【第二十六話】光芒
時はあまりにも無関心に、淡々と過ぎ去り――変わらぬ翌朝を迎えた。
空は重苦しい曇天である。夜が明けたとはいえ薄暗く、湿った朝霧が風にたなびき、村全体をぼんやりと包み込んでいる。
陰鬱な情景であったが……むしろ、相応しいのかもしれない。
処刑の朝の景色としては。
静けさを引き裂くようにして、軋んだ音を立てながら納屋の古びた戸が開け放たれた。村の男が二人、中に入る。ほどなくして、腕を縛られたままの遮楽が荒々しく引き立てられた。
両脇を抱えられるようにして出てきた彼に、もはや抵抗する素振りは一切見られなかった。力無く項垂れ、されるがままとなっている。
自力で歩くだけの力も残っていないのか、足は脱力したままただ土を擦った。意思の宿らぬその姿はまるで人形……だが、薄く開いた唇から僅かに漏れ出る呼吸だけが、かろうじて生者であることを証明している。
やがて彼は、村のはずれにある小高い丘まで連れてこられた。死の舞台として選ばれたそこは、元々は屠殺場として使われている場所である。
吹きさらしの柱と梁、そして藁葺きの屋根だけで組まれた簡素な建屋があり、太い鉄製のフックが吊られている。その真下には血受けのための石槽と、それに繋がる排水路。地面には血の匂いを抑えるため大量の灰が撒かれていたが、それでも完全には誤魔化せず、染み付いた鉄錆と脂の臭気が微かに漂っていた。
壁のない構造のため、周囲からの見物も容易である。時刻は早朝であったが、村のほとんどの住人が集まっており、彼の無残な最期を見届けるべくやや遠巻きに囲んでいた。誰もが声を抑え、小声で囁き合う。
「うわっ見てよ、酷い有様……。あれでまだ生きてるのかい? 獣みたいにしぶとい奴だね」
「すっかり静かになっちゃって。昨日散々暴れてたのがウソみたいだ」
「返り討ちに遭って身の程を知ったんだろ。最初から大人しくしとけばせめて苦しまずに死ねたのにさ。まあ所詮はゴブリンだって」
衰弱しきったその姿に向けられる視線は、同情や憐憫ではない。悪趣味な見世物を前にしたような、好奇と軽蔑の眼差しである。
「何にせよ、悪党を成敗できるんだ。これで一つ世界が平和になるよ」
「でも討伐報酬すら出ないんだもの。全く損な役回りだよ」
「せめて家畜みたいに皮なり肉なり売れたらねぇ……」
「うげ、冗談よせよ気持ち悪い。むしろ金払ってでも処分してもらいたいくらいなのに」
下卑た嘲笑がじわりと広がる。その陰口は遮楽の耳にも届いていたはずだが、彼は指先一つ動かさない。
やがて、彼は建屋の中央へと引き摺られると、そのまま膝を付かされた。両側の男達が無理に力を籠めるまでもなく、あっさりとその体が崩れ落ちる。
その様子を確認した二人は、隅で待機していた別の人物に目で合図を送った。比較的大柄な逞しい男である。
彼はゆっくりと柱に立て掛けられていた大鉈を手に取り、分厚い刃を研ぎ始めた。キィ、キィ、と耳障りな音が場を支配し、空気は一層冷たく静まり返る。
刃が往復するたび、凍てつく鈍色が反射した。それはまるで、分厚い灰雲に覆い尽くされた空を映しているかのようであった。そしてその下に集う、観衆の温度無き反応……。
あらゆる色が抜け落ちた世界の中央で、遮楽はただ虚ろに自らの命の終わりを待っていた。相対する者全てを打ち倒す強さを誇ったかつての雄姿など、今や見る影も無く。
祈りの言葉一つさえ投げかけられない。まして遺言など、聞いて貰える筈も無かった。彼らにとって、目の前のそれは忌まわしき魔物――それを始末するのに、どうしてそんな慈悲があろうか。
ほどなくして刃も研ぎ終わり、決行の瞬間が近付いた。処刑役の男が歩み寄る。
畜産を生業とし、息づく生命を手に掛けた経験も幾度となくあるとはいえ、やはりそれとは全く別物のプレッシャーがあるのだろう。その手はやや震え、表情も張り詰めていた。
遮楽の口に布が噛まされる。悲鳴や断末魔を上げ、怯ませる事を防ぐ為である。
「……やるぞ」
「ああ」
小声で事務的な会話が交わされたのち、一つ息を吸った男が大鉈を構え、高く持ち上げようと力を籠める。
その場が緊張感に包まれ、静まり返り、風すらも止んだ――丁度その瞬間であった。
突然、目が眩むほどの強い閃光が辺り一帯に瞬いた。
「うわぁ!」
「なっ何だ!?」
狼狽する村人達。誰一人として例外なく目を瞑り、顔を覆う。中には咄嗟に地面へと伏せた者もいた。
パニックになるかと思われたが……その現象は、ほんの数秒であった。程なくして、光がすっかり消え去る。何事も無かったかのように、それまでの光景が蘇った。
「な……今のは……!?」
「か、雷か?」
「いやでも、あんなに光ったのに音なんてしなかったよ?」
何が起きているやら分からず、人々は周囲を見回す。
「……あっ!? おい!」
そして、異変に気付いた。
「見ろ! あのゴブリン野郎がいない! 逃げたのか!?」
「やだっ本当!」
「嘘だ、どうやって……!?」
口々に騒ぎだす村人達。
「まさか仲間か!?」
「探せ! あの体じゃそう遠くには逃げられっこねぇ! どこかに隠れたに決まってる……見つけて引きずり出せ!」
一斉に散る村人達。辺りは騒然となる。
(……コイツ等……さっきから、何騒いでんだ……?)
そんな彼らの
(誰が逃げたって……? あっしならここに居るじゃねェか……)
身じろぎすれば縄が軋む。跪いた脚に感じる土の質感。……当然、逃亡はおろか、僅かな移動すらしていない。
彼の疑問を他所に、複数の足音や声は止むことが無かった。
(何が、どうなってやがんだ……)
すると、状況を理解できないでいる彼の肩に……そっと、誰かの手が置かれた。これまでの荒々しさとは真逆の、優しい、労わるような触れ方である。続いて、噛まされていた布が取り払われる。
「誰……だ」
「しっ……」
暗闇の視界の中聞いたその声はなんと、覚えのあるものであった。
「お、覚えたての
「あ、アンタは……」
全く予期せぬ闖入者に驚く遮楽。耳に届く声音が記憶と結びつき、脳裏に像を結ぶ。
「……クローヴィス、か?」
「そうだ。あぁ、やっと名前で呼んでくれたね。嬉しいよ」
遮楽の傍らに、膝を付いたクローヴィスがいた。右手で杖をかざしたまま、左手で小さな折り畳み式のナイフを取り出すと、不慣れな手つきで縛る縄を切っていく。
「なんで……アンタがここに……」
「決まってるじゃないか。君を此処から逃がしに来たんだ」
ようやく縄が切れた。ナイフを放り出し、うつ伏せに倒れかけた遮楽の体を抱えて支えると、先の尖った大きな耳に口を寄せ小声で言った。
「これから空間転移の魔法を使う。残念ながら、私の腕力では君を担いで走るなんて無理だ。回復魔法を掛けっぱなしにはするつもりだが、多少は体に障るかもしれない……申し訳無いが耐えてくれ」
そして彼は目を閉じると、静かに詠唱する。真下に魔方陣が出現すると同時に二人の体は淡く緑の光に包まれ、瞬く間にその場から消失した。
揃って転移した先は、広大な芝生の生える、緑豊かで起伏の穏やかな丘陵地であった。それまでの殺風景な場所からは一線を画した景色が広がる。
可憐な草花やこんもりと葉を付けた低木があちこちに見られ、その成長を育む澄んだ小川が近くを流れていた。鼻孔をくすぐる空気も、血と泥と灰の臭いからは一転、胸の空くように清浄で爽やかである。
人の気配はほとんど無く静かであったが……それは非情な冷たさを伴うものではない。むしろ温かみのある、落ち着いた静寂。
そして、そんな牧歌的な風景の中、ぽつんと佇む建物があった。木材と石造りを混合させた一軒家である。
薄い苔に覆われ、淡緑に染まった切妻式の屋根。蔦の這う灰白色の壁。
石段を下りた先には小さな菜園があり、薬草と思しき植物が育てられていた。その隣には、石組みの井戸も備え付けられている。
人工物でありながら、その外観は周囲の自然と見事に調和していた。
二人は今、その家の玄関前に居るのだった。
「はあ、上手くいった……良かった、見つからなくて……」
遮楽を抱えた姿勢のまま、クローヴィスが深く息を吐く。ただでさえ魔力消費の激しい転移魔法に重ねて、上位回復魔法を連続使用するという荒業を強行したため、その呼吸は全力疾走した直後のように激しく乱れていた。
ともすればそのまま崩れ落ちてしまいそうになるのをぐっと堪え、腕の中でぐったりと脱力している遮楽をそっと芝生の上に横たえる。
「此処は私の住居前だ。あの村からも離れているし、もう心配は要らないよ」
そして、その体を沈痛な面持ちで見た。
「……全く酷いな。どうして……よくこんな惨い真似を、平然と……」
長時間縛られていたことにより、青黒く変色した手首を指先でさする。数日間に渡り刻まれた痛々しい傷は全身に渡り、さらには最低限の治療すら施されなかったために、一部が悪化し膿みかけていた。
だが、何よりも深刻なのは両目に跨った傷であろう。明らかに眼球にまで到達しているそれは、今後彼の視力を永遠に奪う事を否が応にも痛感させ、クローヴィスは思わず目を逸らしてしまう。
「これが悪事に対する正当な報いだとでも言うのか……? 絶対に、間違ってる」
そして遮楽の額に掌を当てると、穏やかに言った。
「すぐに手当てをするよ。今の状態じゃ、回復魔法だけだとむしろ負担が大きいだろうからね……。もう少しの辛抱だ」
その顔に浮かぶのは、慈しみを湛えた微笑。絶対に助けようという信念を込めた笑顔であった。
その優しげな声を聞いた、遮楽の表情が――否、対照的に歪んだ。
痛みに耐えているのではない。それは明確な……怒りの発露であった。
「……余計な、事……しやがって……」
「……えっ……!?」
絞り出された言葉を聞き、室内へ向かいかけていたクローヴィスは素早く振り返った。
「あと少しで、やっと……楽になれた所を……」
反応が心底予想外だったらしく、慌てて遮楽の元へしゃがみ込むとその顔を覗き込む。
「ど、どうして!? 遮楽……君が、そんな事を言うなんて。確かに酷い怪我で、苦しかっただろうが、手当すれば絶対に助かるんだ。どうか気を強く持ってくれ!」
力の入らないその手を握り、自分の方へと引き寄せた。必死な声を、言って聞かせる。
「それに、君が此処で死んでしまったら、盗賊団の他の子たちはどうなるんだ!? 皆帰りを待ってるんだろう!?」
「……待ってる、だァ……?」
遮楽は思わず喉の奥でくつくつと嗤った。部外者だからこそ堂々と口にできる、酷く的外れな励ましが、いっそ滑稽であった。
「いねェよそんな奴ァ……。どうせ生き延びた所で……帰る宛ても無ェんだ」
「何だって……?」
クローヴィスが聞き返す。言われた事が理解できず、その表情はただ困惑を浮かべていた。
「あっしが下手打って、勝手にとっ捕まったとでも思っていたか……? 裏切られたんだよ、子分の連中になァ……」
再度、乾ききって自嘲にまみれた笑い声を洩らす。
「しかも、その筆頭はガキの頃から面倒見てた、一番付き合いの長ェ野郎だ……お笑い草だろう……」
クローヴィスの目が愕然と見開かれた。
「そんなっ……一体何故……!?」
「ハッ、知るかよ……。これで分かっただろうが。誰も……あっしの帰りなんざ、望んじゃいねェ」
暗く沈んだその呟きを聞き、息を呑んだクローヴィスは、唇を噛み締めて俯く。事情を何も知らなかったとはいえ、よりにもよって本人を一番傷つける言葉を掛けてしまった事に対し、深い後悔と自責の念が見て取れた。
……だがその数秒後、激しく首を振った彼は遮楽の上半身を抱え起こす。その瞳は既に泣きそうに揺れていた。
「……それなら、尚の事生きなければ駄目だ。理由も分からず敵意を向けられて、そのままだなんて、あんまりじゃないか!」
ただひたむきで、懸命な思いをぶつける。唇がわななく。
「君だって、このまま終わるのが悔しいんじゃないのか!? 全て諦めて死んでしまったら、彼らの思う壺なんだぞ!?」
――しかし、遮楽の様子は変わらず、ただ顔を背け冷淡に短く息を吐いたのみであった。
「今更……どうでもいい……。このザマで奴らの前にのこのこ出て行って、何になる? 恥の上塗りじゃねェか……あっしはもう、終わったんだよ」
苦々しく呻く声。そこには、深い疲労と虚ろさが滲んでいた。無力な指先が、草を掴む。
「とっとと殺せと言いてェが、どうせアンタにゃ無理だろう……。せいぜい、適当な場所にでも放っとけ。そのうち野垂れ死ぬ……お似合いの最期だろうよ」
捨て鉢に吐き捨てられた言葉を聞き、クローヴィスの眉が悲痛に歪んだ。
「そんな事をすれば、きっと私は一生後悔する。助けられる可能性があるのに、むざむざ見捨てるなんて出来ない。君はまだ生きているんだ、それなのに……黙って背を向けるなんて……!」
砕かれ尽くした深い絶望を前にし、その語尾は震えていた。それでも、暗闇に沈んだ心の奥底へと……歩み寄ろうとする。必死で手を伸ばそうとする。
それすらも、遮楽はただ一笑に付した。その反応自体は、これまでの彼らの会話でも数多くあったものだが――そこに宿る諦念は、突き放す棘は、過去の比ではなかった。
「良い気なモンだな……。そうやって同情して、たかが死にかけの悪党一人救って……正義漢気取りか……? てめェの自己満足の為に、生きてやるつもりなんざ無ェんだよ」
「そうだ……君の味わった絶望がどれ程かなんて、私には想像すら烏滸がましい。だからこんなもの、所詮自己満足だ。……でも、不用意に首を突っ込んだ責任は取るから」
静かに控えた態度で、しかし決して引き下がらないクローヴィス。
埒の明かぬそれを受け、遮楽の口元が捻じ曲がった。
せり上がる苛立ちに喉仏が上下し、元々乱れていた呼吸もさらに荒くなる。胸の内を支配していた冷嘲は……次第に、激昂へと形を変えていった。
「……簡単に……抜かしてんじゃねェぞ……っ! てめェ如きに、何が出来る!?」
衝動が爆ぜる。次の瞬間、遮楽の手が自身の顔に伸びた。下手に触って傷口が広がる事を恐れ、クローヴィスが咄嗟に掴んだが、彼は拒絶するように腕を動かす。しかしそれすら振り解けず、掠れきった叫びを叩きつけた。
「見えねェ……何も、見えねェんだッ……! 持ってたモンも、信じてたモンも、全部……何もかも、消えやがった! あっしにゃ……もう、何も残ってねェんだよ……!」
張り裂ける怒り、苛立ちをぶつけるように、クローヴィスの手の甲に強く爪を立てる。
「こうなってまで……まだ生き汚くしがみ付く意味が……どこにあるってんだ!? なァ……!」
それはもはや、問いではなかった。答えなど端から求めていなかった。暴力的なまでに、一方的に投げ掛けた慟哭であった。
それにも関わらず。
「……まだ、私が此処に居る」
ただ、真摯な声が受け止める。遮楽の肩が強張った。
「消えてしまったならば、また積み上げていけば良いんだ。頼り無いかもしれないが、私も力になる。そして……何があっても君を見捨てない」
「黙れや……平和ボケした偽善者が! 反吐の出る綺麗事をほざくんじゃねェ!」
「ああ綺麗事だ! 偽善にも見えるだろうさ……だけど、力の無い私が手に出来る武器は、それしか無いんだ!」
傷の苦痛を押し切って発される怒声に、クローヴィスもまた声調を強めた。二人の間で、剥き出しの感情がぶつかり合う。吹き去っていく風は、その奔流が現象となって表れたようであった。
「偽善なら偽善なりに、やり通してみせるさ。有りもしない善より、ずっとマシという物だろう!?」
「……この……」
掴まれていない、もう片方の手が激情のやり場を探すように彷徨う。
……すると、その指先が何かに触れた。柔らかい草の中にある、明らかな異物。
硬質で冷たい金属の質感、なぞれば切れそうな鋭利な縁。視認は出来ずとも、よく馴染んだその感触から、遮楽はそれが刃物であると直感的に理解した。
その正体は、縄を切るためにクローヴィスが持っていた折り畳みナイフであった。どさくさで刃を仕舞い忘れたまま、芝の上に放置されていたのである。
考えるより先に、体が動いた。柄を探り当てると、すぐさま握り込む。
「――あぁァッ!」
そして雄叫びを上げながら、力を振り絞り身を跳ね起こした。弾みで手が離れ、驚きの表情を浮かべるクローヴィス。そんな彼を、肩で突き飛ばす。
「ぐぅっ!?」
成す術もなく、あっさりと仰向けに倒れた体の上。遮楽はどっと馬乗りになると、手探りで距離感を測り、胸と思しき場所へ刃先を向けた。
「な、何を……!?」
「いい加減にしやがれ……もううんざりだ……どうせ行き着く先は変わらねェ……!」
憤怒よりも自暴自棄に近い、低く底から湧きあがるような声音。
「てめェは前に言ってたよなァ……仲間もいねェから、あっしと協力関係を作りてェってよ。結局はそういうこったろ? 利用してェだけなんだろうがっ……!? 残念だがもうその駒は、使い物になりゃしねェ……分かったらとっとと捨て置けってんだよ……!」
弱った体で、命を燃やすように吼える。苦しげに表情を歪ませながら、ナイフと共に拒絶と不信を突き付ける。
「違う……違うんだ、遮楽……!」
クローヴィスは頭を激しく振った。その瞳には焦燥が濃く滲んでいる。
「確かに私は、出会ったあの日から君の強さには心惹かれた。だからそれを頼りにしたくて、仲間に誘った部分はあった。それは否めないけれど……! だが決して利用とは違う。都合よく使ってやろうなんて、断じて思っていない!」
思わず感情が高ぶり、声が乱れた。だが彼は構わず、目を見張って続ける。
「私は君を、役に立つかどうかで選んだんじゃない。あくまでも友人として、共に歩みたいと強く思ったんだ。だから今も、何とかして助かって欲しいと……。すまない、要らない世話だったのかもしれないが、手を出さずにはいられなかったんだ。あんなに強くて仲間思いで、必死に生きてきた君が、理不尽に死ぬのは……見過ごせなかった……!」
「ッ……どこまでも……見下げ果てた、馬鹿が……!」
呻く遮楽。痛みと怒りと、何よりもどうしようもない喪失感に蝕まれたその姿が、曇天の薄明かりの中で逆光となってクローヴィスの目に映る。
そして彼は、ナイフを握り直した。上手く力が入らないのか、さらにもう片方の手も包むように重ねる。弱々しいそれが、今の彼に出来る、最大限の否定の体現であった。
「しつこく、付きまといやがって……。いいぜ、そんなにあっしと一緒がいいってんならなァ……! てめェもこのまま、地獄へ道連れにしてやろうか……!」
刃先が小刻みに震えた。このまま彼が倒れ込みでもすれば、鋭いナイフはクローヴィスの薄い胸板など、いとも簡単に貫くであろう。
――だが。
「……ああ、構わないさ」
彼の口から、微塵も揺れや震えの無い、毅然とした返答が発された。
「道連れにすれば良い」
そして躊躇いなく、自分に向けられたナイフを強く掴む。
――それも、あろうことか刃の部分を。
切れた掌から血が滴り、腕を伝い落ちる。その様は遮楽には見えていなかったが、手元に伝わる衝撃で何をしたか分かったのだろう。僅かに息を呑む。
「ただし、死ぬんじゃないっ……私を道連れにしてでも生きるんだ!」
クローヴィスは遮楽を見据え、痛みを噛み締めながらも息を深く吸い込み、ありったけの感情を込めて言い放った。
「もう生きる意味が無いから、だから死にたいだなんて言うのなら! 私が君の生きる意味になってみせる!」
遮楽の動きが完全に止まった。思考も、呼吸も、一瞬だけ完全に凍りついた。
袖を鮮血に染めながら、その壮絶な光景とは真逆の柔らかな表情で微笑んだクローヴィス。そして、そっと目の前へ置くかのような……穏やかな声で言った。
「どうか諦めないでくれ……私は君を、失いたくない。だから、何と言われようと、絶対にこの手は離さない」
「…………」
遮楽の腕の力が抜け、ナイフから手がずるりと滑り落ちる。
「チッ……面倒な野郎が……。もういい、助けてェなら……勝手にしろ……」
消え入りそうなその言葉を最後に……遮楽はクローヴィスの上に崩れる形で、気を失った。
偶然時を同じくして、拓けた地を駆け抜けるような、強い、強い風が吹いた。
それは空を覆う分厚い雲すら押しのけ、吹き散らし――僅かに空いた隙間から、一筋の光を差し込ませた。
細く儚いが……確かに、暗闇を照らせる光であった。
遮楽を抱き止めたクローヴィスの目。真っ直ぐ向けられたその瞳には、いまだ強い決意が宿っていた。
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