第4話

 全身を満たしていく熱は、まるで溢れ出す泉のようだった。

 それは怒りでも喜びでもなく、ただ、確かな“力”だった。

 俺の中に、新たな何かが根を下ろした感覚。


「……これが、神獣の加護……」


 呟いた声が震えていたのは、恐れからじゃない。

 初めて、自分自身に手応えを感じたからだ。


 ナーガは、最後に俺を見つめると、空へ舞い上がった。

 金色の身体が夕闇の空に浮かび、再び裂け目のような空間を通って、音もなく姿を消す。


 残された俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 何が起こったのか、完全には理解できていなかったけれど──


 もう、戻れないことだけはわかっていた。


 背中に刻まれた熱は、消えない。

 胸に宿った文様は、うっすらと光り続けていた。


 ──俺は、変わってしまった。


 それが嬉しくて、怖くて、でも何より……生きていると実感した。


 ゆっくりと地図の残骸を見下ろす。

 赤い点が示した場所。あれが、何なのかはまだわからない。


 けれど、俺はそこへ向かわなければならない。

 それが、この力を授かった者としての“義務”であり、運命だ。


「よし……行こう」


 立ち上がると、足取りは軽かった。

 森を抜け、村へ戻る途中、空はすでに星を纏い始めていた。


 夜の森は静かだった。

 けれど俺の心の中は、ざわざわと波立っている。


 明日には、村が変わって見えるかもしれない。

 いや、俺のほうが、変わったのだ。


 自分でも、これからの自分がどうなるのか想像がつかない。

 けれど、不思議と怖くなかった。


 ──やっと、始まったんだ。俺の人生が。


 村の灯りが、遠くに見えた。

 その光は、今夜はいつもより温かく、少しだけ優しく感じられた。



 村へ戻ったとき、夜はすでに深く、広場の焚き火だけが燃えていた。

 人影はまばらで、昼の喧騒が嘘のように静まり返っている。


 足音を忍ばせて家へ戻ると、家の中では母がまだ起きていた。


「ナラヤン……どこへ行ってたの?」


 火鉢の前で薬草を仕分けていた手が止まり、母が顔を上げた。

 その目には、怒りでも心配でもなく、問いかけがあった。


「ちょっと、森に……光を見たから、気になって」


「見た? あの赤い空の裂け目を?」


「うん。でも、もう消えた。……何もなかったよ」


 嘘だった。けれど、それしか言えなかった。

 ナーガのことも、契約のことも、今は話すべきじゃない。そう感じた。


 母はしばらく俺を見つめていたが、やがてふっと息をついた。


「……なら、いいわ。でも、危ないことはしないで」


「ああ、わかったよ」


 言いながら、俺は胸に手を当てた。

 文様は、まだほのかに熱を持っている。

 誰にも見えないのに、確かにそこにある。


 今までとは違う。俺は、もう“ただのナラヤン”じゃない。


 その夜、床についたものの、眠気はまるで来なかった。

 目を閉じれば、ナーガの眼差しと、あの地図が浮かんでくる。


 ──八つの地点。

 ──侵されている土地。


 あれは何なのか。何が始まろうとしているのか。

 そもそも、俺一人でどうにかできることなのか。


 けれど、怯えてはいなかった。

 むしろ、胸の奥は静かに燃えていた。


 ようやく見つけた、自分の役目。

 誰にも与えられなかった価値が、今、ここにある。


「俺は……きっと、大丈夫だ」


 小さく呟いて、目を閉じた。

 闇の中、どこか遠くで鳥の声が聞こえた気がした。

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