03 拘束

 スゲー、こんな取調室あるんだ……!


 バグぴは監視カメラの映像越し、中の部屋を見て思った。想像の三倍は広い。学校の教室ぐらいある。元は会議室か何かだったのだろうか? にしても、なんだかワクワクする。泣き落としとかするんだろうか?


 一方、隣のアマネは少し、居心地が悪かった。


 バグぴと共に戦う、その決意を固め、それをルフィアに伝えたら……まさか、こんな場所につれてこられ、こんな場面を、見せられるなんて。そりゃ、見に来いとは言われていたけれど……。




「それで、話す気になりませんかね? ラプラシアさん」


 コツ、コツ、コツ。


 取調室の中、男……Ω1が机の足をリズミカルに蹴りながら言った。ラプラシアはパイプ椅子に浅く腰掛け、視線は机の上をぼんやりと眺めている。男の言葉に反応する様子は見せない。


「そういう態度なら……私たちも、それなりの態度をとらないとならないんですよ、見えません?」


 Ω1は顎で壁際を指す。そこにはズラリ、事象庁の誇る魔法使いと騎士のコンビ、Opusたちが計数名、油断なく女を見つめ、周囲に魔法陣を光らせている。


「もうわかってるでしょうが、ここにあなたの力が及ばない魔法を修めている人間が大勢いる。ムリヤリ押さえつけ、記憶をあさるようなこともできる。その前にご自身から話してもらったほうが、お互い手間がなくていいと思うんですがね?」


 だがラプラシアは答えない。なんの反応も見せない。


 拘束衣に身を包まれ、パイプ椅子に座って俯き、ただ、何かを待っているかのように、じっとしている。男がわざとらしく、大きなため息をつく。




「ねえねえ、キミ、もうアレはできるの?」


 モニターちらりと見やった女が、興味なさげに二人に尋ねた。取調室を監視するモニタールーム、事象庁一階の部屋は、取調室よりかなり狭く、女が退屈そうに体をよじらせるたび、ふわり、甘い香水の香りが漂ってくる。


「第一呪文を待機させるやつですか? やったことないですけど、教えてもらえれば」


 バグぴはモニターから目を離さず答える。異世界からやってきて、古典魔法を使い連続殺人をしていたらしい女、ラプラシアに、視線を釘付けにされてしまっている。


 宇宙人よりも、きっと、存在がレアな、異世界人。


 そう思うと、今すぐ部屋に飛び込んで、異世界での光の振る舞い方や重力の働き方、物理定数の数々なんかを尋ねたくてムズムズするが、我慢。彼女は五十人近く殺した連続殺人犯であるらしいけれど……まるで現実感がない。


「へえ〜……マジで優秀なんだ~、じゃあ、あの人が暴れ出したらお願いね~、あはは~」


 ピンクと黒がベースの、いわゆる地雷系のファッションに身を包んだ、官公庁ビルの中にまるで似合わない女が、いかにも甲高い声を出す。先ほどまでルフィアがいたのだけれど、事象庁の長官と緊急ミーティングがあるとかで席を外している。代わりに二人のお目付け役として置かれたのがこの女性。Opus.07の騎士、Ω7。相方のα7は取調室の中。α7はどこからどう見ても、裕福な中国人観光客の中年男性なのだが……キャリーケースを脇に置きつつ、周囲に魔法陣を浮かべ、ラプラシアを見ている。彼女が魔法の詠唱を始めた瞬間、周囲のOpusから何重にも量子魔法が飛び、呪文をキャンセルする態勢。


「へ、いや、そんな……」

「あはは、大丈夫大丈夫、だって君たち、私たちよりずっと強いんだし。ふふ、優秀な子が来てくれて、お姉さん嬉しっ!」


 一方アマネは、少し自分の選択を後悔していた。


 戦う、ということを、きっと、よく理解していなかったのだと思う。


 戦うということは…………相手を、力で叩きのめし、這いつくばらせ……そして、きっと、たぶん。




 殺す。




 取調室中の女、異世界人のラプラシアは、五十五人を殺し脳と心臓を持ち去ったのだという。それはおそらく、異世界と地球を繋げる、ゲート的なモノを開くためで、もし彼女がそれに成功していたら……ルフィアさんの言ってた勇者が来て……。




 より大勢を、殺す。




 それを……私が、私たちが、止める……?




「しかも、こんなかぁいい子なんてさー、ね、ね、少年は、年上ってオーケーなタイプ?」

「へ……は、ほ、は、はい?」

「あははは、なにその初心な反応〜〜! ね〜ね〜今度アタシを騎士にしてさ、第五呪文唱えな〜い?」


 きゃいきゃいと黄色い声を上げ、地雷女がバグぴにしなだれかかり、甘ったるい声を出し、アマネのこめかみがひくひく震えた。さっきからこの女は、ずっとこの調子だ。


 そもそも、この省庁はなんなんだ、とうてい、お役人とは思えない人しかいない。取調室の中の魔法使いと騎士たちも、この地雷女に負けず劣らず、今にもサイファーを始めそうなラッパー風、掃除のおじさん風、サブカル大学生、軍服……まともそうなスーツ姿も数人いるけれど、首から十字架を下げて手には数珠をつけていたり、バンダナを巻いてウェストポーチをつけて背負ったリュックからポスターがはみ出ていたり、まともな格好ができないのか、と突っ込みたくなる。


「い、いや、ちょ、あの、ちかっ、近いですよあのっ」

「あ、少年はまだ、こういうの経験ないのかな〜? あはは、お姉さんと練習しちゃう〜?」

「い、いやあの、手、手っ! あのっ! ちょっ!」

「やだ〜! お肌ツルっツルっ〜〜! うらやま〜!」

「ちょっとあのッ!?」


 声を荒げて立ち上がったアマネを、女はニンマリ、チェシャ猫のような顔をして見つめ……すッ、とすべての表情を顔から消し、立ち上がって敬礼した。


「局長、お疲れ様です」


 先程とは別人としか思えない低い声と、お辞儀並みに自然な敬礼に、アマネもバグぴも言葉を失った。ルフィアが、戻ってきたのだ。


「ああ、ご苦労さま、進展は?」

「今のところあらゆる問いかけに無反応。ですが抵抗を試みる様子、魔法を使う様子もありません。ミーティングの方は?」

「相手が使者、外交官……異世界の政府筋の存在である可能性が否定できない以上、手荒な真似は控えろ、とのことだ」

「…………正気、ですか?」

「長官も同じ意見だったよ。怒り狂って壁に穴開けてたぞ」

「というと、官邸が?」

「どうも誰かさんは、異世界と交渉した世界初の人間として教科書に載りたいらしいな」

「いっそのこと暴れさせるのはどうです? ゼロの訓練になるのでは」

「Ω7、それは……アマネさん、どうかしたか?」


 女のあまり豹変に、間抜けな顔をして立ち尽くしていたアマネ。それを見て、ルフィアは少し眉を上げた。


「……ふむ、騎士係数が、わずかだが上昇している……?」


 興味深そうに二人を見つめ、そして女、Ω7を見て少し息を吐く。


「Ω7、この二人に関して手出しは無用だ」

「局長、Opus.00であるこの二人の早急な戦力化は、異説局の最重要課題であると局長ご自身がおっしゃいました」

「そうだがね……」

「目標の力と地球で起こした一連の事件を鑑みるに、時間的な猶予はないものと思われます」

「そうなんだけどさ……あのさ……」

「……局長」

「ああもう、キミら軍人は、実用主義プラグマティシズムが過ぎるぞ、相手が十七歳だということをもっとよく……」


 大人二人のやりとりをオロオロ眺めるバグぴとは裏腹、アマネは、つまりこの人、私にヤキモチを焼かせるためとか、守らせるために、わざとあんな……? と気付き、呆れればいいのか怒ればいいのかわからなくなって、すとん、また椅子に座った。


 そして、気付いた。


 ミラーガラス越し、ラプラシアがこちらを見つめている。


 バグぴとアマネ、そしてルフィアを見つめている。


 見えていないはずの彼女と視線が合い、そして気付く。


 今このビルの中には、たぶん、地球の魔法使いがすべて、いる。


 ラプラシアの唇が、開く。




そろったな・・・・




 瞬間。




 取調室の中に、太陽があらわれた。




 だが。




「……あんた、まだわからんのですか?」


 取調室の中に生まれた太陽は、瞬時にしてかき消えた。周囲のOpusが待機詠唱していた【現実への収縮コラプス】が反応し、余韻すらなく消え失せた。その上で、あと十一人の魔法使いがまだ、【現実への収縮コラプス】を待機させている。問答無用で人間の古典魔法を霧消させるこの量子魔法を、古典魔法しか知らない異世界人が破るのは不可能だろう。


 ラプラシアの対面に座る男は、呆れたように大きくため息をついて、言う。


「あんたがどんな魔法を使おうがね、こっちは無効化できる。異世界でどんなことやってきたか知らんが、こっちはこっちで、色々研究……」




 その声に気づいたのはバグぴとアマネが最初だった。ラプラシアはどうしてか、ミラーガラス越し、はっきり二人を見つめていて……。




 くふッ。


 くふふッふッッ。


 くふふっふふふふふッッッ。




 笑っていた。

 腹の底から湧き上がるそれを、とうてい抑えきれない、という顔で。




 そして二人は、自分たちがやっていたのは社会科見学ではなく、自分たちがいたのは大人の職場でもなく、戦場に、戦いに来ているのだ、と否応なく認識させられ、そして――




「……拘束ッッッ!!!」




 何か異常を察知した男が、叫ぶ。

 同時に、部屋の外のルフィアが詠唱を始める。

 だが、彼女は思う。間に合わない。それならば。


「アマネさん、配信を始めろ、バグぴさん、彼女と一緒に私の後ろへ」

「へ、は、はい?」

「今すぐ! Ω7! 最上位権限で緊急発令! 全職員を表へ魔導避難!」


 言われた通りルフィアの背後へ。Ω7は返事もなくGlyPhoneを何回かタップ。火災警報じみたアラームがビル全体に鳴り響く。続いて矢継ぎ早に避難指示を始める。ルフィアの詠唱が始まる。


〈FABULA ORITUR AB ANIMA;〉

《物語、わが魂に芽吹く》 


 だが、それよりも速く。




 業ッッ。




 ラプラシアの全身から炎が噴出し、取調室を包みこんだ。待機していた【現実への収縮コラプス】は、なんの反応も見せなかった。だが炎は瞬間で消え、Opusたちのまゆ毛と髪の毛が少々ちりつく程度で済んだが……傷顔の女の拘束衣は燃え尽き、煤となって辺りに散っていた。


〈EX VERBO SURGIT SCUTUM AETERNUM.〉

《言の葉より生まれし永劫の盾、ここに起つ》


 ルフィアは詠唱を続けている。

 だが、ラプラシアの方が早い。





「ああ、そうか、これが、楽しい、これが、嬉しい、これが、これが……」





 歓喜の表情で呟く彼女は、全裸だった。


 顔と同じように傷だらけの体は、素肌の見えるところはほぼない。精霊をインクとする可変入れ墨型魔法陣が傷のない皮膚を覆い、思わず顔をしかめたくなるような傷跡には、様々な宝石を備えた魔道具が植え付けられ、光を放っていた。先ほどの炎を出したのは魔道具によるものなのだろう。ルフィアの表情が歪む。変身を解いたのは、いや解いたように見せたのはこの、真に隠したいものを隠すため。だがどうして、肉体強化、変化の魔法の類もキャンセルしたはず――


 その疑問には、ラプラシアの足元に転がる、床に張り付いた何かの切れ端のようなものが答えた。わずかに見える、人型で、肌色のそれは――


 ルフィアは息を呑んだ。


 ラプラシアは、誰かの皮膚を、着込んでいた。

 傷だらけの顔をわざわざ見せ、体にどんな縫い目があろうとも、不自然だと思わせないよう仕向けつつ。


 【現実への収縮コラプス】は問答無用で、人の・・、古典魔法をキャンセルする。魔道具による魔法もキャンセルはできるが、そのためには詠唱をし直し、対象を設定し直さなければならない。


〈IGNIS SOLIS, FUSIONE RENASCENS,〉

《陽の焔、 再び生くるとも》


 ルフィアは詠唱を続けながら気付く。


 ……たしかに自分たちは、この異世界人より遥かに進んだ技術を持ち、魔法さえも進化させた。だが……だが。


 魔法を使って人を騙す、陥れる、そして殺す。その経験は圧倒的にこの異世界人、ラプラシアが上だ。


 というより……地球人が素人なのだ、と言ったほうがいいだろう。魔王時代のルフィアも、それを経験する前にヨシダに一蹴されてしまっている。


 だがそれでも守るべきものを、守らなければならない。ルフィアは思う。たとえ、なにを犠牲にしてでも。詠唱を続ける。


 一方ラプラシアは余裕の表情さえ浮かべていた。


 そして、バグぴは気付く。


 足りなくなる。なら。


 ルフィアの背後から飛び出し、詠唱を始める。が、二人の安全が最優先だとたたき込まれているΩ7は、GlyPhoneを投げ捨てそれを制止。彼を押し倒し、覆い被さる。


 そして。


 両肩甲骨、両肩、両鎖骨、左右脇腹、両太もも、両足の甲、計十二の口が、本来の口と同時に、詠唱を始める。再生速度を間違えたように高速のそれは、キュンっ、とだけ鳴り、取調室で対面に座るΩ1が肉体的な制圧、即ち殺傷を決意し「まことに私は言うAMEN。剣を取る者は皆、剣で――」と詠唱を開始すると同時、懐から9mm拳銃を抜くより速く。




 十二と一つの口の詠唱で、十三の火球が生まれる。一つはΩ1に飛び、残りは明確な標的すら定めず、斜め上に滑るように浮かぶ。余波狙いか。空間制圧か。わからない。ただ、遅れれば、死ぬ。Ω1は気付く。一つ、二つ、こぼれる。その前にこいつを――そして火球が爆発するのと、ルフィアが詠唱を終え青白いオーラが放たれ、バグぴとアマネを包むのはほぼ同時だった。


〈MEUM PRAESIDIUM FRANGERE NON POTEST.〉

《かの業火、 我が盾を破る事能わず》




 炸裂。






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