第3話
「まったく……同僚に重力波をブチ当てるなんて聞いたことありませんよ。
アポクリファの能力を神様が与えたのだとしたら、絶対あんな奴にあんな能力を与えたこの世に神様なんていませんよ! あんな奴には悪さをしたら自分が自爆するような能力が与えられるべきなんです!」
シザはラヴァトンホテル最上階にある自宅に戻っても、怒っていた。
怒りながらも、ユラの腕にある傷の手当てをしてやる手つきは確かで優しい。
ユラはくすくす、と笑った。
「……今笑う所じゃないですよ」
その顔に絆されそうになったのを誤魔化すために、彼はあえて冷たい声を出した。
「ごめんなさい」
ユラは優しい声で謝る。
明らかに宥めるように響き、
シザはため息をついて、ようやく怒気を収めた。
「……本当に大丈夫ですか? 明日定例会でピアノを弾くのにこんな怪我して……取りやめてもらいましょうか? 大丈夫ですよ。【バビロニアチャンネル】の定例会ですし、公演とは違いますから」
ユラは首を振った。
「どれも小さなケガだし大丈夫です。それに確かに公演じゃないけど【グレーター・アルテミス】全域とノグラント連邦共和国にも少し配信されるから、弾きたいです。
少しでも……お世話になってる人に届けたいから」
「……。」
ユラは紫水晶のような瞳で、シザを見上げて来る。
「シザさん、暗い顔をしています」
「……。いえ……。
本当に貴方にこんなことをさせていて、いいのかなあと思って。
貴方の使命は音楽を奏でることなのに、こんな風に危険に晒して戦わせるなんて」
ユラの【アポクリファ・リーグ】参戦はアリア・グラーツから強く要望されたものだ。
シザは反対した。
しかし今、各地で廃案運動が盛り上がっているアポクリファ特別措置法――その苦しみを知る自分が【アポクリファ・リーグ】に映って活動をアピールすることで、活動の後押しが出来ると考えてユラは自分で承諾した。
いわゆる、その枠組みの中の【アポクリファ・リーグ】の広告塔だ。
普段の番組収録に参加するのを条件に、戦闘描写以外の収録を組み、他国に【アポクリファ・リーグ】を配信する準備を整えていて、ユラはその宣伝の役回りを果たすことになっている。
当然シザは不満だった。
そんなものが無くても、ユラ・エンデは音楽だけで世界に影響力を及ぼすことが出来るのだから。
【アポクリファ・リーグ】のことは【アポクリファ・リーグ】のことだ。
だがユラ自身の要望もあり、最終的には納得した。
シザはどんなことであれ、ユラ自身が望むことはなるべく邪魔をせずやらせてやりたいと願っていたからだ。納得はしたが、不満はある。勿論ユラではなくこのプロジェクトを押し進めるアリア・グラーツに対してだ。
ユラがいてはリーグの戦いに集中出来ないはずだから所属は【
それならユラのマネージャーにでもなって【グレーター・アルテミス】に彼がいる限りどこの現場にも一緒に行き、影ながら彼を守り支える役の方がずっと有意義だ。
それを言いかけた時、シザの方から何かただならぬ気配を察したのだろうアリア・グラーツは聞かせたことも無い優しい声でユラに「貴方とシザが【グレーター・アルテミス】で共に【アポクリファ・リーグ】に参戦し、寄り添っている姿を見せることで、あの法案で苦しんでいる人たちを救う力になると思うわ」などと言って丸め込み、シザを黙らせたのだ。
「……折角ユラが【グレーター・アルテミス】に戻って来ても、こんな危険な仕事ばかりさせてるようでは、僕は貴方を守っていることにならないんじゃないかな……」
怒っていたシザの声が変わる。
今度は落ち込んだような気配があった。
「シザさん、そんなこと言わないでください。
こうやってシザさんと同じ仕事がここで出来て、僕はとても嬉しいです」
ユラは目を輝かせて見上げて来る。
「ずっとこの街の人たちに何かを返したいと思ってたから」
じっと見つめ返してもユラの瞳に淀みはない。
シザは白旗を上げた。
「……あなたが、そう言うのなら僕は何も言いません。
でも……お願いですから無理だけはしないで下さい。
特に、今日は突発的なことだったので仕方ないですが、
戦闘に関わって欲しくないんです。貴方はこの腕だって命に等しいんですから。
腕に怪我をしただけでも貴方には命に係わるも同じことなんです。
だから不意に戦いが始まった時はすぐに退避するか、力あるディフェンダーに守ってもらってください。
敵の撃破とかは全部僕がやります。
それだけは守って下さい、ユラ。
貴方の使命は【アポクリファ・リーグ】で戦うことでは絶対にないです。
貴方に何かあったら……、……僕は絶対に生きていけない」
「はい。約束します。シザさん」
シザは手当を終えると、そっと両腕でユラの身体を抱きしめた。
――『ノグラント学生連合は次の選挙で二十一歳の若きリーダーを国会に送り込みます! アポクリファ特別措置法はノグラント連邦共和国の査問会議に掛けられることが先週決定しましたが、今だ世界各地ではこの悪法に苦しめられる人々が存在します。
学生連合代表であるネイト・アームステッドは国際法が、地上における全ての人々の人権に寄り添わない限り、戦いを続けることを宣言しています!
ご覧ください!
【グレーター・アルテミス】から沸き起こったこの大きなうねりはノグラント連邦共和国全 域を飲み込もうとしています。
ノグラント学生連合は非暴力の精神を掲げ、新しい戦いの舞台に向かいます。
彼らの信念を示す花は今宵再び、この連邦議事堂に集いました!
査問会議には国連議員も召喚されたことから、国際連盟も今回のノグラント連邦捜査局の判断を重く受け止めていることが分かります
来月デ・ラナ王国で開催される環境会議において、もし国際連盟会議が招集された場合、国際連盟加盟国は必ずアポクリファ特別措置法に対しての判断が求められることになるでしょう。
事態は動き始めています!』
テレビから聞こえて来る廃案運動の様子を、シザの胸に凭れかかったままじっと耳を傾けて聞いているユラの背を優しく撫でてやる。
「……ユラはこういうのは苦手でしょう。……消しましょうか?」
多くの人が必死に声をあげている。
吹き出す、人の感情。
それが例えいいものでも悪いものでも、ユラには同じ激しい音で聞こえて来ることがある。
確かにそれが辛く思うこともあるけど。
ユラはシザの心音に意識を向ける。
静かに打ち返すその音を聞いていると、それだけで心は少し楽になった。
まず何よりこの問題から目を背けないことだ。世界中の一人一人が今こそ立ち止まり考えることが大事だと【非暴力の問題提起】を掲げ、たくさんの花を捧げてユラを自由にしてくれた人達には、深い感謝を彼は感じていた。
深く感謝する人や、
愛する人の声なら、
きっとどんなものでも受け止められる。
「なんだかまだ信じられないです……ぼく、あの家にいた頃は、本当にシザさん以外……助けてくれる人も、声を聞いてくれる人もいなくて……。
僕が苦しい時に、こんなに多くの人が手を差し伸べてくれるなんて思いもしなかった」
シザは少し音量は落としたがテレビはそのままにして、小さく笑んだ。
柔らかいユラの髪に、顔を埋める。
「……ユラには、これだけの人を動かす力があるんですよ」
優しい声で彼は言った。
ユラは腕の中で微笑ったようだ。
「この人達を動かしたのは僕じゃない。シザさんです。
あなたの戦う姿は、いつも誰かを勇気づけてくれる」
「……。僕も思いも寄らなかったです。世界がこんな風に変わっていくなんて――」
「ふしぎですね……」
「寝ましょうか」
シザは抱きしめたままのユラを抱え上げ、寝室に連れて行った。
彼を寝台に下ろし毛布を肩まで包み込むと、自分も隣に潜り込んで片腕をユラの身体に回して、寝る体勢を作る。
「……少し最近考えるんです」
うつら、とし始めていたユラはしばらくして聞こえた声に瞳を上げる。
シザは横向きに寝そべり、ユラの髪をそっと指先で遊びながら、何かを考えているようだった。
「僕は今までユラのことしか考えて来なかった。
今も勿論その思いに変わりはないけど、今回のことで……貴方を守るということは貴方の世界も大切に思って……守ってやらないといけないのかもしれないと思ったんです。
貴方の音楽や、
それを聞いて、感動してくれる人たち、
貴方を守るということは、貴方の生きる世界も大切にしないと、
……それが出来ないと僕の愛情はただ、ユラを独占し、閉じ込めたいと思うわがままで傲慢なものでしかなくなってしまう」
「……ぼく、今までシザさんが僕の世界を大切にしてくれなかったことがあったなんて、一度も思いません」
優しいユラの声は光のように胸の奥を温める。
「いずれ父さんたちの研究所を取り戻したいと思ってるんです。僕が自由になったら、ですけど」
「お父さんの……?」
「ダリオ・ゴールドの死後、他人の手に渡ってしまいましたが、その研究所と幾つかの財団をこの手に取り戻したい。
そして出来るなら僕たちみたいに身寄りや行き場所がない子供たちの、居場所になるようなものが作れたらいいなと」
「……いばしょ……学校とか、でしょうか……?」
シザは小さく首を傾げたユラの頭を優しく撫でてやった。
「まだ全然そこまでは……イメージが湧いていません。
まだずっと遠いあとのことだと思うし……。
でも……なんとなく」
「シザさん……」
「僕は自分が辛い時、逃げ場所や居場所がないことが一番辛かったですから。
ユラが苦しめられた時もそうです。……もっと貴方が深い心の傷を負う前に、ここでならもう大丈夫だというところに、連れ出してあげたかった」
後悔の言葉が響いてユラは少し心配したが、シザは優しい表情で見下ろしてきてくれる。
「僕と貴方には男同士だから子供が出来ませんけど、
この世界にこれだけ同じような苦境に苦しむ子供たちはたくさんいる。
……だったら、そういう子たちは少しでも助けてあげたいなと」
初めて聞く話だった。
勿論ユラはシザが「ユラだけ無事ならあとはどうでもいい」などと口で言っても、本当は簡単にそんな非情になれない、優しい性格をしていることを知っている。
だから今の話を聞いて驚くことは何もない。
ただ彼が自ら、他人と関わりたいとこれだけ口にはっきり出したのは初めてのことだと思ったのだ。
もし……本当の両親が生きていて側にいてくれたら、シザ・ファルネジアという青年は何を夢見て目指したのだろうと、ピアノを弾きながらユラは思いを馳せることがある。
彼は父親を尊敬していたから、同じ方面の仕事を目指したのだろうか?
でも、初めてだ。
シザの口から『未来』を聞くなんて。
「……ユラ?」
ぼんやりと何かを考えていたらしいシザは、ふと気付いた。
「どうしたの」
「……いえ……シザさんが未来のことを話してくれるなんて初めてだと思って……」
ユラの柔らかい頬に手の平で触れた。
静かに一粒だけ零れた涙には唇が。
「……そういう……つもりじゃなかったんですが」
ユラは強く、首を横に振った。
「違います。シザさん、嬉しいんです。
……はじめて、貴方の心に触れられたみたいで」
シザの左胸のあたりに、同じように手の平を触れさせた。
すぐに手が重なり、強く握り締めて来る。
「そんな悲しいこと言わないで。
僕の心はあの日、初めてユラが僕を苦しみから救ってくれた時から、
ずっとユラの手の中にあるのに」
――片時も離れたことなんてない。
ユラは小さく涙を零す顔で微笑った。
「違うんですシザさん。ごめんなさい。
不安にさせて……僕、言葉にするの下手ですね」
彼の顔を覗き込むようにしてからシザも微笑んだ。
今度はしっかりと両腕で深くユラを抱きしめる。
「知ってますよ。そこが可愛いからいいんです」
「シザさんの夢や、やりたいことが分かればいいなってずっと思ってたんです。
少しでも、例え失われた何かの欠片から必死に探したものでも。
そうしたら僕もそれを応援したり、力になれるから。
……シザさん、もしその夢が叶ったら僕もその子たちのために何か一緒にしたいです。
してもいいですか?」
「勿論ですよ。ピアノを弾いてください。
ユラのピアノを聞けば、
きっと苦しい記憶を持つ子供たちも、世界にはこんな綺麗なものがあるんだって信じられる」
「……楽しみです。研究所のことも、ぼく応援します」
柔らかく笑ったユラの白い額に、シザはそっと唇を触れさせる。
「僕が研究所を取り戻したらユラを連れて行ってあげる。
僕は小さい頃あそこが遊び場だったけど、……ユラはそれが出来なかったから」
シザとユラの両親は一緒だが、
ユラは自分に両親がいるという実感は持ったことがない。
共に生きたことがないからだ。
ユラにとって唯一の庇護者は、兄のシザだけだった。
(でも愛してる)
写真でしか見たことがないシザの父と、母。
彼はきっとその優しさと強さを、彼らから受け継いだ。
だから彼のように深く愛してる。
「ユラ」
唇が重なった。
握り締め合う手のひら、
シザの指が、ユラの細い左手の薬指を撫でた。
「ずっと僕の側にいてほしい」
自分は兄のシザほど、言葉で上手く愛情を伝えられない。
言葉の代わりにユラは握り締める手に、しっかりと力を込めた。
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