超訳・日本武術神妙記
明丸 丹一
序章
江戸から明治への大転換期。日本の武術は、社会の急速な近代化とともに実戦から離れ、精神修養や礼法の枠へと収められていく。かつて命を賭して磨かれた剣の技、槍の構え、柔の妙理。それらが忘れられていくなか、筆によってその記憶をとどめようとした者がいた。
『日本武術神妙記』――この書物は、そんな時代のなかで編まれた武術逸話集である。収録されているのは、天真正伝香取神道流の開祖・飯篠長威齋や、鹿島神宮の剣士・松本備前守、剣聖・塚原卜伝をはじめとした剣客たちの逸話。剣術だけでなく、槍術、柔術、薙刀、体術と、あらゆる武術にまつわる事績が収められている。
この書を編纂したのが、『大菩薩峠』で知られる中里介山である。彼は『日本武術神妙記』で武術に関する様々の逸話を紹介し、登場人物たちの奇抜さ、誇張された英雄譚、そして素朴な信仰心と武人の美学を愛情深く語った。
この書は「日本武術の元ネタの宝庫」とでも呼ぶべき存在だ。時代劇、剣豪小説、マンガ、アニメ、ゲーム――あらゆるジャンルで、「剣聖」「達人」「一の太刀」などの言葉とともに登場するイメージの多くが、本書に源流を持つ。例えば「流派を極めた者は、剣を抜かずに勝つ」や「神前で悟りを得て技を編み出す」といった設定は、すでにこの逸話集のなかに描かれている。現代のファンタジー作品で語られる超人的な剣士像はここにある。
ありがたいことに『日本武術神妙記』は現在パブリックドメインであり、誰でもその内容を読むことができる。しかし、原文は仮名遣いこそ現代風であるものの、文体は古めかしく、記述も断片的だ。記録というよりは、筆者が「聞き書き」や「伝聞」をもとに記した様相が強く、史実性よりも語られ方そのものに重心がある。
また、著者自身が調べながら執筆するスタイルをとっているため、各話には補足情報、地理的背景、関連人物との関係などを盛り込んで読み物としてまとめている。明確な史料が存在しない部分については、『説がある』『伝承によれば』といった形で注釈を入れる。剣の教義やセリフについても、基本的には出典のあるもののみに留め、現代的な解釈を加えることはしない。
さらに、現代の武術団体や武道流派の活動、技術の継承状況には言及しない。本書はあくまで「過去の記録」を現代に語り直すための試みである。
・追記
原作である日本武術神妙記に掲載された逸話については、扱っている複数の史料(例:『本朝武藝小傳』『撃剣叢談』『常山紀談』など)に類似または異なる記述が存在する場合がある。その際、本企画では「異聞」として取り扱い、どの出典を基に構成しているかを踏まえた上で、翻案・超訳を行っている。
とくに同一人物・事件に関する複数の記録が存在する場合(例:佐々木巌流や目柳の仕合など)においては、時代ごとの語り口の違いや後世の評価の変化を意識し、「異聞」として差異を強調した再構成を行うことがある。
また、玉石の項などにみられる、断片的な武術の技巧に関する文章は、現代語化するにあたって具体的な表現にするため、筆者の解釈を特に強く盛り込んでいる。
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