06 決着
言葉と共に、バグぴの周囲でベインブリッジがどこからともなくあらわれ、鼠を見つけたかのように暴れ回り、飛び回り、跳ね回り、宙に猫パンチを数百発繰り出し、その一発一発が青白いオーロラのような光を放ち、文字と魔法陣を同時に顕現させた。その間、わずかコンマゼロゼロ二秒。ベインブリッジが音速に近い速度で繰り出した猫パンチで、周囲にちょっとした小型竜巻が巻いた。
目に見えない小さな世界での人間には感知できないような微小な出来事が、世界の歴史を永久に書き換える巨大な爆発に繋がったように、バグぴの周りで起きていた出来事もまた、量子魔法の歴史に新たな一ページを書き加えるものだ。
騎士係数が0.5の閾値を超え可能となった、高級言語による詠唱――
------------
{
{
{
"〈
------------
小型竜巻に巻かれたベインブリッジから抜け毛が落ち、絡まり、固まり、正四面体を形作り、四面体は転がり、重なり、積み上がり、やがて
------------
{
【織音アマネ】,
"【
);
}
------------
まるで耳元で囁かれたかのように、アマネの体がびくついた。その声を、バグぴの声をたしかに、感じたのだ。妙と言えば妙な声だった。コンマゼロゼロゼロゼロ二秒にも満たない瞬間で、全てが伝わったのだから。
アマネは瞬時、ラプラシアに視線を送る。
彼女は今まさに高速詠唱を開始し、絶対の破壊の力を秘めた火球を召喚し、この場を更地にしようかというところだったが――
------------
{
{
{
------------
加速する、数百、数千の音速を超える猫パンチがひたすらに、詠唱文を空間に打ち込んだ。発生したソニックブームはベインブリッジの喉に吸い込まれ、耳から蒸気となって噴出し、その粒子一つ一つが正四角形によって構成された立方七面体だった。矛盾そのものを宿した存在はそのまま六芒星と五芒星の間を行き来しつつやがて球体七芒星となって折り目なく裏返りそして、音もなく白い光となり、ラプラシアにまとわりつき、やがて彼女の体をぴったりと包み込み、その光を失った。
ラプラシアは失笑をこぼしたくなった。こけおどしにもほどがある。欠片の魔力も感じられない使い魔が素早く動いたところで、自分の中にある魔力は毛ほどの影響も受けない。おおかた、封魔系の呪文を使おうとしたのだろう。あの系統の魔法は自分より魔力量が多い相手にはまるで効
そう思って笑おうとして、できなかった。
だが、それができなかったことを異変にも、思わなかった。
ラプラシアのすべては、そこで停止していた。
心臓も、脳も、物理的な実体が、すべて。
「……飛んでいる矢は止まってるし、アキレスはカメに追いつけないし、見てれば粒子は崩壊しないし……あんたはそこで、ずーーーっとそのまま。【
やれやれ、と言わんばかりの口調でバグぴが言い、その足下でようやく一息ついたベインブリッジが、にゃご、と一声、どこか不平そうに漏らし、立ち尽くしたままのラプラシアに駆け寄ってつま先を嗅ぎ、妙な顔。
【
対象を自らの魔力場で覆い、内部のマクロ的な物体をすべて同波長の魔力で覆い隠す。すると対象は単一系の魔力場として振る舞い始める。単一の魔力場は、観測が続く限り変化しない。量子ゼノン効果によく似たこの性質から、ルフィアによって【
騎士が観測を続けこの呪文を維持する限り、対象のあらゆる運動を停止させる……その魔力場は一節には、オゾンのような匂いがするという。ベインブリッジはもう一度ラプラシアの、完全に固まっているつま先を嗅いで妙な顔をした後、言った。
「おい人間、カッコつけるのはいいがな、この後どうするつもりだオマエ?」
「どうするもこうするも……そいつ、生かしといた方がいいんだろ、異世界のことを尋問しなきゃいけないわけだし」
「どうやって?」
「どうやってって……」
問われ……自分がそれを考えていなかったことに気付く。【
「……えーと、ねえ、バグぴ」
アマネは、まばたきもせずにラプラシアを見つめたまま、呟く。
「私、これ、いつまでじっと見てればいいの?」
【
「あ、ごめっ、えーと……あ! いや、まだそのままで!」
バグぴは慌てて辺りを見回し、倒れているルフィアに駆け寄る。
「ルフィアさんルフィアさん……! あのー……えーと……」
おそるおそる肩を指でつつくと、んんっ、という咳払いの音がして、ルフィアが寝返りを打った。深紫のチェスターコートは、どういうわけか少しも汚れていなかった。まるで冷凍庫を開けたような空気が流れてきて、やはり魔法的な効果があるコートだったんだ、とバグぴは思った。そして、ルフィアの下に押し込まれるように隠れていたΩ7も見つけ、ほっと、一息ついた。
※※※※※※※※※※※※
「すべて、私の失策だ。すまない。コイツは真っ先に、私が、殺すべきだった。情報を得るために生け捕りを優先して……上からの依頼に応えようとして……このザマだ……あなたたちにあんな偉そうなことを言っておいて……本当に、弁解の余地もない」
やがて目を覚ましたルフィアは状況を説明されると大きくため息をつき、二人に頭を下げ、言った。殺すべきだった、という強い言葉に二人は面食らった。特にアマネは、大人が、ここまでまっとうに自分たちに頭を下げるなんて、と少し感動さえした。
「いえ、局長、これだけの被害で二人に実戦経験を積ませられた、と考えればむしろ、妥当な策であったと」
一方、ルフィアの下敷きになって難を逃れていたΩ7はそんな調子だったので、二人はさらに面食らった。ルフィアは軽くため息をつく。
「……ほんとに、キミら、軍人というのは……」
「お言葉ですが、局長。異世界から転移してきた知的存在が、地球の我々にここまで被害を与えた。状況は既に、戦時に等しいと考えるべきです。それに……私は軍人ではないですよ、自衛官です……元、ですが。人命尊重の理念は恐らくこの場の誰よりも叩き込まれてます。その上で、言っているんです。この二人を、鍛えることが最優先だと」
「………………ああ、そうだな。その通りだ。すまない、二人はそのままで今しばらく、待っててもらえないか」
苦々しく言うとルフィアは自分に強化呪文をかけ、Ω7と二人で負傷者の救護に走った。延焼を水魔法で消し止め、元刑事の二人が中心となり集めていた負傷者に治癒呪文をかけて回る。忙しそうな背中を見送り、アマネは呟く。
「……何人……亡くなった、のかな……」
間近で見たわけでもないのに、黒く焦げた体が瓦礫の中に転がっていた映像が、目の奥に焼きついて離れてくれない。
「…………半日は死なないって言ってたし……治癒魔法的なやつだってあるだろうし大丈夫……だと、いいんだけどね……」
心の中でバグぴは、言葉とは裏腹、まあ十中八九平気だろ、などと思っていたし、実際そう口にしかけたけど、アマネの沈んだ顔を見て方向転換した。
「…………うん……」
今日会ったばかりの、ほぼ話したことがない相手が傷ついて悲しめるなんて、アマネの心はヒマなんだなあ……などとさえ思ったけれど、同時に、そんな彼女を羨んでもいた。インターネットの悪霊が、もう、二度と手にすることはできない感情を彼女は、持ち続けているのだ。
一方、コメントたちは好き放題書いていた。
:完全勝利ってこと?
:バグぴきゅんえらかったねすごかったねよくがんばったねお姉さんがほめてあげるからねよしよしいい子いい子
:さっっっっぱりわからん、誰か解説して
:つえー異世界人襲来→裏の魔法機関壊滅的被害→バグぴとアマちゃんがんばって倒す
:ホグワーツにテロリストが来て先生たちがやられたけどポタとオニがやっつけた?
:大体あってるけどその呼び方は間違ってるしロンをハブるな
:ってかアマちゃん概要欄で説明してよ~
アマネは、言われた通りではあるな、と思って概要欄を更新しておく。
〈裏の世界にある、秘密裏に魔法を管理する国家機関、事象庁を見学中……に、異世界からわる~い魔法使いが襲来! バグぴと二人で頑張って倒しました! 決め技は相手の動きを完全に止める量子魔法【
大勢の人が黒焦げになったことや、わる~い魔法使いが最強に近かったことはあえて、書かないでおいた。
やがて、負傷者の応急処置と搬送の手続きを済ませたルフィアが、二人の元へやってくる。ラプラシアを見つめ、二人を見つめ……そして、もう一度深く、深く、頭を下げる。そして完全に固まったままのラプラシアを見つめ、大きくため息をついた。
「さて、どうした……ものだかな……」
「……なんか、脳みそから情報を絞り出す呪文的なやつ、ないんですか?」
「あるにはあるが、もう使えない。こちらに来る時、私の魔力量は、向こうでの十分の一程度になっていてね。魔心室を捧げてしまったから……」
そして、ルフィアが最初に気付いた。というより、思い出した、と言った方がいいだろう。
【
そして魔力は、物理的な実存
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
毎日18:26更新、気に入ってもらえたら、フォローやいいね、☆をポチッと押してもらえると励みになります。感想・ツッコミ・「読んだよ」だけでも、大歓迎です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます