15

「限界だな」


 《要》の長である榊正隆は、《神木の巫女》の状況を冷静に観察して、そう言った。


「……半日ですよ? もうですか?」


 《要》に上がって日が浅い、《乙》の《要》、深草水都が聞く。水都は、《神木十家》とも九曜とも縁が薄く、榊にその能力を見いだされて連れてきた、まだ十七歳の少年だった。


「覚えておけ、水都。《神木の巫女》とはそういうものらしい」


 この事実を知ったのは、榊もすぐ最近で、具体的には《継承の儀》の二日前、警備計画について当主の九曜司に呼び出されたときのことだった。


 司は、暗殺を恐れて滅多に表向きに顔を出さない。己の配下でも、榊以外の《能力者》を面前に呼ぶこともない。


 なぜなら、この《能力者》が支配する九曜家の中で、唯一の能力者だからだった。


 《能力者》と能力を持たない者が対峙した場合、確実に《能力者》が勝つ。訓練された能力者と、《能力者》の幼児が闘ったとしても、確実に、《能力者》が勝つのだ。


 それは、《能力者》の基本能力――《時縫い》の為だった。時の中で立ち止まれる者に、通常の時を過ごす者は、止まった時間の間に繰り出される攻撃を防ぐ手だてはないのだ。


 そんな司が唯一自身の警護を許す《能力者》こそ、榊正隆に他ならなかった。


 榊は、壮年にさしかかろうという偉丈夫で、恵まれた骨格に理想的な筋肉が付いた、見るからに戦士といった体型をしている。それだけでも、彼の戦闘能力の高さを示しているが、何より司が信頼を寄せているのは、豊富な戦闘経験値だった。戦後の高度成長期の暗部、その中に育った彼の、野性的な戦闘センス。そしてそれを支えるのが、《能力者》としての最上級の能力だった。


 《能力者》の能力を大きさの指針である《時縫い》の効果範囲は五十キロメートル。《能力者》の傑される《要》が平均である二十キロメートルと比べても、群を抜いた広さだ。


 そして、瞬時の対応能力。これも群を抜いている。この反応速度を超えることは、若手最高峰と呼ばれる日色響でも、難しいかも知れないのだ。


 そんな司が、榊を呼んだ。


 表向きのことはほとんど、姪にして事実上の前妻である綾子に任せていたにもかかわらずだ。


 榊が、司の居室に出向いたとき、司は侍女の一人に爪を切らせていた。


「正隆、入れ」


 榊が開いた戸口の前で礼をする前に、司からの声がかかった。


 司の話し口は軽い。総じて威厳を持った話し方をする者が多い九曜家の老人の中で、一番軽いかも知れない、と榊は考えている。


「失礼致します」


「挨拶はいいわ。お前の挨拶は堅苦しくて敵わん」


 司は目の前の膳に乗った小皿から、干菓子をとる。そして、切った爪の仕上げをしていた侍女に手渡した。「下がれ」の合図だ。


 侍女は黙ったまま丁寧に一礼すると、奥に下がった。


「見かけぬ者ですが……」


「式神よ。手慰みにな」


 司は干菓子をつまんで口に入れる。


「その当たりに漂って居った狐を入れてある」


「左様ですか」


 司は、《時縫い》ができないため、榊のような《時縫い》に派生する能力は使うことができない。だが、呪術の心得がないわけでもない。逆に、符術・狐術に関しては、大家だった。それでも、《時縫い》には対抗できない。なぜなら、符術も狐術も流れるときの中で作用する術でしかないからだった。


「正隆、《継承の儀》、どうなった?」


「はい。つつがなく準備は進めております」


「そうか。今回は、《神木十家》の横車らしいな。《叢雲》が本物であるとわかった途端に手のひらを返しおって」


 さも面白い話を聞いたとでも言うように、司は笑った。


「《叢雲》は、神木を斬るという。それを恐れておるのよ」


「御前?」


 榊がいぶかしむように、司を見た。


「そう恐ろしげなものを見るような目で見るな。おお怖い」


 司は、ふざけた様な口調で言った。


「……御前」


「なに、神木も《神木の巫女》も、歴史の部品の一つでしかないと言うことだ。神剣を壇ノ浦の海にどさくさに紛れて捨てたのは《神木十家》そのものだからな」


「それは確かなことなのですか?」


 もし、それが本当であれば、あの神剣は九曜家と《神木十家》との間に新たな溝を作りかねない品と言うことになる。


「当時の状況的にも、間違いはない。だから、一刻も早く《叢雲》を《神木十家》はその手と目で確認し、間違いがなければ手元に置きたかろうて」


 くくく、と司は笑った


「正攻法で来るとは限らんよ」


 こういった乱を好むような発言をする司を、正隆は困ったような顔で見守った。


「じゃから、此度の警護対象は《神木の巫女》だけではなく、《叢雲》も入れよ」


 笑いを止めて、正隆の目をのぞき込むように司は見た。司の瞳には仄暗い光が宿る。


「久方ぶりの戦かもしれんな。次は《神木十家》が相手かの」


「御前!」


 誰かに聞かれたら、冗談では済まない話だった。


「無いとは言えぬ、先の話よ」


 司は茶封筒を榊に投げてよこした。


「これは?」


「狐が調べてきたものよ」


 封筒の中には流麗な毛筆での書き付けが入っていた。


「狐のしでかしたこと。人がするそれのように纏まってはおらぬがの。……事実の羅列よ」


 他愛のない食事の内容や、来客の記録。その中に目を疑う内容があった。


 その表情を見た司が、傍らのキセル箱からキセルを取り出した。


「狐は、人の夢にも忍び込むゆえな」


――《神木の巫女》の静音と《戊》叶省吾は、繋がっている。


「その二人は、まだ男と女の関係にはなっておらんだろうがな」


 司は、榊がどの項目を呼んでいるのか、わかっているようだ。


「そして、この先も無いだろうよ」


 一筋の煙が流れる。


「……つまらぬ事よな」


 時々榊は、司が本当は人間が好きなのではないかと思うときがある。なんの裏付けもない、確たるきっかけがあるわけではないが、不意にそう思う。


「つまらぬ事、ですか」


「椿が九曜の門を叩いたとき、儂は面白いことが起きそうだと考えた。柊家が自家の《神木の巫女》を人の中に置いて育てていると聞いたときも、そうだ」


 司は、煙を深く吸い込んだ。キセルに詰められているのは、煙草ではなく、延命によいとされる薬だ。それ故に、この煙はやや甘く、薬のような香りがする。


「壇ノ浦で《叢雲》を引き揚げた者の中に、この二人が入っていたという。わしは、長生きはするものだと思った」


 司は、遠くを見ていた。それは距離ではなく、時間の向こうだということは、榊にはわからない。


「だから、つまらぬのよ」


 ぽつりと司が言う。


「《神木の巫女》は、己以外の存在の気配に穢れる者よ。だが、その穢れを知らぬ身で、世の何を知るというのだろうなぁ、正隆」


 人の世は人でできておるのにな、と司が笑った。


「人の世の穢れを負うた《神木の巫女》が見たいの」


 榊は何も返せず、ただ黙るばかりだった。



 だからこそ、《神木の巫女》柊静音の不明が報じられたとき、真っ先に浮かんだのは神剣叢雲の所在だった。


 《叢雲》は、叶省吾を使い手に選んだが、《継承の儀》までの間は宝物庫で厳重に保管されている事になっているからだ。


 榊は、宝物庫へ走った。誰か別の者を確認に走らせることもできたが、厳重な宝物庫を開けた瞬間を狙われて強奪される可能性を捨てきれなかったからだ。


 《叢雲》は、宝物庫に安置されたまま無事だった。


 その無事を確認して、榊は安堵する。先日司に指摘された点については、クリアできたからだ。


 《叢雲》無事の確認最中に、叶からの入電があった。《神木の巫女》の安全のために、《神木の巫女》たちを一所に集めたいというのだ。


 榊はすぐに許可を出そうとして、躊躇した。叶は、椿家の人間だ。その叶の進言通りにしても問題はないものだろうかと。だが、その懸念はすぐに解消した。他の《要》も集合させたい、というのだ。叶が何かをしようとしても、他の《要》の目を盗むことは不可能だ。そこで、自身と自身が教育中の《要》の深草水都以外の動員を許可し、叶に指揮権を与えることにしたのだ。


 そんな昨夜からの流れを思い出しながら、榊は叶を呼んだ。


 叶はすぐさま、呼びかけに応じて、榊の元へやってきた。


「状況は、どのようになっている?」


「現状、他に《神木の巫女》に危害を加える者はありません」


 榊は、叶省吾という男を見た。


 叶は、椿の家の出身だという。であるならば《神木の巫女》の特殊性も十分把握しているだろう、そう考えた。


「いや、そういう事ではなくて、《神木の巫女》たちが、だ。数件から『勤めに障るから退席したい』という申し入れが来ている」


「その件でしたら、こちらにも入っています。現在、滞在中の《神木の巫女》に危害か及ばないと判断でき次第、解散を考えています」


「《継承の儀》はどうする事になっている?」


「綾子様よりのお言葉ですが、柊を除く九つの家の《神木の巫女》にのみ行って終了とし、柊の《神木の巫女》の行方については、責任を持って九曜が当たるべし、と」


 九曜家の家長は司だが、その実務を取り仕切るのが綾子である以上、綾子の方針は絶対だ。その綾子が《継承の儀》を続行するというのであれば、続行される。


「《神木十家》方はどのように?」


「柊家以外は、それに異は無し、と言ったところです。柊家は、九曜の怠慢故に、厳重な抗議をすると息巻いてますが」


「柊の不明について、他の《神木十家》は何と?」


「特に、意思表明はしていないですね。《神木十家》と一口に言っても、仲が特別良いわけでも無いですからね」


 特に、自家の《神木の巫女》に付き添って九曜家まで来ていた省吾の父で、椿裕吾などは、心配だと言いながら、息子の縁談を進めやすくなったという気配だ。省吾は殴りたい気持ちで会話を切ったほどだ。


――どいつもこいつも、静音の身を案じるのではなくて、自分の都合ばかりだ。


「そんなものか」


「そんなものです。《神木十家》も……榊さん、私が《神木十家》出身だと?」


「ああ、ある筋から教えて頂いた」


 榊が、尊敬語を使う以上、九曜直系かそれ以上の存在の存在であることは間違いない、そのくらいは省吾にもわかる。


「隠していたつもりはないのですが」


「俺にとっては、どちらでも良い」


 榊は任務以外の事はどうでもいいことだと省吾に言った。



 中断された《継承の儀》は、適切な再開時間を占い、再開された。


 儀式は柊が欠けた以外は、なんの滞りもなく粛々と進み、昨夜の異変が嘘のようだった。


 けれど、真北に設けられた柊の席は未だ空席であり、その席が埋まることは、《継承の儀》が終了までなかった。


 儀式の終了後、《神木の巫女》たちはそれぞれの神木の元への帰途についたのだった。


 ただ、己の《神木の巫女》が不明となった柊家だけは、勝手が違う。


 《神木の巫女》の空位を埋めるべく由木神社へと向かい、伺いを立てる、との話が、省吾の耳に入ってくる。


――《神木の巫女》、《神木の巫女》か。


 省吾は思う。静音は《神木の巫女》であること以外に価値はないのだろうか、と。あの不器用で強情な彼女には《神木の巫女》である事以外の存在意義はないのだろうかと。



 《神木十家》全てが九曜邸を離れた直後に、柊の《神木の巫女》柊静音の探索チームが組まれた。


 主立った構成員は、《要》から五名。それとそれに率いられている精鋭が三十。邸内のバックアップ要員として、占部十名、《薬師》方からは、《薬師》の長にして、秘宝管理人を兼任している佐々木良篠が加わった。


 これに伴い、《要》の人事異動が発令された。


 《要》の本業が九曜直系五名の警護である以上、五行の同じ《要》が探索に参加するわけにはいかない。しかし、適性と、面識の点から日色兄弟を探索に入れざるを得えなかったのである。


 新旧の《要》の配置は以下の通り。(●付きが、探索チーム参加者)


九曜 司 付き・木部

《甲》旧 榊 正隆  → 榊 正隆 代わらず

《乙》旧 深浦 水都 → 結城 正史(●)

九曜 歩 付き・火部

《丙》旧 綾部 由里 → 綾部 由里 代わらず

《丁》旧 影浦 静  → 影浦 静 代わらず(●)

九曜 美鏡 付き・土部

《戊》旧 叶 省吾  → 叶 省吾 代わらず(●)

《己》旧 土御門 嘉和  → 土御門 嘉和 代わらず

九曜 剣 付き・金部

《庚》旧 那須 恭一 → 那須恭一 変わらず

《辛》旧 結城 正史  → 日色 奏(●)

九曜 珠子 付き・水部

《壬》旧 日色 響  → 日色 響 代わらず(●)

《癸》旧 日色 奏  → 深浦 水都


 大異動であった。このことこそ、九曜が己の失態を何に変えても取り戻す、という意思表示に他ならなかった。


 この移動内容は、珍しく司が決めた。それもまた、九曜内外では大きく意義のあるものだった。



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