第5話

 翌朝、村はざわめいていた。


 広場にはいつもより多くの村人が集まり、誰もが口々に昨夜の“異変”について話していた。

 空に走った裂け目、落ちていく光、森の奥の轟音──誰もがそれを“吉兆”か“凶兆”かで議論していた。


「やっぱり、あれは神の怒りじゃないか?」


「いや、逆に何かが目覚めたんだ。伝説にあるだろ? 古の守護者が帰ってくるって」


 そんな中、俺は何も言わずに隅で黙って立っていた。


 心の中では、昨夜の出来事がまだ鮮明に焼き付いている。

 けれど、それを口にするわけにはいかなかった。


 村の誰も信じないだろうし、それどころか恐れられる可能性だってある。


 ──今は、黙っておこう。


 そのとき、広場の中央に設けられた祭壇の前に、村長のソックが姿を現した。


 彼は高い冠と赤い布を纏い、儀礼用の杖を持っていた。

 この村で最も古い血を引く者として、神祭りの進行を担う役目を持っている。


「よいか、皆の者。今日から三日間、我らの村では“祭霊の儀”が執り行われる!」


 ざわっ、と群衆が沸いた。


 祭霊の儀──それは、若者たちが神に捧げる舞と力比べを通して、選ばれし者を導き出す古代の儀式だ。


「……あれ、今日だったのか」


 つい口をついて出た言葉に、隣にいたミンが振り返った。


「忘れてたの? 神祭りよ? 昨日の空のこともあって、今年はきっと特別になる」


「……そうかもな」


 俺は目を細めて、壇上のソックを見上げた。


「そして今年は、特別に“召喚試験”の門を広く開くこととする!」


 その言葉に、さらにざわめきが強くなる。


「召喚試験……!? でも、例年は限られた者しか受けられないはずじゃ……」


 ミンが驚いたように呟いた。


「神の兆しが現れた今、誰が選ばれるかは、神のみぞ知る。ゆえに今年は、十五歳以上すべての若者に挑戦権を与える!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の心が跳ねた。


 ──つまり、俺にも……資格がある。


「ナラヤン……受けるの?」


 隣でミンが、少し戸惑ったような顔で俺を見た。


「いや、まだ分からない。でも……受けてみたいと思ってる」


 本心だった。

 これまでは“どうせ無理だ”と最初から決めつけていたけど、もう違う。

 俺は昨夜、神獣ナーガと契約した。

 その意味が何かは完全には分からない。けれど──きっと、意味があるはずだ。


「……なら、私も応援する」


 ミンはそっと笑ってくれた。

 その笑顔が、なぜか胸に刺さった。


「ありがとう」


 それだけを返すと、俺は広場の中央へと足を向けた。

 儀式への参加表明は、村の長老たちの前で名前を告げるだけ。

 でも、その一歩が、これまでの俺には遠かった。


 今日、それを踏み出す。


「……参加します。ナラヤンです」


 名乗った瞬間、周囲の空気が変わったのを感じた。


 チッ、と舌打ちする音。

 振り返らなくても分かる。兄の友人たちだ。

 以前から、何かと俺を見下していた連中。


「……おいおい、あいつ本気かよ」


「冗談だろ? 農具すら満足に持てない奴が、神を呼べるかっての」


 冷たい視線が背中に突き刺さる。


 でも、もう逃げる理由はない。

 俺は、この力を手に入れたんだ。逃げる理由より、進む理由のほうがずっと大きい。


「次の者──カマル、前へ!」


 村の武術組頭の息子、カマルが名乗り出る。

 兄のライバルであり、同年代の中では一目置かれている存在だ。

 全身に自信をまとい、俺を横目に見ながらニヤリと笑う。


「足元に気をつけろよ、ナラヤン。神様ってのは、お前みたいなやつを踏んづけて進むもんだからな」


「なら、俺は神様に抱かれる側でいいよ。踏まれるのも慣れてる」


 挑発に返したその一言に、カマルが一瞬、口をつぐんだ。


 周囲からくすくすと笑い声が漏れた。


「へえ……口だけは達者になったな」


 睨みつけるような視線を残して、カマルはその場を去る。


 けれど俺は、その背を見送るだけだった。


 大丈夫。心の奥で、あの“契約”が燃えている。

 俺にはもう、逃げる理由も、折れる理由もない。

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