第17話 ノブレス・オブリージュなんてクソ食らえ

 まだ俺が強さに取り憑かれていた頃。

 当時、妖怪たちは大妖怪と呼ばれる広大な縄張りを持つ妖怪の庇護下の元で暮らしていた。力ある者が弱者を守り、互いに不可侵の領域を保つことで、妖怪社会はある種の均衡状態を保っていた。

 これは結果として、人間たちにも平穏をもたらしていた。


 俺はそんな均衡など一顧だにせず、ただひたすらに戦っていた。

 名のある妖怪を見つけては力比べを挑んで倒し、さらに強い相手を求めて彷徨った。


 最強の妖怪になること。

 それこそが人外転生した〝主人公〟である俺の存在意義だと、当時は本気で思っていた。

 死闘の末のジャイアントキリングを繰り返し、着実に俺は大妖怪への道を駆け上がっていった。


 ある者は俺を讃え、またある者は恐れ、避けるようになった。

 それでもなお挑んでくる者たちもいた。大抵は力の差もわからない愚か者ばかりだった。


 妖怪だけでなく、僧侶や巫女すらも俺を封じようと襲いかかってきた。


 彼らの術は確かに厄介だったが、大妖怪となった俺の前には無力だった。

 返り討ちにしながらも、日本人としての感性が残っていた俺は、命までは奪わなかった。

 元々同じ存在だった者の命を奪うことに抵抗があったからだ。


 そんな俺をいつも隣で見守っていたのが、鎌鼬の妖怪であり、唯一の親友である太市たいちだった。

 肩の力の抜けた雰囲気を纏いながらも、芯の強さを感じさせる奴で、俺のように戦いに明け暮れる性格ではなかった。


「煌天丸、そろそろ過去を振り返ってみる時期ではござらんか?」

「クソみたいな過去を振り返ったところで、何にもならないだろ」


 前世での俺は、ただ流されるままに日々を消費していた。

 何も成せず、何者にもなれず、ただ虚無のような高校生活だった。

 その虚しさが、転生してからの今の俺を突き動かしている。


「強さの先にあるものを見誤れば、いつか後悔することになるやもしれぬ」

「俺は後悔なんかしない。んな暇あるなら、もっと強くなるっての」


 力を求めることだけが、生きている証明だった。

 努力すれば成長できる自分を肯定できた。結果を出せる自分が誇らしかった。


 前世で抱いた無力感、敗北感。

 それを払拭するためにも、俺は戦うしかなかった。


「ふむ、最強への道とは孤独な道でござったか」

「孤独でもいい。俺は誰にも負けない強さを手に入れるって決めたんだ」


 それが正しいかどうかなんて、どうでもよかった。

 強さは、俺にとって存在意義そのものだったのだから。


「拙者は、強さとはにあると考えておる。力があるならば、誰かを助け、導くべきでござろう」

「ノブレス・オブリージュなんてクソ食らえだ。そういうのは、お前に任せるよ」


 太市は深くため息をついたあと、それでも俺の隣にいることをやめなかった。

 俺がどれほど傲慢にふるまおうと、どれほど血にまみれようと、太市だけは変わらず俺の背中を見ていた。


「煌天丸、お主の鋭爪が切り裂いたのは妖の肉体だけではござらん。均衡という名の力までも断ち切ったことに気づいておるか?」

「どういう意味だ」

「強き者が倒れれば、弱き者は行き場を失う。空いた土地を巡って争いが起きるのは、自然の理。だが、その先に誰かの悲鳴が響くとなれば、それはただの武勲ではござらん」


 当時の俺はまだ、太市の言葉を真に理解することはできなかった。

 俺が倒した大妖怪たちの縄張りは空白となり、それまでその庇護にあった妖怪たちは彷徨い始めた。


 新たな住処を求め、行き着いた先は――人間の里だった。


 人間たちは、突如現れた妖怪たちに怯え、恐れ、争いの中で命を落とし、里は焼かれ、逃げ惑う者が後を絶たなかった。


 この世界の安寧を守ってきた力の均衡。

 それを俺は主人公であるという自惚れで壊してしまったのだ。


「戦いばっかりでは、心も乾くでござる。根を張る場があれば、心が潤うでござる」


 太市の言葉に、俺は言い返すことができなかった。心のどこかで、確かに何かを失っている実感があったからだ。


「拙者は、力なき小妖怪たちが肩を寄せ合って暮らせる場を作りたい。煌天丸。お主の力を、貸してくれぬか?」

「親友の頼みだ。断る理由もないさ」


 建設が進む中、妖怪たちが少しずつ集まり始めた。

 そこには争いもなく、穏やかな空気が流れていた。

 太市の言うように、根を張るというのは案外悪くない。


 寄り添い合う妖たちの姿を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなるのを感じた。

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