昼寝令嬢は一時間で世界を動かす ~婚約破棄を狙う令嬢ごと夢の中へ~
@jinka_hatsu
昼寝令嬢は一時間で世界を動かす ~婚約破棄を狙う令嬢ごと夢の中へ~
貴族社会というものは、実に奇妙なバランスの上に成り立っている。
王家から大公・公爵・侯爵などの上流貴族、そこから分かれる伯爵・子爵・男爵まで、何かと体面が重んじられ、やたらと他家の動向を気に掛ける。
そのため、ちょっとした家同士の噂が広まるや否や、派閥が生まれたり潰れたりを繰り返し、いつの間にか非常に厄介な事態へと発展することも少なくない。
そんな世界に、明るい金色の髪と穏やかな青い瞳を持つ一人の少女がいた。
名をエヴァレット。侯爵家の次女として生を受けた彼女は、幼い頃から周囲が驚くほど聡明であり、かつお昼寝大好きという、なんとも掴みどころのない性格であった。
エヴァレットはいつもこう考える。
「物事を突き詰めて考えるのは大好きだけど、眠たいときには眠りたいんですよね。世の中の歯車は、わたし一人ががむしゃらに動いてもどうにかなるものではないし」
実際、彼女はその判断力や知識の広さで、父親のクリフォード侯爵からも周囲の学者達からも一目置かれていた。
しかし彼女自身は何よりも午後の短い睡眠を好み、勉学が終わると「ではそろそろ失礼して」と、貴族らしい優雅な挨拶を残して自室へ戻り、すやすやと心地よい眠りに落ちてしまうのである。
――そんなエヴァレットが十三歳を迎えたある日、王都に住む貴族達の間で驚きの報せが流れた。
「エヴァレット様が婚約するかもしれない」
お相手は公爵家の嫡男・ヴィンスター。将来は王家を支える重鎮になり得ると期待されている名門の跡取りだった。
賢いとはいえ常に眠そうなエヴァレットと、実務的で完璧主義のヴィンスターが一体どのようにして婚約へ至るのか――その疑問は多くの者を惹きつけた。
結果的に、二人は本人同士の大きな意思表示というよりは、両家の取り決めによって形式的に結び付けられることになるのだが……それはまた、別の問題を孕むことになる。
◇◇◇◇
「お嬢様、お昼下がりの講義が始まりますが、よろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ。お茶を飲みつつ少しばかり読書も……」
「そのご様子だと、そのまま机でお休みになりそうですね」
「うふふ。さすがミリー、わたしのことは何でもお見通しですね」
エヴァレットの侍女であるミリーは、口調こそ丁寧だが、十年来の付き合いとあって遠慮がほとんどない。
エヴァレットもそこが心地よく、ミリーにはいつも正直に自分の思いを話すのだった。
「ねえ、ミリー。最近、父様がよく仰るのです。『公爵家の嫡男ヴィンスター殿と、お前を正式に婚約させたい』と」
「はい。ご当主からもそのお話はうかがっております。……お嬢様は、どうお考えで?」
「どうもこうも、わたしの意見が反映されるかどうか……まあ、家同士の話ですしね。わたしは嫌ではありません。ヴィンスター殿がどんな方か興味はありますが」
「わたしが聞いたところでは、かなり優秀で勤勉なご子息だそうですよ。お嬢様と同じくらい勉強は得意らしいです」
「なるほど。わたしは勉強は好きですけれど、どちらかというと実地より机の上の思考派なんですよ。昼寝をしながら思索を巡らせるのがいちばんはかどるんです」
「また奇特なことを言って……でも確かにお嬢様、何か問題が起きるたびに少し昼寝をした後、素晴らしい解決案を出していらっしゃいますものね」
そう、エヴァレットには独特の思考習慣があった。
深く考えすぎる前に「一度寝てリセットする」。脳をリフレッシュさせ、余分な雑念を整理し、起きたときにはすっきりと解決策が浮かんでいる――というのが、彼女独自のスタイルなのだ。
「結局、人間が慌てて右往左往しても良い知恵は出ませんから。あれこれ首を突っ込むより、夕方まで寝て、起きてから集中したほうが建設的ですよね」
「そ、そうかもしれませんが……お嬢様、周囲の方にはあまり理解されないと思いますよ?」
「そうですね。でも、理解されないことより、大切な場面でベストな選択をする方がわたしには向いているのです。昼寝、大事ですよ」
エヴァレットはそう言うと、にこやかに席を立ち、窓から外の庭を眺めた。
柔らかい日差しが差し込む庭園は侯爵家の自慢の景観で、季節ごとに違う花が咲き誇る。
穏やかな風が運ぶ香りをかぎながら、エヴァレットはうっすらとまどろみを感じた。
「さて、お嬢様。本当にこれから寝るつもりではないですよね?」
「講義が始まりますから、もちろん参加はしますよ。……でもそのあとは少しお昼寝したいなあ」
ミリーは軽くため息をつきながら、エヴァレットの手を引いて部屋を出た。
◇◇◇◇
「失礼します」
「おお、エヴァレット。よく来てくれたね」
侯爵家当主であるエヴァレットの父・クリフォードは、王都の屋敷に滞在中の公爵家子息ヴィンスターを、夕食のために自邸へ招待していた。
エヴァレットにとっても、ヴィンスターと正式に対面する初めての機会である。
「はじめまして。侯爵家次女、エヴァレットと申します。お招きにあずかり、ありがとうございます」
「公爵家の嫡男、ヴィンスターです。こちらこそ、ご縁を賜り感謝しております」
きちんとした貴族的所作でお互いに挨拶を交わす二人。
ヴィンスターは年齢十九にしてすでに数々の実績を積み、王都において若手有望株の一人として名が通っている。
そしていざ言葉を交わしてみると、その印象は予想通り――いや、それ以上だった。
「そちらはまだ学問の道を修めている最中とか。失礼ながら、かなり多岐にわたる書物を読みこなしていると聞きました」
「はい。といっても、一度読んで要点をまとめたら、あとは昼寝して脳に定着させているだけですわ。わたしは運動も苦手ですし、実務にはあまり向いていませんから」
「はは、面白い意見ですね。脳の使い方も人それぞれか。実は僕も、理論を突き詰める作業が大好きなんです。合理化が趣味のようなものですよ」
「それは素敵ですわ。もしや書類業務なども苦になさらないタイプ?」
「もちろん。僕は膨大な報告書を整理するのも好きですね。どうすれば最短で目的を達するかを考えるのが好きなんです」
エヴァレットはヴィンスターが思いのほか気さくで、自分とは違う意味で実務的な人物だと理解した。
一方のヴィンスターも、表面的には眠たげに見えるエヴァレットが、実際は相当な知恵を秘めていることを早くも感じ取る。
「……なるほど。これは案外うまくいくかもしれませんね、父様」
「そうだろう? 二人とも博識だし、気質の面でも補い合えるのではないかと思ってな。エヴァレット、お前はどうだい?」
「はい、わたしも同じ感想を持ちました。ヴィンスター殿は優秀な方ですし、話していて楽しいです」
こうして互いに悪い印象はなく、両家の思惑通り、婚約はすぐにも決定するかに思われた――が、その翌日。
「……うーん、どうしましょうかね。まだ正式に返事が来ないですけど」
「お嬢様、昨晩の様子では順調そうに見えましたけれど」
「順調でしたわ。でも、ヴィンスター殿があまりにも優秀すぎるせいか、もっと完璧な婚約者を選びたいという気持ちがあるんじゃないかと、少し気になるんですよね」
「どういうことです?」
「世の中に完璧を求めすぎる人っていますでしょう? わたし、昼寝がないと死んでしまう人間ですし、運動音痴なんです。ヴィンスター殿が『これが許容範囲かどうか』を慎重に検討している可能性もありますね」
エヴァレットの指摘に、侍女のミリーは微妙な表情をした。
確かにヴィンスターは合理性を重んじる。そこには「特別な欠点はできるだけ排除したい」という考え方も含まれているかもしれない。
「もしヴィンスター殿が『エヴァレットは欠点が多い』と見なしたら?」
「そのときは…… まあ、結婚を強引に進めたいわけではないですし。わたしもお昼寝好きが許されないなら困りますもの」
「お嬢様……さすがにマイペースですね」
「ええ。でもマイペースじゃないと、貴族社会の波にもまれて溺れちゃいますから。ミリーは毎日息が詰まりませんか?」
「それはまあ、窮屈に感じることもありますけれど……お嬢様の自由奔放さを見ると、少し救われる気がします」
◇◇◇◇
公爵家子息の婚約相手として名前が挙がれば、当然周囲からの注目も増す。
そんな中で、見過ごせない存在感を放つ令嬢がいた。名をリリシア。伯爵家の長女だが、その家柄以上に『美貌と社交力』で評判が高い。
さらに、ヴィンスターに近づこうとしている――という噂が王都に流れ始めていた。
「エヴァレット様、はじめまして。あら、お昼休みに読書だなんて、優雅ですわね」
「こんにちは、リリシア伯爵令嬢。こちらこそ、お目にかかれて光栄です」
「うふふ。実はわたくし、前々から公爵家のヴィンスター様とは馬車での移動中に偶然ご一緒したことがありまして。最近は王都でも何度かお話しさせていただいているんですのよ」
「それはご活躍ですね。ヴィンスター殿は王宮の議場にも出入りされているでしょうし、顔を合わせる機会が多いのでしょう」
笑顔でさらりと応じるエヴァレット。しかしリリシアはどこか挑発的に続ける。
「でも、うかがったところでは……エヴァレット様、寝るのが大好きで、馬にも乗れず、舞踏会ではダンスを避けてばかり、とか?」
「ああ、そうですね。お昼寝は必須ですし、乗馬は苦手で……落馬した経験がありまして」
「まあ、今どきの貴族令嬢としてはいかがかしら? いくら賢くても、ヴィンスター様のように完璧を求める方と釣り合いが取れるのか、ちょっと疑問でしてよ」
周囲の貴婦人達がひそひそと囁く。
リリシアが言いたいのは、「あなたのような欠点の多い娘はヴィンスター様に相応しくない」ということだろう。
エヴァレットは軽く困ったふうな顔をしながら答えた。
「……リリシア様のおっしゃるとおり、わたしが欠点だらけなのは自覚しております。が、ヴィンスター殿がどのように判断されるかは、わたしにはどうにも……」
「そうですわね。公爵家が正式に婚約を発表するまでは、わたくしも自由に接触して問題ありませんものね? ふふ、もし縁談が立ち消えになったらいつでも教えてくださいまし」
言い捨てるように去って行くリリシア。
彼女が何を狙っているかは明白だ。エヴァレットとの婚約話にほころびが出れば、自分がヴィンスターに近づき、結婚を勝ち取ろうというわけだ。
「ずいぶん直接的に牽制してきますね。ふう……」
エヴァレットは深いため息をつくと、近くの椅子に腰掛けた。
そして、いつものように頭の中で思索を始める。
「――とはいえ、リリシア様の言うことに一理ないとは言えないんですよね。わたしは舞踏会でも片隅でのんびりしていることが多いし。ヴィンスター殿が『華やかさ』を重んじるなら、確かに合わないかもしれない」
どうしたものか。彼女は一度ゆっくりと目を閉じる。
侍女のミリーが心配そうに声をかけた。
「お嬢様、いまここで寝るのは少々……」
「大丈夫ですよ。ちょっと目を閉じて考えるだけ。……あ、考えてるうちに眠くなってきました」
「困りますっ……!」
◇◇◇◇
翌日の夕刻。
エヴァレットは公爵家の客間に呼ばれ、ヴィンスターと二人きりで面会することになった。
「急に呼び出してすまない。ちょっと話したいことがあってね」
「いえ、お気遣いなく。……それで、お話とは?」
ヴィンスターの表情は硬い。
まさか婚約解消を申し出るのだろうか、とエヴァレットは内心で思う。
「単刀直入に言おう。……君との婚約の件だ。僕は当初、君の『欠点』をどう受け止めるべきか考えていた。昼寝や乗馬の不得手、舞踏会のダンス――そういったことだね」
「はい。わたしも、自分が完璧ではないとわかっております」
「そう。でも、君の頭脳は噂に違わず素晴らしい。いや、それ以上といっていい。問題解決の策を短時間にまとめ、最善案を提示してくれる。僕はそこに非常に魅力を感じるんだ」
「ヴィンスター殿……」
思わぬ称賛に、エヴァレットは少し照れる。
だが、ヴィンスターの言葉は続く。
「ただ、僕はどうにも『君が真剣に取り組んでくれるのか』が不安だった。ずっと昼寝を優先して、家庭や領地経営を放り出さないかとか……そういう心配があったんだ」
「なるほど。お昼寝ばかりしていたら、普通は怠惰だと思われるかもしれませんね」
「そうなんだ。僕は自分が完璧だと思ったことは一度もない。ただ、無駄の多い生き方をしたくない、という信念は持っている。その観点から見ると、君の行動原理は理解しがたい部分もあるんだ」
なるほど。要はヴィンスターとしては、エヴァレットの実力を高く評価しつつも、『本当に自分の隣に立つ妻になってくれるのか』を判断しかねているのだ。
エヴァレットは微苦笑を浮かべながら、自分なりの考えを口にする。
「……確かにわたしは昼寝が好きです。でも、やるべきことはちゃんとやりますよ。むしろ、お昼寝しても時間を無駄にしていないんです。昼寝を挟むことで、頭がすっきりして成果が出せるんですよ」
「それは君独自の理論なのか?」
「そうですね。言葉だけでは理解しづらいですよね。……もしよろしければ、わたしに何か難題をぶつけてみてください。わたしは少し昼寝をして、その後で解決案を示してみせましょう」
「難題、か。――わかった。それなら公爵領で停滞している交易路の問題を今抱えていてね。三つの商会が同じ経路を巡って取り合いをしている。ここ数年、調停がうまくいかず皆困っているんだ」
「興味深いお話ですね。ぜひ詳しくお聞かせください。そして資料を見せてもらえれば、わたしも多少はお力になれるかもしれません」
エヴァレットの瞳がわずかに輝きを帯びる。
昼寝好きとはいえ、彼女が『自分の出番だ』と感じたときの集中力は凄まじいのだ。
◇◇◇◇
エヴァレットとヴィンスターの間で、ある程度の理解が生まれかけていたころ。
一方で伯爵令嬢リリシアは密かに計略を練っていた。
「ヴィンスター様がエヴァレットと順調に婚約の準備を進めているなんて……あの眠たげな子を妻にするなんて、公爵家も先が思いやられますわね」
ある日の午後、リリシアは自宅のサロンで取り巻きの令嬢達とお茶会を開きながら愚痴をこぼす。
「それで、リリシア様はどのように動かれるのですか?」
「ふふ。簡単なことよ。エヴァレット様がいかに『公爵家には相応しくないか』を、もっと周知させればいいのですわ。昼寝が欠かせないお嬢様なんて、信頼に値しないでしょう?」
「確かに、領地の管理には不向きそうですね。お昼寝している間に問題が山積みになりそう」
「あら、そうでしょ? だからちょっとした噂を流すの。『エヴァレット様は勉学はできても、実務能力が皆無』とか、『無責任で、自分の欲求を優先してしまう』ってね。そうすればヴィンスター様も幻滅なさるわ」
取り巻きの令嬢達はクスクスと笑い、リリシアの言葉に賛同してみせる。
貴族社会は噂話一つで形勢が変わることも珍しくない。悪評を流布されれば、たとえ事実無根でもダメージはある程度避けられない。
「――さて、わたくしにふさわしい相手がどちらか、そのうちハッキリわかりますわ」
そんなリリシアの目論見を、エヴァレットはまったく知らないまま、今日もヴィンスターから渡された資料に目を通しているのだった。
◇◇◇◇
「では、お嬢様。この書類が例の交易路をめぐる三商会の契約書と、過去数年の決算報告書ですね」
「ありがとう、ミリー。うーん、なかなかボリュームがありますね。……でも、ざっと読んだ限り、問題の本質は『規模の違う商会同士が同じパイを取り合っている』ところみたいですね」
「公爵家としては、どの商会もまんべんなく活躍してほしいでしょうし、片方だけ優遇すればもう片方が反発する……そういった具合でしょうか」
「その通り。でも、下手に抑え込むと公爵領の商売が萎縮してしまう。どうにかしてWin-Winの状況を作らなきゃいけないですね」
エヴァレットは一通り書類をめくると、大きく背伸びをした。
「よし、ミリー。悪いのだけど、わたし一時間ほど昼寝しますね」
「はあ……また、ですか?」
「この書類の件、寝ている間に頭を整理しておいて、起きたら一気にまとめますから。……お願いできます?」
「わかりました。ではお部屋に戻りましょう。時間になったら声をかけますので」
こうしてエヴァレットは日常のごとく昼寝をする。
しかし実際、その効率は侮れない。彼女は眠りにつく前に考えるべき問題を意識しておき、起きたときには思考のゴールがかなり近いところにいるのだ。
◇◇◇◇
一時間後。
再び書類に向き合ったエヴァレットは、おもむろにペンを取ると、やや無造作な筆跡で紙に図を描き始めた。
「ふむふむ。三商会の得意とする交易品目が微妙に重なりつつも、売り先が異なっているのがポイントですね。……なるほど、こうやって分担すればいいのか」
彼女は口元に微笑を浮かべると、さらに幾つかの案を書き留める。
まるで以前から頭の中にあった計画を再現しているかのように、滑らかにペンが動く。
「できました。ミリー、ヴィンスター殿をお呼びしましょう。王都の公爵家邸に戻られる前に、わたしの提案を見ていただきたいので」
「早いですね、本当に……。わかりました、すぐ手配いたします」
◇◇◇◇
「これは……すごいな」
エヴァレットが手渡した提案書にざっと目を通したヴィンスターは、その内容を短く評価した。
「三商会が同じルートを取り合っている原因を、単に欲張り合っているからではなく、それぞれが拠点としている都市の地形的に迂回しにくいからだと指摘していますね。それでいて輸送手段をうまく分け合えば衝突を避けられる、と」
「そうです。具体的には大商会は陸路、小規模商会は水路や街道脇の支店を活用して、利益率の高い品を少量ずつ運ぶ。お互い輸送網を一部交換するような形で、微妙にルートをズラすんです」
「なるほど……それぞれの特性を生かし、同じ道を重複して使う必要をなくす。『共存』を促すわけか」
ヴィンスターは感心した様子で、書類をテーブルに置く。
「まさにWin-Winだ。それに、公爵家が過度に介入しなくても、商会同士が合意しやすい案になっている。これなら向こうも飲みやすいだろう」
「ありがたいお言葉です。あとは各商会の駆け引きに任せて、最終的な決定を待つだけでしょうね」
エヴァレットの提案により、長らく膠着していた問題は解決への道筋が見えてきた。
ヴィンスターは満足げに頷いてみせる。
「いや、正直驚いた。僕が試行錯誤したあげく行き詰まっていた案件だというのに、君は昼寝を挟んだたった半日でここまでまとめるとは」
「昼寝が無駄でないとわかっていただけて嬉しいです。……これでもう、ヴィンスター殿の懸念はだいぶ晴れましたか?」
「ああ。少なくとも怠惰とは正反対だと思い知ったよ。君の昼寝は休息でありながら思索の時間でもあるんだな。僕もその方法、真似してみようかと思うくらいだ」
「ぜひお試しくださいませ。……コツは、寝る前に『問題は必ず解決できる』と自分に言い聞かせることです」
ささやかな笑顔を向け合う二人。
――だが、その静かなやりとりを壊すように、ひとりの来客があった。
「失礼いたします。公爵邸の門前にリリシア伯爵令嬢がお越しです。お会いになりますか?」
「リリシア嬢……? これはまた、どうして突然?」
「最近、よくお見かけしている方です。僕としてはお断りしたいところだが……彼女の伯爵家との付き合いもある。仕方ない、通してくれ」
◇◇◇◇
公爵家の応接室に通されたリリシアは、まっすぐにヴィンスターを見据える。
その横にエヴァレットが座っているのを認めると、わざとらしく微笑んだ。
「ヴィンスター様、先日はお馬車の件でご助力いただきありがとうございました。お礼が遅くなり、申し訳ございませんわ」
「いえ、別に気にするほどのことでは」
「まあ、それでも心に留めておきたいのです。ところで――エヴァレット様もご一緒とは奇遇ですわね」
明らかな皮肉を含んだ口調に、エヴァレットは冷静に応じる。
「こんにちは、リリシア様。公爵邸までご足労とは何か要件があるのですか?」
「ええ。実は少々、ヴィンスター様に直接お話したいことがありましてね。――エヴァレット様、あなたは少しご遠慮いただいても?」
「失礼ながら、ここは公爵家の邸内です。何をお話になるにせよ、わたしが退席する理由はないと思うのですけれど」
リリシアがかすかに目を細める。
「エヴァレット様、この国の貴族令嬢として自覚はおありです? 昼寝を優先し、乗馬も舞踏会もろくにこなせないあなたが、公爵家の当主夫人になるなんて、噂になっているのをご存知でしょう? あの侯爵令嬢は実力不足だと」
「……リリシア様、それは誰が言っているんですか?」
「さあ? 少なくともわたくしの耳には多くの方がそう囁いているように聞こえますけれど。……それを、あなたがどう思うかしらと思って」
エヴァレットはわずかに瞼を伏せる。
先ほどまで仕事の話をしていたせいで、まったく別の角度から攻められるとどうにも疲れる。
「リリシア嬢」
「はい、ヴィンスター様」
「あなたが言う噂とやらは、最近になって急に勢いを増したようですね。僕も不思議に思っていたんだ――たとえば『エヴァレットは実務能力がない』なんて噂。本当にそれが事実ならば、先ほどまで一緒にいた僕が気付かないはずがないでしょう」
「え……?」
明らかに戸惑うリリシア。
ヴィンスターは決して声を荒げず、むしろ冷静な口調で続ける。
「僕は彼女の提案によって、ずいぶんと助けられた。君が言うような『役に立たない娘』なんて評価は間違いだと断言できるが――どう説明してくれる?」
「そ、それはただの噂……あるいはわたくしが聞き違えたのかもしれませんわ。ごめんなさい、ヴィンスター様。そんなつもりでは……」
あからさまに動揺を見せるリリシア。ここで引き下がればいいものを、焦るあまり余計なことを言い始める。
「そ、そうですわ。わたくし、真実を確かめようとしただけなんです。何しろエヴァレット様の行動を見れば、周囲が不安に思うのも無理はないかと……」
「なるほど。では、あなたが『真実を確かめる』ために、わざわざ公爵邸に来たと?」
「そうですわ。もっとも、公爵家に相応しいのはこのわたくしでは……なんて考えは、少しもないとは言い切れませんけれど」
表向きは謙遜のように装っているが、「わたしのほうが公爵家の当主夫人にふさわしい」と宣言しているも同然だ。
エヴァレットはもう一度ため息をついた。
「昼寝が好きで、乗馬や舞踏も苦手な令嬢が公爵家を支えられないと思っていらっしゃる。……リリシア様、わたしはそれを否定するつもりはありません。ですが、わたしにはわたしのやり方があります」
「ふうん。ならば公爵様にとって最善のやり方を示せるのかしら? 口先だけでは誰も納得しませんわよ」
「ご心配なく。それはすでに形として示してあります。――ヴィンスター殿は、わたしの昼寝による思考整理で成果を得られている、と先ほどお認めになりましたので」
続けてヴィンスターが淡々と言葉を重ねる。
「リリシア嬢、僕は彼女の実力を高く評価している。それは君に揺るがせることはできないよ。そして、僕はエヴァレットとの婚約を進めるつもりだ」
「そ、そんな……」
リリシアはほとんど真っ青になり、取り巻きもオロオロするばかり。
必死に繕うように言葉を出すが、それが余計に空回りを招く。
「で、ですが……ヴィンスター様、本当にそれでよろしいのですか? エヴァレット様は華やかな場ではあまり活躍できませんし、舞踏会でも失敗続きと聞きますわ。公爵家の顔として、少し物足りないのでは……」
「舞踏会の華やかさも大切だが、それよりも僕は将来的に領地を発展させ、王都にも貢献したい。エヴァレットはその目標を支えてくれる、かけがえのないパートナーだ」
「ええ。わたしはヴィンスター殿が必要とする場面で『最良の助言』を届ける自信はあります」
「お二人とも……っ」
顔をゆがめるリリシア。
彼女にとっては想定外の返り討ちだった。
「ならば、わたくしは失礼いたします……」
かろうじて一礼をして出て行くリリシア。その背筋は硬く、怒りが体からにじみ出ているようだった。
◇◇◇◇
かくして、リリシアが流そうとした悪評は逆に信憑性を失い、かえってヴィンスターとエヴァレットの関係を際立たせる結果となった。
結果、公爵家と侯爵家の縁談はあっという間に正式決定。周囲も「エヴァレットならば安心だ」と納得する。
「おめでとうございます、エヴァレットお嬢様」
「ありがとう、ミリー。いろいろあったけれど、うまく収まりましたね」
「そうですね。リリシア様はかなり恥をかいたとか……でも、あれだけあからさまに他人を貶めようとすれば仕方ありませんね」
「ええ……率直に言えば自業自得でしょう」
エヴァレットは苦笑しながらも、内心ではほんの少しだけ溜飲が下がる思いだった。
実際、自分を侮った相手がみじめに退散する場面を目の当たりにするのは、気分の悪いものではなかった。
その後、ヴィンスターとの婚約は円満に進んだ。
王都での舞踏会ではさすがに踊りの苦手なエヴァレットが失敗しかけるものの、ヴィンスターは彼女を上手にフォローし、二人の姿はそれなりに様になっていた。
何よりも周囲が注目したのは、彼女が見せる確かな見識。昼寝を言い訳に怠けているのではなく、必要な業務をしっかりこなしている事実が知られると、貴族達の評価も手のひらを返したように好転した。
「エヴァレット、君は本当に頼りになる。僕もいっそ昼寝を導入したいくらいだ。最近、疲れていてね」
「それはおすすめですよ。短い時間でもスッと眠ると頭が軽くなりますから。慣れないうちは、誰かに起こしてもらうのがいいでしょうね」
「なるほど。……ところで、一つだけ聞きたい」
「なんでしょう?」
「今後も君は舞踏会など華やかな場には積極的に参加するつもりはないのか?」
「正直言って、ダンスは苦手なんですけど……ヴィンスター殿と一緒なら、がんばってみようかなと思いますよ」
「それは光栄だ。じゃあ、これからは『昼寝も大事だが、社交の場にはほどほど出よう』くらいのスタンスでどうだろう? 双方のバランスが大切だからね」
「ええ、承知しました。こういう歩み寄りもいいですね。わたしたちらしいやり方だと思います」
二人は同時に微笑んだ。
大人しそうに見えて、実は芯が強く賢いエヴァレット。
効率的で完璧主義ながら、時に柔軟さを求めるヴィンスター。
噛み合わない部分もあるが、互いに『自分の足りないものを補い合う』関係としては申し分ない。
――その後、リリシアがどうなったかは、おそらく多くの者が興味を失っただろう。
あれほどの美貌と社交力があれば、いずれは別の縁談を得るのかもしれない。だが、公爵家に取り入ろうとした企みが失敗した事実は、少なからず世間の嘲笑を買う形となった。
彼女が自分で蒔いた噂という種は、そのまま跳ね返って自らを苦しめる結果になったのだ。
「それにしても、お嬢様。結婚後はお昼寝を満喫できるんでしょうか?」
「もちろんですよ、ミリー。そこは譲れない一線です。領地経営が忙しくなっても、午後の短い休息だけは確保します。そうしないといいアイデアも出てこないですからね」
エヴァレットはくすくすと笑いながら、いつものように穏やかな眼差しで空を見上げる。
青く澄んだ空――きっとこれから先、波乱が皆無というわけではないだろうが、昼寝がある限り、彼女の頭脳は前に進み続ける。
侯爵家の娘として生まれたその才能と、自由気ままな性格とが噛み合ったとき、周囲が想像する以上の大きな成功を収めるのかもしれない。
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