第20話

 王都カンチャナブリー――

 それはアユータヤ王国の心臓であり、神々と人が交わる最も神聖な地。


 高く聳える白金の塔群。

 神官たちの祈りが響き渡る大伽藍。

 そして、世界中から選ばれし者たちが集う“召喚士選定の祭壇”。


 俺、ナラヤン・ラーチャはその門前に立っていた。


 八つの精霊の加護を得た者。

 村から旅立ったただの農民は、今や一国の命運を左右する儀式に挑もうとしている。


 「ここが……始まりの地」


 石畳の道は真っ直ぐに城壁の内へと続いており、門番たちは神印の通行証を見ると即座に門を開いた。


 中へ足を踏み入れた瞬間、空気が一変する。


 聖域として結界が張られた都の内部は、空気が透き通っていて、微かな神気が漂っていた。

 歩くだけで、心が浄化されていくような静けさと荘厳さがある。


 やがて、神殿に併設された“選定の館”へと通される。


 そこには、各地から集まった候補者たちがいた。

 貴族の出である者、名門の神殿に仕えていた者、王家の血を引く者――その誰もが、圧倒的な雰囲気を纏っていた。


 俺が部屋に入った瞬間、何人かの視線がこちらに向いた。


 だが、すぐに彼らは興味を失ったように視線を逸らす。


 「農村の召喚士か。面白い。精霊が暇を持て余していたのかもな」


 「名前……ナラヤンだったか? どこかで聞いたような、いや、聞いたこともないな」


 嘲笑にも似たささやき声が、部屋のあちこちで飛び交う。


 けれど、それを否定する必要はなかった。


 俺が誰で、何をしてきたか――それは、試練の場で示せばいい。


 実力は、言葉ではなく行動で示すものだ。


 そこへ、神殿の奥から、白金の法衣を纏った神官が姿を現した。


 「各候補者よ、よくぞ集われた。これより、“真なる選定”を開始する。まずは、神印の開示をもって、第一試験とする」


 静まり返る空間の中、神官の言葉が響く。


 「己の胸を見よ。精霊との絆、その証を示せ」


 試されるのは、加護の数ではない。

 精霊との“繋がりの強さ”。


 俺はゆっくりと、胸の衣をはだけた。


 衣の下、胸に刻まれた神印が露わになる。


 その瞬間、空気が震えた。


 精霊の加護を宿す者にのみ現れる紋様――だが、俺の神印はそれだけではなかった。

 火、水、風、地、雷、幻、光、闇――八つすべての加護の文様が、連環のように重なり、中央に渦巻くような形を成している。


 淡い金色の光を放ちながら、その文様はまるで生き物のように脈動していた。


 その光景を見た瞬間、それまで軽薄な視線を向けていた候補者たちが、次々に表情を変えた。


 ざわり、と波のように空気が動く。


 「……あれは……まさか、八精霊の全加護……?」


 「そんな者が、実在するのか……!?」


 「神話の中だけの存在じゃなかったのか……」


 誰かが呟き、誰かが立ち上がる。

 誰かが言葉を失い、誰かが目を伏せた。


 だが俺は、その反応すら意に介さず、ただ神官の方を見据えた。


 白金の法衣を纏った神官は、わずかに目を細め、頷いた。


 「……真に、八つすべての加護を得し者。神獣ナーガの正契者、ナラヤン・ラーチャ……ここに在り。記録に残る限り、四百年ぶりの“全霊契約者”である」


 場が静まり返る。

 誰もが、ただその言葉を受け止めることしかできなかった。


 そして次の瞬間――

 神殿の奥にある巨大な扉が、軋むような音を立ててゆっくりと開かれた。


 中から現れたのは、王都最高の神官にして、精霊との繋がりを最も強く持つ者。

 通称“霊王(れいおう)”と呼ばれる、老齢の男だった。


 白銀の髪と深紅の瞳を持ち、その足取りは老いてなお堂々としていた。

 その姿を見た瞬間、周囲の者たちは一斉に跪く。


 俺は、その場に立ったまま、彼を真正面から見据えた。


 霊王はゆっくりと近づき、俺の神印を見つめ、口を開いた。


 「ナラヤン・ラーチャ。……お前が、この時代に現れし者か」


 「はい。俺は、己の意志でここに来ました」


 「では問おう。何のために精霊の力を求めた?」


 その問いに、俺は一歩前へ進み、答えた。


 「誰かに与えられた運命に従うためではなく、俺自身の目でこの世界を見て、選び、動かすためです」


 霊王は目を閉じ、そして微かに笑んだ。


 「その答えこそ、我が王国が今最も必要としていたものだ」


 そう言って、霊王はその手を俺の肩に置いた。


 「ナラヤン・ラーチャ。そなたには、ただの召喚士候補ではなく、“神霊守護者”としての席を授けよう」


 その言葉に、周囲がどよめく。


 “神霊守護者”――それは、王国の中心にして、精霊との繋がりを持ち、国家の危機に際して唯一“召喚の儀”を行える者。


 本来であれば、十年以上の修行と試験を経て選ばれるその称号を、いまこの瞬間、俺は得た。


 だが――これは、終わりではない。


 この王都には、何かがある。

 何かが始まろうとしている気配が、確かにある。


 八つの加護が、それぞれざわめくように俺の中で響いた。


 そのとき、神殿の奥、聖域のさらに深き祭壇で――

 封じられていた“何か”が目を覚ました。

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