世界の果て 二人と一匹

白雪花房

正面 始まりと終わりの都 汐崎

第1話 運河の都と冒険者の同居人

 夜が降りると運河にあいの闇が溶けて、黒い空に欠けた月が浮かぶ。冷涼な光を浴びて水辺の高殿は、無機質に輝く。

 静けさに沈んだ街を宿の窓越しに眺め彼方へ視線を向ければ、いだ海をすべるように走る汽車。

 ポッポーと汽笛が鳴るのに合わせて、鐘の音が聞こえる。とむらいを示すように重たく、物悲しい響きだった。


 夜が明ける。

 太陽が昇ってなお薄暗い室内で、ゴロゴロと寝転がる。周りのガラクタはあえて無視、砂色の壁だけを見つめてる。


 下層で惰眠だみんむさぼり、何日経っただろう。

 気温が一定で植物も常緑だから、季節すら分からない。

 自分自身が何者かすら、分からない。


 観た創作、読んだ物語といった空想は、記憶にある。

 なんとなくこの世界は現実とは違うと分かっている。西洋ファンタジーにしては和風寄り、モデルとなった国は特定できないなとか考えていたのだが。

 自分のこととなると、頭が空白に染まる。

 なにかがごっそりと抜け落ちていた。


 かろうじて脳の片隅に引っかかるのは、蒼汰そうたという名前。

 黒髪黒目で中肉中背、色せた丸首に地味なジャンパー・ダサいスウェットという格好。

 現在いまも同じ。

 ほかの情報はぼんやりしている。


 霧がかった世界を彷徨さまよい気がつくと、波止はと場に立っていた。

 幽霊船じみた透明なはん船が行き交う様を横目に、ぼうっとしていると、声が掛かった。

異邦いほう人」

 凛とした声だった。

「入口と終点の港、汐崎へようこそ。いずれ静寂の海に沈む魂よ、あなたに永遠の安らぎを与えましょう」

 古風な身なりの女は抑揚よくようなく伝え、一礼する。義務的で感情を隠した態度だった。

 顔を上げる。重ね襟の衣をまとった肩で、つややかな黒髪が弾む。

 短冊の形に切り揃えた横髪が切れ長の目を挟み、深い湖を凍らせたような瞳と視線が合うと、一気に彼女の世界観に惹き込まれた。

 いままでに感じたことがないであろう、衝撃。

 後にも先にも想像できないくらいの、美しさと神秘性。

 だからこそどこか懐かしく琴線きんせんに触れる感覚があるのが、不思議だった。

 まるで以前出逢ったことがあるような、心の壁に針のように引っかかる痛みがあるような、なんともいえない気持ちだった。


「まずは宿に案内しましょう」


 連れていかれたのは水路のスレスレに建つ、下階の部屋だった。

 雨が降れば一瞬で沈みそうだし若干カビ臭いけど、ジメジメとした環境は僕に合っている。

 同じ境遇の者はたくさんいるようで、時折外界からふらりと訪れては階層ごとに散らばり、影のように姿を消す。

 彼らの行方は誰も知らない。


 ***


 ガチャッ。

 戸が開く音がした。

 ムクリと振り向く。

 ハスキーがかった女の声。

「今日もまたずいぶんとしけてやがるじゃないの」

 バサバサと毛先を散らした金のショートヘア。浅黒い肌に、くっきりとアイラインを引いた女だった。

 腕まくりした太いストライプ柄の襟シャツに、七分丈のタイトパンツ。

 スタイル抜群ではあるけれど、彼女を異性として見れなかった。


勇璃ゆうり、今度はなにを持ってきたんだ?」

 女はニカッと口をつり上げた。牙のように尖った歯をのぞかせ、腕を上げた。

「おらよ、木彫りだ」

 転がってきたものを拾い上げると、煎餅せんべい色した人形だった。壁際に置いた。脇にはこけしや土偶などが家族のように並び、滑稽なデザインの小物の群れは、全部合わせると陣を刻んだ形に見える。

 いつの間にかコレクションが増えて、オカルトに傾倒けいとうしたような部屋になってしまい、角に設置したシックな木箱だけが浮いている。


「それで、なにか見つかったかい?」

「まだまだこれからだ。でも後少し踏み出せば、辿たどり着く!」

 左手に別の土産を握りしめ、力強く言い切る。トロピカルで甘い匂いということは、菓子類かな。

 床に放ったポップなデザインの箱には《人間焼き》と、物騒ぶっそうな字面がある。

 確かに人形ひとがたではある。鬼ヶ島にでも遊びに行ったのか?

 観察する間に勇璃ゆうりは焼き菓子の首を噛みちぎり、断面から赤い液をしたたらせた。


「あんたも来なよ! 冒険の世界に連れていってやるからさ!」

 首なし人形を押しつける。

 僕は目線をずらし、肩をすくめた。

「性に合わないな」

「ふーん」

 あっさりとした反応だった。

 残りの胴体部分をバリバリと音を立てながらむさぼる様は、見た目だけなら完全に人食いだった。


「じゃあね、また来るよ」

 バンッ!

 戸が閉じた。

 かすかに膨らんだ空気の暖かさが、静寂にしぼむ。僕は窓の外を眺め、遠い目をした。


 数日後、手紙が届く。

 封を開くとほのかに、金木犀きんもくせいの香りが、ただよった。

 中身は近況報告だった。

 経過日数が分かったのは、旅立ってから何日目か、書いてあったからだ。

『旅をしてたらさぁ、森で迷ってね。木々は入り組んでるわ、薄暗いわ。後ろからつるの化物が、追いかけてくるわ』

 へー、ピンチじゃん。

『それでさ、しげみの奥深くでさ、キラキラした光を見つけたと思ったらさ、泉だったんだよ。逃げ込んだあたし、迫ってくる敵! さあ、どうなったんだ!?』

 どうもこうも手紙が届いているのなら、無事だったのだろう?

『なんとやつら、水の壁に弾かれて、飛びかかれなかったんだよ。あれは確実に神秘の加護が働いてるね! その影響かしんないけどあたし、神獣と友達になったんだよ! 知ってるかい? 純白のツヤツヤした毛皮に一角獣。この世に新たな王が誕生する兆しだよ!』

 へー、すごいすごい。


 数週間後、別の封筒が届く。


『神獣君と一緒に世界を攻略。あたしはついに目的の人物と出会った。答え合わせができた気分だ! こいつはその人から受け取ったものでね、あんたにやるよ』

 目当てのアイドルでもいたのだろうか。

 同封された箱には薄茶色の紙の袋が丸まって入り、四角いシールで蓋をされていた。

『獣用のクッキーだってさ。あの方はもう与える相手がいなくなったから、あたしにくれたんだ。でもさ、神獣様に粗末そまつなもの渡すわけにはいかないだろ。あんたがいつか契約するときが来たら、有効活用してくれよ』

 契約? 縁はなさそうだな。

『それはそうとあの茶屋、すごいな。とびっきり美味しいんだ!』

 某未来の海賊王の声で再生される。

 あの茶屋ってどの茶屋だよ。

『特にりんごのシナモン煮。コンポートみたいに半透明になった果肉! とろける甘酸っぱさ! フレッシュで爽やか、色んな香りが混ざりあって、かぐわしいとはこのことだ!』

 文面だけでもうるさい。

 流し見しつつ、こいつ食レポ上手いなと、口の中でつぶやく。

 なにか食べたくなってきた。

 同居人を見送ってからなにも食べていない。空腹自体は感じない。彼女が辿たどった軌跡きせきを追体験するだけで、満足している自分もいる。

『いいよね、ダイバーは無料で食べられる。あんたらだけの特権だってさ! 試しに行ってきなよ!』

 ダイバーってなんだ。僕、素潜りとかした覚えもないよ。


 なにはともあれ、彼女を通して様々な情報が手に入る。

 勇璃ゆうりからの文は好きだ。世界が広がる。

 北側に面した部屋に薄日が差した。

 次の報告を心待ちにしながら、ゆったりと時は流れた。

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