第26話 歓喜と断絶
如月ミカは村はずれの小さな森へと足を踏み入れた。
誰にも見られぬよう、静かに、慎重に。
朝霧が立ち込める中、冷たく湿った土の匂いが鼻をついた。
足元には小さな草花が露に濡れ、太陽のない空はぼんやりと白んでいた。
ミカは震える手で腰を下ろし、静かに目を閉じた。
そして、そこで──ついに、身体に溜め込んでいたものを解き放った。
長い間封じ込めていた衝動が、静かに、しかし確かに流れ出した瞬間、ミカは全身で歓喜を覚えた。
冷たい地面、澄んだ空気、世界と直接繋がったという感覚。
肉体が再び世界と交わった瞬間、魂までもが震えた。
涙が止まらなかった。
ああ、私は、生きている。
ミカは震える手で顔を覆い、ただただ静かに泣いた。
それは後悔の涙ではなかった。
あふれる命への、限りない感謝だった。
自分の内側に押し込め続けたものを、こうして再び世界へ返すことができる──。
そんな奇跡のような感覚が、彼女を満たしていた。
だが、その幸福な一時は長くは続かなかった。
背後に、静かな足音があった。
振り返ると、村の数人の大人たちが立っていた。
彼らの顔には怒りも驚きもなかった。ただ、冷たい絶望のような沈黙だけがあった。
掟を破った者。
穢れをもたらした者。
その視線は、裁きではなく、もはや断絶そのものだった。
ミカはすぐに悟った。
自分は、もうこの村にはいられないのだと。
静かに立ち上がり、朝靄のなかで深く息を吸い込んだ。
それでも、後悔はなかった。
生きること。
出すこと。
それは、どんな禁忌よりも、どんな掟よりも、彼女にとって確かなものだった。
この身一つ、どれほど小さな存在であろうとも、世界に触れ、痕跡を刻むことが、生きるということなのだと、今ははっきりわかる。
ミカはゆっくりと立ち上がった。
涙を拭き、村人たちを真正面から見据えた。
──私は、生きる。
誰に何を言われようと、恥じることなく。
たとえ孤独でも、たとえすべてを失っても。
もう一度、世界へ戻るために。
ミカはゆっくりと、森の奥へ向かって歩き始めた。
その背に、村人たちの沈黙の視線を浴びながら──。
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