第2話 傍観の女騎士①

皇歴2430年。

場所は王都メルシージャ。


「イブキ様!! 第四辺境地イビタスが魔王軍に襲撃されました!」


部下のグエル――誉ある勇者の右腕とて常に冷静な態度を崩さぬはずの彼がいつになくひっ迫した声で青髪の女騎士に報告する。


場所は王都の中心、王国を守護せし勇者たちの威光を象徴する純白の大理石で建てられた大聖堂エイクリス。王国の威光を象徴するものでもあるこの大聖堂には、勇者の中でも特に力を認められた者とその従者しか入ることが出来ない。


その大聖堂の中央で大剣を杖のように体の前に携え、背をピンと伸ばし部下の報を聞いた女騎士は感情の高ぶりを抑えるように目を閉じ、大きく息を吸って吐いてから落ち着いた声色でグエルに問う。


「被害の程は?」


「兵士五百人が殺され、民間人にも被害が出ております!」


「敵軍の規模は?」


「魔界の軍勢はおよそ二千体の魔獣と、十の魔界兵であります! 応援に向かった勇者イシュア様はケンタウロスの攻勢に遭い戦死されました!!」


ギッ、と奥歯を噛みしめる女騎士。

魔界の魔獣——スライムやゴブリンを始めとした低能種族は知能が低く単騎では使い物にならないが、ケンタウロスや狼男ウルフマンなどの人間に近い知能を持つ種族が”魔界兵”として指示を出すことで彼らは物量攻勢と意図のある動きが可能になる『兵団』と化す。


パワー勝負にこだわり智略の類を嫌った前魔王のヴァンデバウアと異なり、知略に富んだ動きで人間界を攻撃してくるのは現魔王の特徴——報告は聞いていたが、ここまで魔王勢が強いとは予想外だった。


「イビタスから先に被害を広げることだけは何としても阻止しなくてはなりません。王都より”双子勇者”のジェン、オルスを応援に向かわせ、イビタスの隣、第三辺境地キーワの軍勢を応援に向かわせなさい」


「はっ!」と敬礼するグエルに、女騎士はやや声のトーンを落とすと続けて言った。


「勇者が魔王軍に殺されたなどと知られれば王国の動揺は必至。イシュアの死は王国民に知られてはなりません。イシュアのご遺族には⋯⋯私から話します」


「⋯⋯はっ!!」


去っていくグエルを凛とした姿勢で見送る女騎士。

しかし彼が去ってすぐにふらりと足をぐらつかせると木の椅子に腰を落とした。


百戦錬磨の勇者といえど体力は有限。まして王国未曽有の危機である現在において魔王軍を相手する難しさが如何ほどかを彼女は今まざまざと思い知らされていた。


「⋯⋯いけません。このイブキ・フィニータスが弱音を吐くなど、いや顔色の一つでも不安を見せるなど決して許されません」


己を鼓舞するように呟く彼女の名はイブキ・フィニータス。

王国第八位英傑にして、『冷血の勇者』の名を冠する勇者である。


この世界——数多の種族が住むこの世界における二大巨頭、『王国』と『魔界』の王国を守護する勇者の中でも特に優れた英傑と目される彼女の目下の悩み、それは魔王ヴァンデバウアの死後新たに現れた魔王ヴァルミューダである。


智略で人間界をじわりじわりと追いつめていく現魔王の戦略は王国にかつてない危機をもたらした。王国と魔界に接した辺境地は次々と魔王軍の手に堕ち、中立地と名高い夕刻の丘すら既に人間界の者は入れない――即ち、魔界の手に堕ちている。


イブキは冷静さを取り戻そうとするように、羊皮紙に描かれた王国の地図を取り出した。まずは全体を冷静に俯瞰し、攻略の糸口を見つけなければ――


そんな思いを嘲笑う魔王の声が聞こえた気がした。

既に堕とされた集落には赤いバツ印、劣勢にまわっている集落には赤色の丸と印をつけられた地図は魔界と人間界の境界線から人間界を包囲するように真っ赤に染まっていた。それもただ力任せに侵略しているわけでないのも一目瞭然だった。


どこかの兵を少しでも他所に動かせば、手薄になった場所を瞬く間に制圧される絶妙な塩梅の距離感と兵の分散。地形も湿地の多い場所にはスライムや海洋種の魔族、砂漠地帯には乾燥に強いゴーレムを配置。森林地帯にはダークエルフ。そしてどんな環境にも耐えうるヴァンパイアなどの上位魔族を将として配置する周到ぶり。


「このままでは王国は⋯⋯!!」


やられる。


そう直感した彼女を誰が責められようか。


「なあにをやっているのかねえ!! イブキ第八位!!」


突如大聖堂に木霊したしわがれ声にイブキの背筋が伸びた。

カンッ、カツン、と杖が大理石を叩く音が近づいてくる。

今一番彼女が声。心拍数が上昇し呼吸も荒くなる。しかしこの男の前では平静を装わなくてはならないと知っている。


「⋯⋯アルガスタス閣下」


ブリオ・アルガスタス。

王より公位を賜ったアルガスタス家の重鎮にして、王国を統治する『七公』の一角。従者を従えた彼は勇者しか立ち入れぬはずの大聖堂にも我が物のように出入りできるし、それを咎められるものなど誰もいない。萎びた体に純白の聖布を纏い、ニスで磨き上げられた杖には国宝の名を冠する宝玉が輝く。それはかの男の権力を表す象徴である。


「ぼかあ、君が優秀と聞いていたがねえ、どうやら勇者を一人君が『殺した』そうじゃないか」


グッ、と拳に力が入る。


私が殺したわけではない。

どこの誰とも知らぬ者が命令を下したのだ。さもなくば戦況最悪のあの状況で――『死にに行くような状況で』あの優秀な勇者イシュアを捨て駒のように戦わせに行かせるものか。


だが言い訳などしたところで意味がない。

王国屈指の権力者、アルガスタス卿がそうだと言ったのならそうなのだ。それに少しでも逆らうようなニュアンスを匂わせればアルガスタスは機嫌を損ねるだろう。

粗相をしたメイドを――たった一滴茶を零しただけのメイドを全裸に剥き、棒叩きにし街に晒したという噂があるこの男を怒らせるなど万に一つもあってはならない。


「⋯⋯申し訳ございません」


「僕に謝っても仕方ないじゃないかねえ。イシュア君の遺族には、責任者の、君が、しっっかりと頭を下げて謝るんだよお」


「⋯⋯はい」


「それとお、君はどうやら兵を動かすのに向いてないみたいだねえ」


「⋯⋯はい?」


「戦況はどんどん悪くなっていると聞くねえ。今、兵を動かしているのは君だ。なら戦況の悪化は君に責任がある」


「お、お待ちください閣下!!」


確かに兵を動かす任を一部担うのはイブキだ。

だが、彼女は第八位——即ち、わけで決して最高指揮官というわけではない。

それに彼女の担当する戦況区は他と比べてまだ被害が少ない方だ――イシュアを失ったイビタスの戦いは別の指揮官から彼女が指揮権を受け継いだばかりのもので、受け継いだ最中にイシュアの死の報が飛び込んできたのだ。


「⋯⋯ん? 何か文句があるのかね?」


だが皮膚がたるみ頬はこけ、さながら妖怪のようでありながら眼球だけはぬらぬらとカエルのように大きく見開かれて光っているアルガスタスの顔を見た瞬間に、イブキは強烈な『危険』を直感的に感じ取った。


「つまり、この戦況の悪化は自分のせいではないと⋯⋯「自分ではない誰かのせいだ」と君は言いたいのかね?」


「いえ⋯⋯そうでは⋯⋯!」


「がっかりだねえ。これまで死んでいった兵たちは君のような無責任な指揮官に命を委ねて死んでいったというわけだ」


するとパチン、とアルガスタスは指を鳴らした。

それを待っていたように大聖堂の入り口から一人の男が現れる。イブキと同じく大剣を帯びた男——勇者であるが大聖堂へ入ることを許される”英傑級”ではない様に見えた男だが、彼の顔を見た瞬間にイブキは全てを悟った。


――図られた、と。


「君の代わりに彼に兵を指揮してもらうよ。イバン・テルーズ君だ」


ニヤニヤと不遜な笑みを――第八位の英傑に対して向けるようなそれではない表情でこちらを見る若い男は「よろしく」と年上であるイブキに告げる。


イバン・テルーズ。


アルガスタス家直属、テルーズ家の長男坊。

勇者としての才はないが、その血筋とブリオ・アルガスタスに幼少期から寵愛を受けていたことで知られ、「不思議な力で」出世していた男。


(このっ⋯⋯男はっ⋯⋯!!!)


男——ブリオ・アルガスタスに対する激しい不満。

しかし口には出せない。心の中で呟くしかない。


イブキは激情を鋼の精神力で抑え込んだ。


「⋯⋯よろしくお願いします」


ただ一言、第八位が”頭を下げて”イバンに言う。


「君は腕だけは立つようだからねえ、戦力の足りない場所に行って戦ってきてあげなさい。いいかね?」


「⋯⋯はい」


戦力補強という名の左遷か、内心呟くイブキ。

そして何より――魔王軍襲来という状況にも関わらず兵の指揮という要職を実力度外視で『自分のお気に入り』にするという暴挙。


確かにイブキが魔王軍に対し功を成せば、彼女と”彼女の背後にいる後ろ盾”はそれを理由に力をつけるだろう。それをブリオは嫌い、イブキを要職から外した。そして代わりに自分の傀儡であるイバンをその席に据えたのだ。


(国の一大事にこの男は権力争いしか頭にないのか!!)


心で吐き捨て立ち去るイブキ。

こんな汚らわしい男など近くにもいたくはない。氷のような表情を変えず、鎧をきしませてツカツカと足早に歩き始めた。


しかしここで、イバンとブリオの声がイブキの地獄耳に確かに入った。


「⋯⋯あのイシュアという勇者。優秀と聞いたので戦力の足しになるかと思いイビタスに送りましたが、何の成果も残さず死にましたね。兵を動かすのは簡単だと思っていたのですが、そうでもないようです」


「まあまあ、それも経験だ。勇者なんぞ他にもいる。次は上手くやるといいよ」


カチン


鳴り響く金属音。


イブキの右手は帯びる大剣の柄に伸びていた。

それを辛うじて理性の利く”左手”が抑えていた。


大聖堂内で剣を抜く行為は許されない。


いや、例えしかねなかったそれを辛うじて止めたのはイブキの理性だった。


彼らの顔を見たら今度こそ剣を抜いてしまう。


だからこそ振り返りもせず足早に聖堂を去ったイブキ。

しかしどうしても、この思いだけは拭えなかった。


この国はどうしようもなく腐っている―――

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