第12話 葛藤の滴り

 夜のアトリエで、如月ミカは一枚のキャンバスを前に立ち尽くしていた。


 生きる糧だった排泄を、かつては身体から直接“出す”ことで実感していた。だが今、彼女は絵筆を通してそれを表現している。


 それは、果たして同じ“出すこと”と言えるのだろうか──?


 筆を握る手は震えていた。

 絵具の匂い。乾きかけたキャンバスのざらつき。身体の中から溢れ出したはずのイメージ。

 それらは本当に、彼女自身のものなのか?


 世間は賛辞を送った。評論家たちは彼女を讃えた。

 だがミカの胸には、虚ろな空洞が広がっていた。


 出しているはずなのに、出し切れていない。

 描いているはずなのに、どこかで「これではない」と叫ぶ声がある。


 ──私は、絵に逃げているのではないか。


 腸が静かになったあの日から、ミカの生は変わった。

 かつては、ただ排泄することが存在証明だった。

 今は、排泄を描くことでそれを代替しようとしている。


 だが、代替は本物ではない。


 ミカは目を閉じた。

 深く、深く、呼吸を沈める。


 絵筆を持たない手。排泄しない身体。

 何も出さずに、ただそこにあるだけの自分。


 ──それでも、私は、生きているのか?


 静寂の中で、自問する。

 答えはない。ただ、次の一筆を求めるように、心の奥で何かが微かに疼いていた。


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