火星の砂

火星の砂

作者 明松 夏


 夢を諦めた高校生が火星の砂と教師の導きで再び宇宙飛行士を志す物語。

https://kakuyomu.jp/works/16818792438506632102


 ダッシュはふたマスで、というのは気にしない。

 SFジュブナイル。

 夢を諦めかけた少年が火星の砂に触れて再び歩み出す青春エンタメ小説。 

 宇宙を目指すというシンプルで壮大なテーマと「夢を諦めた少年が再び立ち上がる瞬間」を描いたエモーショナルな作品。

 文体は読みやすく、心理描写にも熱がある。

「火星の砂」を直接手にした瞬間の心情と幻想的な描写には力があり、主人公の人生の転換点を鮮やかに構成している。

 十分、読み応えがある秀作。


 主人公は男子高校生の成田空。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現代的で軽いテンポながら情緒は純文学寄り。内面描写が丁寧で、心情を「モヤ」「煤」「接着剤」など比喩的に表現している。五感描写が豊かで台詞が多く、日常ドラマの軽妙さと内省的なトーンの落差が効果的。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 三幕八場の構成からなっている。

 一幕一場 状況の説明

 小学生の主人公・成田空はテレビ越しに火星着陸を見て「次は僕が」と夢を抱く。時は流れ、高校生となった彼は夢を諦め、進路希望調書を白紙のまま悩んでいる。

 二場 目的の説明

 クラスで天才児・中村の進路が話題になり、友人悠太は「熱中できるものがない」と愚痴をこぼす。空は「自分の夢も同じか」と黒いモヤに覆われ始める。

 二幕三場 最初の課題

 大好きな地学の授業で「火星の砂」を見せられる。赤い粒を手に取った空は抑えていた想いを思い出すが、同時に「無理だ」と諦めの声も強まる。

 四場 重い課題

 進路希望を出せず担任に呼び出される。友人悠太は「行きたい理由がある奴が羨ましい」と言う。空はますます自分の立ち位置を見失い、煤に塗れたような感覚に苛まれる。

 五場 状況の再整備、転換点

 放課後、空は校内の「宇宙飛行士募集ポスター」を見て心を揺さぶられる。だがすぐに自分に器がないと打ち消す。その瞬間、地学の田沼先生に「宇宙飛行士になりたいんですか」と真正面から問われる。

 六場 最大の課題

 先生に連れて行かれた理科準備室。そこに広げられた「火星の砂」に飲み込まれた空は、幻のように火星の光景を体験し、震える手で砂に自らの指跡を刻む。黒いモヤと接着剤は剥がれ、夢が再燃する。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 貴重な砂を受け取ることに戸惑うが、先生は「君こそ相応しい」と手渡す。紙とペンを取り出した空は白紙だった進路希望に「宇宙飛行士」と力強く記す。

 八場 結末、エピローグ

 少年は夢を再び掴む準備をした。まだ道は遠いが、宇宙は東京から宇都宮ほどの距離にある。数年後、未踏の惑星に足跡を刻む日を信じて物語は終わる。


 火星人類到達のニュースの謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関係し、どんな結末に向かっていくのか興味が湧く。

 遠景「液晶テレビの向こう側。そこでは火星が広がっていた」で、地球から遠く隔てた宇宙の出来事を描き、近景は少年の目の前に赤い砂と宇宙飛行士たちの足跡の描写が具体化され、心情「僕は小学生ながらに『次は僕だ』と確信した」憧れと夢の萌芽ががられていく。景色を挟んでから次第に主人公の心情へ移る典型的な冒頭として整っている。


「進路希望が白紙で、提出期限に追われる」は迷って立ち止まる弱さが人間的で切なく可哀想に思える。

「悠太と学食の話題でツッコミ合う」「唐揚げを食べられそうになる」は等身大の高校生らしいやり取りから人間味を感じる。

「宇宙や地学の授業に真剣に向き合い、目を輝かせて聞いている」は真面目さと純粋な情熱を好意的に捉えられ、誰もが望むし知るである。

 これらに興味を持ちか共感して読み進めていける。


「黒いモヤ」「接着剤」「煤人間」といった比喩が映像的で心理を的確に伝えているのがいい。火星の砂を前に現実と幻が重なる場面はクライマックスにふさわしい。青春小説的な「進路の悩み」と「夢」という普遍性のある題材が重なっているのもよかった。


 悠太の「目かけて」→「目をかけて」

 このあと、主人公も「目をかけて」と出てくるのは重複っぽく感じるので、注目されている、期待されているなど、違う表現をするといいのではと考える。


 五感の描写は、視覚で夢を見せ、聴覚で場面を切り替え、嗅覚で空気を変え、味覚で心情を投影し、触覚で決意を証明する書き方をしている。

 視覚「酸化鉄を含む赤い砂」「重厚な宇宙服を被った飛行士が五人」「くっきりと足跡が残されていた」「赤く細かい粒子」「朱色の大地」「オリンポス山」「マリネリス渓谷」「白紙の進路希望」「火星に降り立った五人の宇宙飛行士が笑顔で写っていた」色や形を通じて、夢と現実を映像的に描いている。

 聴覚「ガガガ、と前の席の椅子が引かれ」「ガタンと揺れる机」「からんころんと転がり落ちるシャーペン」「びゅおうん、と砂嵐が僕の耳元で鳴る」「囂々とそびえ立つ」「チャイムが授業の終わりを告げていた」擬音で日常と非日常の場面転換を表す。

 触覚「俊敏な動きでシャーペンを拾い」「顔を赤らめながら」「ざらりとした感触。ひんやりと乾いた感触」「揺れる指先を火星の大地に…力強く押し当てた」「そこには僕の指紋が残っていた」「足の裏に強力な接着剤を塗られた人間のよう」「煤に塗れている」「頬に流れる水温を感じながら」砂の感触や身体的比喩で葛藤や決意を身体化していする。

 嗅覚「コーヒーの芳醇な香りが鼻腔をくすぐった」「薬剤の匂い」匂いで空間の象徴や現実、非日常の境界を示している。

 味覚「唐揚げを口に含んだまま」「味のしないコンビニ弁当」「学食がうめぇらしい」食べ物の味に心情を反映させている。


 主人公の弱みは、自分を「器でない」と決めつけて夢を遠ざける臆病さがあること。決断できずに「進路希望調書」を白紙のままにする優柔不断さ、他人と比較して「劣等感」と「嫉妬」に囚われる自意識もある。


「進路の雑談」「中村の評価」などが細かく描かれ、人物や状況がわかりやすく伝わってくるところはいい。主人公の学校生活を感じられるし、友達関係もわかる。ただ、少し長く感じる部分があってテンポを削いでいる気がする。

 中村の天才性や悠太の迷いは整理して短く示し、「主人公自身の夢への揺らぎ」にすぐ繋げると読者が早く本題へ入り込め、大切な火星への強い想いがより早く際立ち、読者の期待を逃さずグッと引き込めるようになるのでは、と考える。

 また、終盤の盛り上がりをより生かすために中盤での緩急を整理する余地もある気もする。

 

「黒いモヤ」「煤」「足の裏の接着剤」など、主人公の停滞を比喩する言葉が何度も出てくる。その中から印象的な一つに絞り、強くくり返すことで象徴にできるのではと考える。

 火星に有人着陸したニュースから宇宙飛行士を夢見るので、煤という表現はあっている気がしてよかった。

 煤が大きくなって黒いモヤが広がる。それだけ不安や迷いの霧が大きくなっていることを表現したいのだろう。先が見えないので動けない様子を、接着剤を用いて表している。段階的に変化しているはず。

 足が動けるようになり、黒いものが吹き飛んで視界がクリア、迷いの霧が遠ざかったのだ。

 主人公の内省、苦悩を整理し、それに合わせた比喩を段階的に用いたら、成田空の迷いをより強く焼き付くよう描けるのではと考える。

 

 先生が実物試料である火星の砂を机上にばらまくのは、現実的には少し唐突に感じられ、現実的に無理がある。

 砂を広げてもいい整合性や理由説明がほしい。

 たとえば「採取された砂は多く、すでに調査を終えた砂だから、学校教育に用いるために譲り受けた」みたいな、砂を広げても大丈夫な説得力がほしい。

 主人公はそういうことを知らなくて驚き、そのあと先生から説明を聞いて納得しつつも恐る恐る手に触れる流れにすれば整合性は取れるし、クライマックスに説得力が増して、読者は安心して没入できると考える。


 主人公が指紋を火星の砂に刻み、夢をもう一度抱く瞬間は力強く描けている。

 読み手の記憶に残り、作品全体を支える重要な場面を引き立てるため、そこへ向かう導線を少し整理し、比喩を精鋭化、演出に厚みを加えるだけで、さらに読者を揺さぶることができるのではと考える。

 書きたい熱量は強く伝わり、夢物語は宇宙へ飛び立つ準備が整っているだろう。


 読後、タイトルを見直す。

 たかが砂かもしれないが、果てしなく壮大な夢と人生を激変させる偉大な砂である。火星のように、主人公の心は赤く燃えているだろう。

「うじうじしている少年が火星の砂で夢を取り戻す」展開に胸が熱くなる。共感できる進路の悩みと、最後の一歩を踏み出すシーンが感動的だった。

 テーマ、構成、比喩はよくできていて、表現が丁寧で心情の高まりもよく描けている。整理と研磨で商業的に売り出せそうな作品になりそう。



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