第2話 最後の晩餐

 ■カ月後。

 バタンッと扉が開いた。

 たくましい身なりの女が汗と金木犀きんもくせいの匂いをまとい、仁王立ちする。駆け込んだ拍子に赤と黄色の外套がいとうが、ひらっとはためいた。

「あたしはついに辿たどり着いた! 世界の果てってやつにさぁ!」

 歓声を上げる勢いで張り上げ、裏返った声。なにを言っているのか分からず、首をひねる。

「まあ、聞きなさいな」

 ムワッとした熱気が迫る。

「あたしは見たのさ。北の大地。永遠の岬を。もう成すべきことはない! あたしは自由だ! アーハッハッハッハ!」

 気持ちよさそうな高笑いが、低い天井いっぱいに響き、反響した。

「そんなわけで最後の晩餐ばんさんだ。あんたも祝え、そして楽しむんだよ!」

 機嫌がよさげな女を前に、僕はぽかんと座りこんだ。


 うたげは夜。昼は外でぶらり過ごす。

 僕らを乗せた狭いボートが、にごった水をすべる。

「もっと清楚な女性だったら、ロマンティックだったのに」

「そんなもの期待してたの!?」

 彼女の目が思いっきり飛び出した。

「妄想たくましい小僧はおとなしく、チェリーでも食ってな」

 勇璃ゆうりのケラケラとした笑い声が、よりおかしく聞こえた。


 手前の冷やかすような視線は無視して、水の都の情景を楽しむ。澄み渡った景色に浮き出たカラフルな建物が、運河にも映り込む。

 穏やかな青に染まった海が、世界の果てにまで続いているような気がしたところで、ふと思い出す。

 西の海岸だけはまだ行ったことがない。いったいなにがあるんだろう。

 黙ったまま彼方を見据えると、急にボートが停まった。

 慌てて端にしがみつく間に、タイツパンツをはいてなおゴツい太ももが、通り抜ける。勇璃ゆうりが陸に上がる。慌てて追いかける。

 タバコの煙たい匂いが、勇璃ゆうりから立ち上る。右手の人差し指と中指で挟むようにして、吸っていた。

 よく見ると爪には赤いマニキュアを塗り、艶が出てきた。

 紫煙がエレベーターのへ消えたので僕も乗り込み、後ろに着く。板の足場が低くこもった音を出して、ゆっくりと上昇していく。

「あれ、いいんだっけ? 僕ら最底辺の人間だよ」

「あんたが言うとただの自虐じぎゃくになるでしょうが。もっと胸を張りな!」

 真顔で口走った僕を、笑い飛ばすようにいさめる勇璃ゆうり

「第一階層分けなんて都市伝説だ。もしくはどっかの妙な時空の情報が、参照されてんのさ。そうでなけりゃあ、あたしが下の階にいる理由が分からない」

 思いっきり叩かれた背中が若干熱い。

 実際のところ汐崎はいくつかの階層に分かれ、住むエリアが決まるのは事実。僕のようなくだらない人間は川底のくりのように、沈殿ちんでんする。

 なにかおかしなことでも言っただろうかと、いぶかしむ目で相手を見上げる。

「観光ならいいんだよ」

 天井のあたりをとらえたまま、軽やかに言い放つ。

 そんなものか。

 あごを引こうとしたところで扉が開き、勇璃ゆうりが足を踏み出した。僕も黙ってついていった。


 高層部の渡り殿を進む。

 弧を描くようにして続く大規模な運河を一望できる、壮観な眺めだった。

 紺碧こんぺきに統一した街並み。整然と並ぶ建物の群れから突き上がるように、塔が建っていた。

 内部の梯子はしごの先には鐘があって、毎晩清らかな音を奏でる。僕の耳には死の刻限のように聞こえて、好きではない。

 先頭では勇璃ゆうりが吸い殻をポイッと蹴り落とし、灰が地上に落ちていった。


 最上層はさえぎるものがなに一つなく、青白磁の空の色だけが僕らを包む。

 人気はない。汚れのない白銀の砂利道を通ると、足音が吸い込まれた。

 奥には社。朱色の鳥居の向こう側には、古ぼけたほこら鎮座ちんざする。

 勇璃ゆうりは聖なる道の途中で、足を止めた。

「クイズだ! このやしろはなにをまつっているのかな。あんた、知らないだろ?」

「航海の神とか?」

 適当に答える。

「ブッブー! いや、あながち間違いではないか」

 勇璃ゆうりは社の先を見据えて、言葉をつむぐ。

「答えは浄化の神だ。魂の旅路を祈るものだな。もっとも、神と認められてるのは創造神だけで、他はおとぎ話の部類なんだけどさ」

 ふーんと後半の説明を聞き流す。

「日本神話でいうおり姫とかか?」

「なに言ってんのさ、あんたは?」

 勇璃ゆうりは軽く笑い飛ばした。

 絶句した。初めて山葵わさびいだり、生の魚を食べた人のような気分で、固まった。

 背後では鮮明な深緋の光が差し込み、あたりは冷ややかな影の色に沈んでいた。


 日が暮れたので、帰宅する。

 暖かな夕日と同じ鮮やかなオレンジ色の灯りの下に、豪勢な料理が並ぶ。

 こうなればヤケだ。現実逃避だ。

 手前であぐらをかいた女と一緒に、ひたすらに食らいつく。

 ふっくら炊いた米に巻き付けた香ばしいお肉。滴る肉汁・タレの味が絡み、飯が進む。海で捕れた薔美しょうびたいとやらも刺し身として並び、ツヤツヤ輝き、口に放るとまろやかな味が舌で踊る。

 暗紅色の液体を注いだグラスをあおり硬い縁が触れ合うと、果実酒の爽やかな香りが飛び散り、軽やかな笑い声が広がる。

 途中からなにを話していたのか分からなくなったが、楽しかった。とにかく気分がよかった。

 きらびやかな時間は押し流され、夜がふける。僕は薄っぺらい布団に吸い込まれ、電源を消したように眠りについた。

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