始末
写乱
第1話 始末
「ベス?お嬢様がお部屋で呼んでたわよ?」 「あ。はいっ」
階段の手すりを磨いていた私は、ライアさんの声に思わず手を止めて返事をしていました。声のした方を振り返ると階段を登ってくるライアさんがいます。
「そこは私がやっておくから、早くお部屋に行った方がいいわ」
「す、すいません・・・」
「私に遠慮しなくてもいいのよ。早く行っておいで。」
「ごめんなさい・・じゃあ、ちょっとの間だけお願いします」
私はにこやかに微笑むライアさんに軽くお辞儀をして、お嬢様のお部屋へと向かいました。 私の名前はエリザベス=クラスター。お屋敷の方はみんなベスって呼びます。16歳になったばかりで、先月からここ、グランドール家のメイドをさせて頂いているのです。どちらかというとのんびり屋でたまに失敗したりもする私を、お屋敷の人はとても可愛がってくれます。 さっきの方は同じくメイドのライアさん。・・・みんながライアって呼ぶだけなので本名は分かりません。ブロンドの長い髪を背中まで伸ばしたとてもきれいな方で、もうすぐ20歳になられるそうです。とても面倒見の良いお姉様で、私がお屋敷の仕事を覚えるまで色々とお世話をして頂いてます。 中庭の木々が正面に見える大きな窓の脇にお嬢様の部屋があります。私はドアの前で立ち止まると、ツインテールに挟まれたカチューシャを丁寧に直して軽くノックしました。
「誰なの?」
「はい、ベスです・・・お呼びだそうで・・・」
「あ、ベス?入って」
「はい。失礼致します」
お嬢様の声に樫の木で出来た分厚いドアを押すと、年月を感じさせる微かな軋みと共にゆっくりと開きます。
「今日はお願いがあって呼んだのよ」
「お願いですか?」
キャロルお嬢様はこのグランドール家の一人娘で今14歳。ちょっと我が侭なところもおありだけれど、とても可愛らしいお方です。お仕事で年の半分は屋敷をお空けになる旦那様も凄く可愛がっていらっしゃるそうです。もっとも旦那様は先々月から数ヶ月はいらっしゃらないということで、私はまだお目にかかっていないのですけど。
「お願いと言うよりお仕事と言った方がいいかもしれないわね」
お嬢様はオフホワイトのドレスを揺らすようにしてベッドに腰掛けられました。お嬢様を中心に上品な香水の香りが辺りにサッと散ります。
「確かラフィスの面倒はベスが見てたわよね」
「は、はい。それが何か・・・」
ラフィスというのは、お嬢様がお屋敷で飼っているハムスターの中の一匹の名前です。昨日の午後に私がエサをあげたときはいつもと変わりありませんでした。
「ま、まさか・・・」
「あ、死んだりしたわけじゃないのよ。安心して」
青ざめる私を落ち着かせようと、お嬢様は笑っておっしゃいました。
「ただね・・・」
お嬢様は縦に軽くロールしているご自分の
「今日の朝見てみたら子供を産んでたのよ。5~6匹ね」
「まぁ・・・」
・・・それはよう御座いましたね・・と言いかけた言葉を私は飲み込んでしまいました。お嬢様の表情がどうしてもそれを歓迎しているようには見えなかったからです。
「お屋敷で飼える数にはどうしても限界があるわ」
「そっ、それではっ・・・」
最悪のことを考えて身を強ばらせる私にお嬢様がこともなげに言います。
「そうね。始末しておいてくれるかしら」
「し、始末と言われましても・・・」
そんな残酷な・・・必死に抗弁しようと言葉を探しますが、とんでもない事態にパニックになっている私には適当な言葉が見つかりません。
「今までは産まれてきた子の後始末は全部ライアにやらせていたんだけど、ベスにもお屋敷の仕事に馴れてきたらやってもらうつもりだったの」
「そ、そんな・・・」
「お話はそれだけ。やり方はライアに訊いてみてね。今回はハムスターだからそんなに手間はかからないと思うわ」
私が呆然と立ち尽くしているのに、お嬢様はもう話は終わったとでも言いたげにサイドテーブルで詩集を広げてしまわれました。
「し、失礼致します・・・」
ライアさんに相談するしかないわ・・・お屋敷は広いから、お嬢様に分からないように他のところで育てることも出来るでしょうし・・。震えながら小さく会釈をするとお嬢様のお部屋を出ました。
「あら、ベス。お嬢様の御用はもう終わったの?」
玄関ホールに戻ると、階段を磨き終えたライアさんが雑巾を片付けていらっしゃるところでした。
「ラ、ライアさん・・・」
「どうしたの?顔色が悪いわよ」
「そっ、それが・・・」
一部始終を話す私に、ライアさんが溜息を吐きました。
「そっか。ベスには話しておくのを忘れてたわね」
「で、ですから、私たちで育てて・・」 「それは出来ないわ」
言いかけた私にライアさんがピシャリと言いました。いつもは私の言うことを一言一言全部聞いてくれるライアさんがこんなに冷たいのは初めてです。
「でっ、でも!」
「お屋敷の飼育小屋はもういっぱいだし、こっそりどこかで育ててもお嬢様にはいずれ分かってしまうわ。お屋敷外に逃がしたとしても絶対に死んでしまうし、第一そんなことをしていてはグランドール家の責任が問われるの。それに・・・」
そこで言葉を切って、ライアさんは私の目をじっと見ました。
「これはグランドールのメイドのお仕事なの。ベスもこのお屋敷から放り出されたくなかったら、嫌でもお仕事をするしかないのよ。分かるでしょ?」
ライアさんはこんこんと諭すように言います。・・・確かに、2年前に両親を亡くした身寄りの無い私には、このお屋敷を出て行くことになるなんて想像もつきません。
「今日は私も手伝ってあげるから一緒にやりましょうね」
ライアさんが私を優しく抱いて頭を撫でてくれています。私はその腕の中で不承不承頷くしかありませんでした。
「でも・・・始末するなんて一体どうやって・・・」
恐る恐る独り言のように問いかける私に、ライアさんは簡単に答えてみせました。
「簡単よ。踏み潰すだけ」
「ふ、踏み潰す・・・」
思わず、自分の履いている黒いエナメルのパンプスに視線を落としてしまいます。自分の足で生まれたばかりの命を踏み殺す・・・自然に両脚がガタガタと震えてくるのです。
「最初は袋に詰めて窒息させてたのよ。そしたら子供を捜していたマリアが嗅ぎつけてゴミ捨て場から死体を引きずり出してしてきたことがあったの」
ちなみにマリアというのはアイリッシュ・セッターの雌です。産んだばかりの子を取り上げられて、必死にお屋敷中を探し回ったのでしょう。
「それからは見分けがつかないように踏み潰しちゃうことにしたの」
照れたように舌を出すライアさんを私は信じられないような気持ちで見ていました。抵抗出来ない赤ん坊を挽肉のように擦り潰すなんて・・・いつもは優しいライアさんが、私に見せる笑顔の裏でそんなことをしていたなんて想像も出来ません。
「ベスも馴れたら何とも思わなくなるわ」
私の心を見透かしたかのようにライアさんが言います。本当にそんな日が来るんでしょうか。
「じゃあ用意してくるから、ベスは先に中庭へ行ってて」
「は、はい・・・」
ライアさんが廊下を飼育小屋の方へ向かうのを見送りながら、私は不安な気持ちのままお嬢様の部屋の近くのドアから中庭へ出ました。 外はいい天気でした。新緑の中に爽やかな風が吹いて、メイド服の上のフリルのついたエプロンを微かに舞い上げます。花壇をきれいな花が埋め尽くす、こんな生命の満ち溢れた空間で、私は小さな命たちを消し去ろうとしているのです。 物を踏むという行為を生まれてこの方、私は意識して考えたことがありませんでした。今まで何千歩、何万歩と歩き地面を踏みしめ続けた両足を持っていながら、そんなことは意識する必要もないことだったのですから。 考えながら中庭に立ち尽くしていた私は、お屋敷の横のベンチの脇に季節を過ぎた西洋タンポポが一輪咲いているのを見つけました。それはわずかに漏れる光の中で精一杯に咲いて自己を主張していました。私は何気なくその上に右足をかぶせてみました。軽く足を乗せただけなのに、タンポポの茎はパキッと二つに折れ、黄色い花はだらしなく下を向いてしまいました。あっ。私は思わず声を上げていました。 そのまま爪先を下ろすと徐々に体重をかけてみます。ペキペキと音を立てながら、タンポポの広がった葉が軟らかい地面に埋もっていきます。私にはそれはタンポポの悲鳴のように聞こえました。それと共に靴底に硬い花弁の感触が伝わります。私は何だか不思議な気持ちになり、いつしか夢中でタンポポを踏み躙っていました。パンプスの尖った爪先は黒いエナメルで日光をキラキラと反射させながら妖しく輝き、エプロンドレスから覗いている真っ白なガーターストッキングも私の瞳に眩しく光ります。 このときの気持ちは言葉じゃ言い表せません。ただ、なんとなく自分が大きく強くなったような感じがしたことだけを覚えています。それは初めての体験でした。
「ベス?何してるの?」
ライアさんの声がすぐ近くで聞こえて、私はあわてて視線を上げました。両手にタオルを抱えたライアさんが不思議そうに私を見ています。
「あっ、あの、その・・・」
「ふぅん。準備体操ってわけね」
ライアさんは私の足元を見ながら、ちょっと意地悪そうな笑いを浮かべました。さっきまでめちゃくちゃに踏み躙っていたタンポポは、靴底の模様を刻まれて土にまみれてグチャグチャになっていました。右足の甲にまで泥が跳ねています。私が何をしていたかは、傍目にも一目瞭然でした。
「うふふ・・・じゃあ、その調子で本番いきましょうか」
「え、えっと・・・」
何も言えずに赤くなっている私の頭を、ライアさんがまたよしよしと撫でてくれました。
「まぁ、ベスは初めてだから仕方ないか。最初に私がやるから見ててね」
ライアさんは花壇を囲んでいるコンクリの上にタオルの中身をポイッと放り投げました。何かしら赤黒いものがペチャッペチャッとコンクリに散らばります。よく見るとその一つ一つが小さい体をもそもそとくねらせて動いています。瞬間、私の中に本能的な嫌悪感が広がりました。この醜悪な生き物たちを殺すことが、なぜだかそれほど悪いことだとは思えなくなっていました。
「まずこうやって爪先で踏むの」
ライアさんはその中の一匹に足を構えると、機械的に右足で踏みつけました。コンクリの上に立ち上がるようにして右足の爪先だけに全体重をかけると、スッと足を離します。そこには押し花を広げたように、臓物全てを体外に吐き出した真っ赤な肉塊が押し潰されているだけでした。
「でもまだ形が残っているわよね?」
同意を乞うようにライアさんが私を見ます。私は思わず頷きました。
「だからこうして・・・」
今度は左足。パンプスをその肉塊の上に乗せると、また体重をかけてズリズリと左右に足を躙ります。ライアさんが4、5回足を捻っただけで、元ハムスターだったその赤いものはコンクリ一面に擦りつけられてリンゴの皮のように平らな何かへと姿を変えていました。見ている私も刺激的な光景に胸のどきどきが止まりません。
「さっ。次はベスの番よ」
「あ、はいっ」
先ほどタンポポを踏み潰したときに、私は自分の中の何かが変わってしまっていることに気付いていました。私は半分の不安、そして半分の期待をもって右足をハムスターの上に振り上げていました。パンプスの薄い靴底がハムスターを捉えているのがはっきりと分かります。その感触を味わうようにして、私は次第次第に体重を右足に移動させていきました。大して力を加えない内に、プチュッともビチャッともつかない異音を発して、ハムスターの体は私の足の下で弾けました。パンプスの爪先の前に腸らしき長い臓物が捩じれているのが見えました。それを見ていると我慢出来なくなって、私は靴底全体で思い切りペースト状に変わりつつあるその挽肉を踏みしだいていました。
「いいわよ。それでいいわ」
ライアさんは薄く微笑みながら足元の一匹に目を落としました。
「こんな感じでもいいわ」
ライアさんは長い髪を振り乱しながら左足のパンプスの踵を一気にハムスターの子に叩きつけました。メイド用のぺったんこなパンプスは、ライアさんの残酷な意志を伝えて、その踵で一瞬の内にハムスターを引き潰します。そのとき勢いが余って、右足の足首の辺りに小さい血痕がブッと飛び散りました。それに気付いたライアさんが不機嫌そうな顔をします。
「んもう!また洗濯物が増えちゃったわ。最後はベスがまとめて敵を取るの」
怒ったような、そして半ば楽しんでいるような感じてライアさんが残った3匹のハムスターをコンクリの中央に足でおもむろに蹴り寄せました。
「さ。ベスが全部グチャグチャにしてやって」
「は、はいっ」
私は躊躇せず両足でその上に飛び乗っていました。硬いコンクリに混じる軟らかい存在を感じながら、足踏みをするように乱暴にかわるがわる踏みつけます。ピンクのリボンで結わえたツインテールが大きく揺れ、可愛いスカートとエプロンがめくれます。でも、そんなことも私の興奮を増すことにしかなりませんでした。今までの16年間とは違ったサディスティックな自分の発見に酔っていたのかもしれません。清潔なカチューシャにフリルとレースだらけの愛らしいエプロンドレス、そして清楚なエナメルのパンプスでこんなひどいことをしているなんて、つい昨日までは考えも及ばなかったことでした。
「も、もういいわよ、ベス」
あまりに熱心に私が踏みつけ続けているので、ライアさんが苦笑しながら私を止めました。その頃には私の足元には湿った赤黒いコンクリがあるだけでした。
「うふふ・・・ベスにも属性があったみたいね」
荒く息を吐いている私にライアさんが嬉しそうに言います。
「一つ教えてあげましょうか?」
「はぁはぁ・・・はい?」
「こういう後始末は私だけじゃなくてお嬢様もたまにやってらっしゃるわ」
「・・・え・・・」
私は耳を疑いました。
「それも私なんかよりもっと残酷なやり方でね。お嬢様は一気に殺したりはしないわ。散々いたぶって最後にヒールで串刺しにしたりするの」
「・・・そんな」
「でもベス、あなただってさっきは楽しんでいたでしょ。凄く嬉しそうだったものね」
「そ、それは・・」
「いいのよ。私だって結構楽しんでやってるし、少しは楽しみがないとこんなこと出来ないわ」
「そうでしょうか・・・」
「そう。ベスはお嬢様の言いつけ通りにしてればいいのよ」
ライアさんはパンプスの靴底についた血糊をそこらの雑草に擦りつけながら言います。
「ベスも靴はきれいにしておいてね。お屋敷の絨毯を汚しちゃうとお掃除が大変でしょ」
「は、はい」
「今日はベスと一緒だったからだけど、いつもは始末用の靴を履いたりするのよ。ベスもお嬢様に言いつけを受けたら言ってみればいいわ。こんな靴が欲しいんですってね。」
「はい・・」
靴底をきれいにした私たちはお屋敷に戻っていきました。そしてその次のお言いつけをキャロルお嬢様に頂いたのはその半月後のことでした。
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