第2話
リラのチセは、俺のそれよりもしっかりしていた。
雪をかいて固めた壁に、木の骨組みを組み合わせた構造で、屋根には熊の皮が敷かれている。中に入ると、空間は狭いが暖かい。中央に石を積んだ炉があり、火が小さく揺れていた。火の匂いと乾いた獣の皮のにおいが鼻をかすめる。
「入って。炉を強くするから」
そう言ってリラが炉に乾いた苔と木片を足す。すぐにパチパチと爆ぜる音がして、橙色の火が広がった。リラの顔にも、ようやく血の気が戻る。
「……助かった。ありがとな」
「礼なんていらない。あんたが凍ったら、こっちも困る」
「冷たい言い方だな」
「氷の国だもの。温かくしてばかりじゃ、身も心もやられるよ」
言って、リラは俺の横に座った。俺はマントを脱ぎ、炉のそばにかける。
「精霊と話してたの、また?」
「おう。今日のはちょっとおしゃべりだったな。やたら喋るくせに最後は風と遊びに行った」
「風の子……イソラ・カムイね。冬になるとよく出てくる。でも普通、言葉は交わせない。みんな、あの子たちを恐れてる」
「俺には、なぜか通じるんだよ。理由は分からんけどな」
リラが、炉の炎を見つめたまま言った。
「たぶん……言葉が、ちゃんと届いてるからだよ。意味じゃなくて、“気”で話してるんでしょ?」
「気?」
「うん。こっちの人は、そういう話し方する。木にも火にも、水にも声があるって信じてる。でも、声って言っても音じゃなくて、感覚みたいなもの」
「そっか……。じゃあ、俺が言ってることは、あいつらにとって“話す”っていうより、“感じる”ってことか」
リラが小さく頷いた。
「昔の人は、森の中で“カムイ”と話して生きてきた。火を借りて、風に助けられて、川と眠って……でも今は、誰もやらない。言葉を知ってても、もう使えない。あたしの村も、みんな死んじゃったから……」
言葉が、少しだけ震えた。
リラの両親も、この廃村で命を落とした。吹雪か、獣か、病か。それはもう誰にも分からない。ただ彼女だけが生き残り、こうして炉を守っている。
「……じゃあ、俺はお前と同じだな」
「……え?」
「俺も、追い出された身だ。仲間に見捨てられて、ギルドからもいらねぇって言われて、気づいたらここにいた。……それでも、生きてる。お前もそうだろ?」
しばらく、リラは黙っていた。
だがやがて、ふっと笑った。
「変な人。普通、そんなこと自慢げに言わないよ」
「自慢じゃねぇよ。……ただ、言っておきたかっただけだ。生きてるってことは、死んでねぇってことだからな」
「……うん」
火がパチンとはじけた。
それだけで、室内の空気がほんの少し変わる気がした。言葉というものが、こんなにもあたたかいなんて、知らなかった。
「そういえば、あんた……このあいだの“オイナ”、また試した?」
リラが、急に身を乗り出してきた。
「“雪をほどく歌”、でしょ。もし本当に使えるなら……!」
「いや、試したさ。……けどな、まだうまくいかない」
俺は少しだけ口元を歪めた。
「音は合ってる。言葉も覚えた。だけど、気が足りねぇ。何かが、まだ欠けてる感じなんだよ。祈ってるようで、祈れてない。そんな感じがする」
リラが真剣な目で俺を見た。
「……じゃあ、あたしもやってみていい? うちの母さんが昔、歌ってた“ユカル”……一緒に唄えば、きっと届くよ」
ユカル──それは古の伝承歌。人と神が一緒に唄い、空に届ける旋律。
俺は頷いた。
「いいぜ。試してみよう。──この吹雪が過ぎたらな」
外では、風がうねり始めていた。
雪はまだ降っていないが、空の色が変わる。灰色が濃くなり、空気が重くなる。それは“氷の獣”たちが目を覚ます合図だ。
「……なあ、リラ」
「ん?」
「この地に春は来ないって言うけどさ。もし──もし、誰かが春を呼べるなら、それって“罪”になるのかな?」
リラは、一拍置いて、そっと言った。
「それは、罪じゃないよ。……“希望”だよ」
風が叫び、雪が吠え、夜がやってくる。
だが俺たちは、まだここにいる。炉の火と、声と、言葉で繋がって──
明日を、呼ぼうとしている。
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