傍観の勇者

名無しの男

第1話 勇者誕生と魔王消滅

時は皇歴2400年。

王国の辺境地で勇者は生まれた。


ガンレッド。それは勇者不毛の地。

数多の猛者を生んだ英傑の大地「ハバレス」や、魔女の大国と称される「マーモッド」には到底及ばず、雨も降らぬために大地も痩せ、工業も先細りの一途を辿る王国の外れに位置する辺鄙な村。


荒れ果てた荒野と、人より人喰いの魔物の数の方が多いというふざけた土地柄。そんな場所に優秀な人材など集まるはずもない。故に、血統の優秀さが物を言う『勇者』の素質を持つ者など現れるはずもないと思われていた。


そんなガンレッドの日雇い農夫と、情事で小銭を稼ぐ娼婦の間に”偶然”生まれた子供——期待など持たれるはずもない。一時の快楽によって生まれてしまった忌み子。そんな蔑称を囁く者すらいた。


ハバレスでは勇者と魔女の間に子供が生まれれば新たな勇者の誕生を喜ぶパーティーが三日三晩開かれる。しかしガンレッドで彼の誕生を祝う者はいなかった。


子供は娼婦の母国であるマーモッドと、故郷ガンレッドから名前を取り、「マーレッド」と名付けられた。それはかつて魔女を目指しながら挫折した娼婦の怨念じみた執着と、ガンレッドの荒れ果てた大地への僅かな愛着の表れだったのかもしれない。


子供が生まれてすぐに娼婦は病で死に、農夫も魔物に襲われ死んだ。農夫が殺されたとき子供も傍にいた。まだ抵抗を知らぬ稚児、喰われても仕方がない。しかし奇妙なことに稚児を喰うことなく魔物は去った。腹が満ちていたからか、魔物にも憐憫の情があったのか⋯⋯はたまた『喰えなかった』のかは定かでない。


親を失った稚児はガンレッドの村長に引き取られた。


ガンレッドの村長、ルードはかつて剣聖を生み出した剣の大国「ゼン」で修業を積み、勇者を目指していた男だった。しかし己の才の限界を悟り、世を捨てるようにゼンを去ると世界中を放浪。気づけばガンレッドに流れ着いていた。


幼き稚児はルードの元で年を重ね、齢五歳となった。

そんな彼が、かつてルードが日夜振り続けた古めかしい木刀を見つけたのは神の悪戯か、はたまた悪魔のささやきか。


木刀を手に取り「これで遊んでいい?」と聞くマーレッドにルードは木刀を渡す。中には鉄芯が入れられ、鋼のような肉体でなくばまともに振ることもままならない――ルード自身も年老いた今では振ること叶わぬだろうそれをまだ幼いマーレッドに渡したのは、かつての己の鍛錬の証がいかに『重い』かをマーレッドに伝えたかったからだった。


そして、マーレッドは木刀を手に取り、


振った。


あっさりと。


ルードの膝から力が抜けた。

目が白黒し、気づけば泣きながら地に伏せていた。


齢七十。かつて剣聖との手合わせで骨の髄に至るまで叩きのめされ、才ある者との間に計り知れぬ差があることを理解わからせられたあの日の絶望が蘇る。剣聖を目指した日々はあの日終わりを告げ、物心ついた時から肌身離さなかった剣をへし折り、泣きながら谷底に投げ捨てゼンの地を逃げるように飛び出した日の記憶が脳裏に浮かぶ。


この子は天才だ――


一片のブレもない美しい太刀の動きは芸術のよう。

剣聖の剣舞で見て以来のそれを初めて刀を握った幼子がしてみせた。


かつてゼンで数多の勇者を目にし、勇者ならずとも剣のみで身銭を稼ぐ剣客を見てきたルードだからこそ、たった一回の振りで全てを理解した。この才能はガンレッドの枯れた大地で失われるべき才能ではないと。


かつてのルードならば烈火の如き嫉妬を子供に向けただろう。

しかし年老い、後進に道を開くことを生涯の使命と悟ったルードの足は、王都の中心、勇者の街「メルシージャ」へと彼を走らせた。


全てはガンレッドの鬼才、マーレッドに英才教育を施すため。

そのためには王都の勇者学院への入学を許可されなければならない。


メルシージャの領主、ファン・レオンはかつてゼンでルードと寝食を共にした友人にして元勇者だった。半世紀ぶりに顔を合わせた友が血相を変えて「マーレッドを見てくれ!! あの子を勇者学院に入れてやってくれ!」と叫ぶのを見たファン・レオン。ただ事でないことを理解し、ファン・レオン自らガンレッドへ赴いた。


そして、マーレッドに会ったファン・レオン。


マーレッドの顔を見ただけで彼は理解する。


「学院への入学を手配しよう。必要な資金は全て私が出す。この子は百年に一人の逸材だ。いずれ魔王にも牙が届きうる怪物だ」


王国の宿敵、魔王ヴァンデバウア。

人間界ヒューマーズ魔界モンスターズに世界が二分されたその元凶にして魔王界の覇王をいずれ打ち倒しうる逸材とファン・レオンは予見した。


ガンレッドを離れることが決まったマーレッド。

“忌み子”の名を頂戴し、差別も受けたこの地に未練はなかった彼だが唯一ルードだけには情があった。彼はルードと共にメルシージャで過ごすことを望んだが、ルードは自らマーレッドを諭す。勇者たるもの一人で強く生きよ、私には村長として村を守る使命があるのだと。


そうしてマーレッドとルードは別れた。

マーレッドが勇者として立派に育つ様を一番近いところで見ていたい。そう思う気持ちに蓋をしたルードは、マーレッドの去った夜に一人泣いた。


そしてこれが二人の今生の別れとなった。


マーレッドが村を去った翌年。魔界の軍勢が国の辺境地に侵攻。まさに戦場はガンレッドであった。王国軍の援護により侵攻は食い止められたが、村は崩壊。ルードは魔王軍に一人立ち向かい戦死した。死した彼の手には真っ二つに折られた年季の入った鉄芯入りの木刀が握られていたという。


そして月日は流れる。


マーレッドがガンレッドを去ってから十五年。


数多の魔王軍の攻勢を単騎撃退し若き稀代の英傑と称される一人の勇者が、勇者最高の誉であり、最も危険と称される偉業『魔界遠征』に挑んだ。


挑む勇者の名はマーレッド・ファン・レオン。

名家ファン・レオン家の長男にして、勇者学院を首席で卒業した時代の寵児。


精悍な顔立ちに銀髪が陽の下に生える青年。勇者の多くが甲冑に身を包む中、麻の質素な上掛けに薄地のロングパンツで戦場をかける姿はかの伝説の魔獣、ペガサスのようであると称された。


数名の彼を補佐するチーム――いずれも勇者学院時代の同級生であり、稀代の天才集団と呼ばれた勇者と魔法使いの混合部隊のリーダーとして、魔界遠征に挑んだマーレッドは初回の遠征で魔王軍幹部にしてゴブリンの王「ゴブ・ルグ」を討伐する偉業を成しとげ人間界へ帰還した。


そして報復のため人間界へ侵攻した魔王軍をマーレッド自ら撃退すると、敗走する魔王軍勢に向け高らかに宣言した。


「次は魔王ヴァンデバウア。お前の首を頂く」と。


それに応えたのは史上最強の魔族と謳われた魔王ヴァンデバウアである。

吸血鬼ヴァンパイアとダークエルフとの間で生まれたヴァンデバウアは吸血鬼の不死能力と再生力、ダークエルフの魔力、そして両者の身体能力を高次元で併せ持った怪物である。


そしてヴァンデバウアは戦いを好む豪傑であり、堂々とした決闘を好む男でもあった。かつて魔界の奴隷兵だった彼が魔王の座を前魔王との一対一の決闘で奪ったように、立場や命惜しさにマーレッドの決闘の申し出を断るヴァンデバウアではなかった。


『決戦の地、夕刻の丘で待つ。一人で来い』


魔王軍の遣いからマーレッドに向け届けられた魔王直筆の書状。

人間界の魔界の狭間に位置する丘。常に夕刻のように空が赤く染まっていることから夕刻の丘と名付けられた場所を魔王は決戦の地に選び、勇者はそれを受諾した。


何かの罠かもしれないと同伴を訴える者達にマーレッドは言う。

ヴァンデバウアはそんな卑怯なことをする男ではないと。仮にそうであっても、このマーレッドが負けるはずがないと。


そして皇歴2420年。夕刻の丘にて。

闘いは一カ月間。休みなく続いた。


大気が震え、遠く離れた人間界、さらには魔界の首都からもその魔力の波動が伝わるほどの戦いがたった二人によって引き起こされてることに世界は恐怖した。

そして確信する。このどちらが勝利したとしても時代は変わると。


一カ月続いた魔力の波動が止まったのは、魔力のぶつかり合いによる大気の乱れ、それで引き起こされる異常気象にも人間界、魔界の両者が慣れ始めた頃だった。戦いの終わりはシンプルな一つの結末を示す。


どちらかが生き、

どちらかが死んだ。


固唾を呑んで待ち人たちは待った。

勝者は敗者の武器——マーレッドならヴァンデバウアの持つ魔剣ジュド、ヴァンデバウアならマーレッドの持つ聖剣ゼルを持って帰還すると決まっていた。


そして、勝者は夕刻の丘の夕日を背にしてやって来た。


黒艶の刃に魔鉱石による優美な装飾を施された魔剣。マーレッドの愛用する聖剣より一回り大きなそれを背に背負って、聖剣を掲げた勇者の姿が王国に帰ってきた。


その日、世界は知ったのだ。


魔王ヴァンデバウアは死んだ。

人間界に平和がもたらされたのだと。


そしてこの日、勇者マーレッドは伝説となった。



=================



それから、時は経ち皇歴2430年。


王国は再び現れた魔王の危機に瀕することとなる。


しかし⋯⋯王国にマーレッドの姿はどこにもなかった。

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