『メモリオークション ―72時間の死刑台〈デス・ハンマー〉―』

トウシン

第1話 ハンマーが鳴る夜

〈地下競売アリーナ〉――72:00:58


 東京湾の夜気を裂き、ドローンタクシーの尾灯が朱の縫い目を描く。その下で人工島〈ゼロ区〉のネオンが深海魚の眼のように瞬いていた。


 九条イツキは貨物リフトで地下二十六階へ降りた。気圧差が鼓膜を刺激し、鉄粉の匂いが肺へ刺さる。ここは “まだ起きていない出来事” を競り落とす〈ブラック・オークション(Black Auction)〉だ。


 足元LEDが靴音と同期し、血色の数字を床へ浮かべる。


――00:00:58


 半円扉が左右に開く。観客席は闇に沈み、中央ステージだけが白光を浴びている。真鍮ハンマーを掲げた仮面の競売人が、蒸気仕掛けの面越しに低く告げた。


「次の品だ」


 水面のように揺れたホログラムへ、《Lot.77 針間コウイチ/死亡映像》の字が浮かんだ。観客は声を飲み、酸素だけが揺れた。


 胸ポケットの旧式AI〈クロム〉が震える。

『依頼対象、入場確認。カウント――五十秒』


 ステージ脇から男が歩く。グラファイトスーツに銀縁メガネ――新薬ベンチャーの寵児、ネオセル社CEO、針間コウイチ。


「未来を買う男が、未来に殺されるか」イツキは独り言のように笑った。


「開始価格、三千万ユーロ」


 パドルが跳ね上がる。数字は弾丸のように加速し、残り四十秒で針間が指を一本掲げた。スクリーンが真紅に反転し、他入札者の回線が凍る。


「落札者決定」


 真鍮ハンマーが台石を叩き、72:00:00 が視界へせり出す。左眼インプラントが録画を開始し、胸骨の奥で不吉な拍動が芽生えた。


〈清算回廊〉――69:00:00


 護衛ドローンに挟まれ、七つの検問を通過するあいだに二時間が消えた。虹彩と声紋を三度ずつ照合されるたび、タイマーは容赦なく進む。


 ラウンジに着くとホログラム窓に逆さの月が揺れていた。イツキはIDチップを挿し、薄膜e‑inkの契約書を呼び出す。


「私が死ぬ映像、間違いなく落札しましたね?」


 針間の声は乾いている。クロムが赤帯を投射。《リスク指数 八四%》


「七十二時間以内に映像どおりにならなければ時間震だ。覚悟は?」


「命より会社が重い」


 針間がサインすると橙光が走り、タイマーリンク完了 が網膜へ焼き付いた。


〈監査ブース〉――66:00:00


 落札映像を外部機関へ預託する手続きに二時間。時計も窓もない部屋で時間が蒸発する。


 屋上バルコニーへ出た。夜風が汗塩を削ぎ、貨物ドローンの尾灯が橙の弧を描く。イツキのHUDに〈死亡メモワール〉が重なった。屋上、レーザーサイト、銃口、鮮血。


〈視点主の呼吸数 0.00——停止状態〉


「本人視点じゃない」


「私を撃つ者の目だな」針間の声が硬い。


〈VIP回廊〉――63:00:00


 視点主の特定には旧公安の裏ルートが要る。イツキは暗号端末で照会を流し、量子ファイバーの青脈が壁を脈打つ脇を歩く。


「映像再現が遅れるほど、世界は軋む」


「承知している。急げ」針間がメガネを押し上げた。


 クロムが応答を映す。《撮影者データ 消去済》


〈港湾トラム〉――60:00:00


 監視網を避け湾岸へ迂回する無人トラム。後方シートで革バッグを抱えた影――ステージで銃を構えた男、斉賀リョウ。


「クロム、照合」


 赤タグ《記録抹消》。非常灯が瞬き、微細時間震が車体を揺らす。


 斉賀は動かず、顎だけ僅かにイツキへ向けた。瞳の光が符丁のように瞬く。


 イツキは拳を握り、心中で誓った。視点主を捕える。それが唯一の出口だ。


――60:00:00

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