第22話

 朝が来た。


 


 チセの中は、朝の支度で慌ただしくなっていた。薪を割る音、火を起こす音、鍋の蓋が持ち上げられる音。あちこちから聞こえてくる小さな物音が、俺の耳に心地よいリズムを刻む。


 


 さっきまで祠の前で起きたことが、まだ夢の続きだったような気がして、俺はゆっくりと掌を開いた。そこにあったのは、雪の感触でも、氷の冷たさでもなく、あのときカムイの声が残した熱だった。


 


 精霊が、俺たちを見ている。


 それだけで、胸の奥に火が灯ったように思えた。


 


 「トウガ、おかえり」


 


 リラの声がして、振り返ると、いつの間にか後ろに立っていた。


 チセの中から漏れる橙色の火に照らされて、彼女の顔が少し眠たそうに見えた。


 


 「朝早くにどこ行ってたの?」


 


 「祠に。……カムイが来てた」


 


 リラの目が見開かれた。驚きと、すぐに続く理解の色。


 


 「応えてくれたんだね……この村に」


 


 「それだけじゃない。試された。声が絶えないかどうか、ここが本当に命を繋ぐ場所かどうか……カムイはそれを見に来てた」


 


 リラは少し黙って、うん、と小さく頷いた。


 


 「だったら、もっと声を増やさなきゃね。もっと笑って、もっと祈って、もっとたくさんの“生きる音”を届けなきゃ」


 


 その言葉に、俺は心から賛同した。


 


 「この村の一日が、全部語りになる。朝の挨拶も、薪を割る音も、誰かを呼ぶ声も。全部が“語り手”の唄になる」


 


 「だったら、あたしは“語る手”を作るよ」


 


 「……なんだそれ」


 


 リラが少し照れくさそうに笑いながら、掌を俺に見せた。


 


 「言葉だけじゃなくて、形にも残したいんだ。木彫りや、布に刺した文様で、“今ここにあった日常”を、残していきたい」


 


 ああ、それは確かに、俺ができないことだ。


 でも、俺たちが生きるこの村には、それが必要だ。


 語る者がいれば、記す者がいていい。


 声が届くなら、手で繋ぐ形もまた、大事にされるべきだ。


 


 「頼む。お前の手で、残してくれ。俺たちが見た春を」


 


 その瞬間、リラの瞳がきらりと揺れた。


 


 「うん、約束」


 


 その言葉を胸に刻んで、俺はチセの中に戻った。


 


 薪の火が赤く揺れている。


 ノシュが丸太を切っていて、少女たちは魚の皮を剥ぎ、ユイは笛を手に旋律をなぞっている。


 


 すべてが、生きている音だった。


 誰かが笑い、誰かが叫び、誰かが祈る。


 そのすべてが、俺の《オイナ》の源になる。


 


 語り手の村は、確かにここにある。


 まだ雪は深く、風は鋭い。


 だけどこの声がある限り、俺たちは進める。


 


 だから今日も語る。

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