第4話 排泄信仰の時代
如月ミカの名は、もはやAV業界だけにとどまるものではなかった。
文化人類学者が彼女を「現代における聖なる身体の再発見」と評し、哲学者は彼女の沈黙に「言語以前のメッセージ性」を読み取った。美術館では彼女の排泄映像がインスタレーションの一部として上映され、観客は便器型の椅子に座って鑑賞する形式が話題を呼んだ。
都市の風景も変わり始めていた。彼女の名を冠したトイレ「ミカ・ルーム」が設置される高級ホテルが登場し、そのトイレでは“無音の排泄”がコンセプトとされていた。公立のトイレでも、瞑想用BGMが流されるようになり、「排泄は沈黙の瞑想である」という標語が貼り出される。
街頭ビジョンでは、彼女の排泄中のシルエットがアニメーションとして流れ、そこには一切の説明も音声もなく、ただ白黒の静謐な映像がループしていた。それはもはや広告ではなく、都市が祈るための“動く聖句”だった。
熱心なファンの間では、如月ミカの排泄日を祝う「降糞祭(こうふんさい)」なる儀式も生まれた。SNSでは毎月の予想日時が議論され、祭壇を模した便器に花を供え、彼女の旧作を一斉に鑑賞する文化が根付いていった。
こうして社会は、排泄を恥の対象から“意識と敬意の対象”へと昇華させていった。これは単なるフェティシズムではなく、文化的転回であり、ひとつの宗教的変革でもあった。
だが、その渦中にいる本人──如月ミカは、変わらなかった。
相変わらず、月に数度だけ撮影スタジオに現れ、語らず、ただ便器に腰を下ろし、祈るように排泄を行う。それだけだった。
彼女にとって、これは名声でも宗教でもなく、ただ“腸の声を聴くこと”に過ぎなかった。
「うんこをすることが、こんなにも重く、こんなにも見つめられるとは」──ある日、スタジオのプロデューサーがこぼした言葉に、ミカは何も返さなかった。ただ、小さく頷いたように見えた。
やがて彼女の周囲では、「排泄とは何か」をめぐる論争がヒートアップしていく。
排泄を人間の尊厳と見る者。
排泄を人間の“最も動物的な残滓”と見る者。
排泄を政治・思想・経済の象徴と位置づける者。
如月ミカは、否応なく「排泄という概念」をめぐる社会全体の投影面となっていた。
そしてある日。
撮影から戻った彼女のポストに、一通の封筒が届いていた。
くすんだ茶色の封筒。差出人なし。
厚みもなく、重さも感じない。
だが、何かが決定的に“違っていた”。
ミカは無言でそれを開いた。
中には一枚の紙。
『うんこ免除許可証』
この証書を以て、あなた如月ミカは
本日以降、排泄行為を免除される。
※本効力は例外を認めない。
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