言い終わらぬ内に途切れた。
否、中断させられたのだ。
突然、背後でパリンという甲高く耳障りな音。
驚き、振り向いた二人の目の前に、無数のガラス片が飛び散った。それに紛れ転がったのは、拳ほどの大きさの石。
「遮楽! 出てきやがれ!」
割れた窓の向こうで、男の怒号がこだました。
「な、なっ、何だ、一体……!?」
突然の事で、激しく狼狽しながら立ち上がるクローヴィス。事が全く飲み込めず、強張った表情のまま動けない。
「……すまねェな」
それとは対照的に、遮楽は一度深く息を吸ったのみで、落ち着き払っていた。そして次の瞬間、素早く壁に立て掛けていた杖を手に取り……僅かに怒気を含んだ低い声音で、彼に告げる。
「ここは今からちィと荒れるぜ……」
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