05-02 騎士係数
さらに観覧車に乗り込む段になってアマネが、当然のように隣に座るといよいよ、バグぴの動作が完全にフリーズしてしまった。仕方なく向かい合わせに座りなおす。それでようやくデバッグが済んだのか、バグぴは大きくため息をついた。
「まったく……なんなんだよ、記憶喪失のかわいそうな少年をからかって、そんなに楽しいかね」
「からかってないよ、私がやりたいことをやってるだけだもん、隣に座りたいと思ったから座ったんだし」
「な、あ、だっ、だから……」
「はいはい、そういうのは、付き合ってるカップルがやることで、付き合ってない状態でやるのは、よくない、チャラい、でしょ? まったく……君は生活指導の先生なの?」
「そっ……そういう、わけでは……いや……」
「んふふ〜……ねえ、じゃあ、さ……私たち……付き合っちゃおっか……? そしたら、さ……隣に座っても……フツー、だし……」
身を乗り出したアマネが、バグぴの手を包み込むようにそっと、握る。一瞬の後、バグぴは驚かされた猫のように飛び上がる。それでもアマネは手を離さず、バグぴもまた、振りほどこうとはしなかった。
「っっっっっっっっっ! だっっっ、そっっっ、なっっっっ!」
「あはははははははっ、こういうのやってたら騎士係数上がるかなっ?」
「っっ…………! ったく…………!」
ふん、と大きく息をはいたバグぴは椅子に座り直し、真っ赤な顔のまま外を見つめた。つられてアマネも。いじいじ、と、バグぴの人さし指の腹をつまんだりかいたりしながら。
「な、なぁ、その、あの、手っ、手……」
「……外、きれいだね」
「っ……」
「…………だめ?」
「だっ、だめでは、ないけど……」
「なら、よかった……」
「で、でも、なっ、なんで、だよ……」
「ふふ、こうしてないと、君、どっか行っちゃいそうだから」
それは、ウソだった。バグぴはきっと、どこにも行かないだろうとアマネは思っている。彼はきっと、ぼやいたり、肩をすくめたりしながらも、地球にやってきた悪いやつと立派……でないかもしれないけど戦って、倒すだろう。
でも、じゃあ、私は?
「こんな密室でどこ行くんだよ……」
「比喩ひょーげんだよ、比喩、メタファー?」
「それ、で、いいなら……いいけど……」
「……ん」
二人はしばらく外を見る。
夕暮れの赤橙が、夜の濃紺と混ざり、薄れ、消えていく。やがて濃紺の中で乳白色の明かりがきらきらと輝きを放つ。アマネは少し息を呑んで、握った手に少し、力を込めた。僅かにビクついたバグぴだったけれどやがて、それに応えた。
「なあ……その……君は」
「……なに?」
「どうしようと……思ってる……? その……」
「…………わかんない」
「まあ……そうか……」
再びの沈黙。
「なあ、僕、さ……あー……その、言っとかなきゃって思ったんだけど……昔のことが、気にならない、知りたくない、ってわけじゃ、ないんだ」
「そーなの?」
「うん。なんていうか、その、今の状況……ちょっと……あの……気に入ってる、面が、なきにしも、あらず、というか……」
「……え、どゆこと?」
「だから…………今の僕は、記憶喪失の少年、なわけだろ……そんなの……そんなのちょっと……」
「……あ!」
そこで気付き……きょとんとしたあと理解して、くすくす笑うアマネ。
「特別な感じがして、カッコいい……?」
「ふっ、ふつーっ、そうなんない?」
「ふふ、そーかもね」
「……だってさあ、インターネットの悪霊みたいな冷笑系のやつと、記憶喪失の少年だったら、絶対後者だろぉ……」
そうぼやくバグぴの手のひらを、からかうように、くすぐるように撫でる。少し身を捩ったバグぴが、がっしり、その指を掴んで止めさせる。けど、アマネの指はそれを待ち構えていたかのように、くるくる動いて、指と指を絡め合わせた。
しばらく二人は黙っていた。
見つめ合ったり、夜景を見たり、絡め合った指の温かさを感じたり。沈黙は、気詰まりではなかった。その沈黙に身を浸していると、アマネは、心が緩やかに溶けて、流れて、この場を、観覧車の中を満たしていくように思えた。そして、決意する。
今なら、言えるかもしれない。
「ねえ、あのさ……」
「……うん?」
「私も……ちょっと、言っとかなきゃなー、ってこと、ある……かも……」
「なんだい」
「……あはは……私さ……あの………………ホントは……本読むの、好きで、さ……子供の頃から。いじめられてる時、保健の先生が、保健室に匿ってくれて……で、私物の本、色々読ませてくれてたんだよね」
学校ではキャラじゃないだなんだので、あまり言えないこと。今まで告白してきた人たちが、知らなかったこと。バグぴになら言ってもいい、いや、知ってほしい、そう思った。バグぴは意外そうな顔をする。
「……物語……フィクションフィクションしたやつは、あんま好きじゃ、ないんじゃないの?」
「そう……なんだけど……なんていうか、そういうのを、現実に持ち出すのが、嫌いなの。なんていうか……ほら、たとえばさ、障害者の人は全員心がキレイで、政治家は全員悪徳で……男ならこうするもので、女ならこうする、とか、そういうの」
別の文脈が混ざっちゃったな、と思って少し後悔したけれど、バグぴは軽く答える。
「一番好きな本は?」
「……図書室の魔法、って本だけど……知ってる?」
「ダブル・クラウンで、イギリスの幻想文学大賞もとってる大名作じゃないか。ジョー・ウォルトン……邦訳の電書が一冊のみってのは、まあなんとも……なにその顔」
「めっっっちゃ詳しいじゃん」
「……まあ、ね……」
「……なにその顔」
「ラノベやなろう系を小馬鹿にする際は、海外のファンタジーやSFを比較対象に挙げながらやると一番効果的で、どちらからもヘイトを買うので注目を集めやすくPVに繋がる……と、僕の知識が言っている……」
「あははははは、やっば!」
「な、思い出したくないだろこんなヤツのこと」
「むしろ気になってきたよ、もー……うん、でも……もう、なに話そうとしたか忘れちゃったじゃん」
「しかし、なんでまた図書室の魔法?」
「うーん、あの本ってさ……魔法でてくるけど……あの、ひょっとしたら魔法の話は全部妄想だったのかも、ってなるよね」
「あー、それ、僕、解説で言われるまで全然気付かなかった」
「あはは、私も。でもさ、仮に魔法の話が全部妄想でも、でも、同じことが、起こってたって思うんだ」
「……そうかもな……いや、そうだな」
「でしょ? で……すごいなー、って、思ってさ……あー、うん……でね……だから…………私、しょ、将来……さ…………作家、に、なりたいなーって…………」
家族にさえ言ったことがなくて、自分の心の中でさえ、ほとんど言えなかったこと。それを口に出してみると、手を握られたバグぴより、自分の顔が真っ赤になっているのがわかる。
ただ……バグぴはキョトン、とするだけだった。
「いいじゃん、今なんか書いてるの? 今度読ませてよ」
アマネは絶句した。
ともすれば、作家志望者にとってもっともデリカシーに欠ける言葉をぶつけられアマネは目を見開くが……相手がバグぴであると思い出して少し笑った。自分の書いた二次創作を音読されても平気な彼に、自分が書いたものを読まれるのは恥ずかしい、という感情を理解してもらうのは、なかなか骨が折れるだろう。
「こっ、今度、ねっ、今度、いつか」
「そう? じゃあ楽しみにしてる。で……言っとかなきゃならないことって……?」
「…………へ? い、いやだから、それだけど、だから、さっ、作家に、なりたいって」
「へ? それが?」
「だっ、そっ、そういう、ものなの! 私が本好きって言うと絶対、キャラじゃないとかあざといギャップを作ってるとか、そう言われるから!」
「そういうもんなのか……まあでも、じゃあ、良かったじゃん」
「良かったって、何が」
「異世界を取材して異世界モノを書いた人はいないけど、君は、魔法を取材して魔法を書ける……いや、なんか、警察モノと書こうとしてたらアレだけど」
アマネは、割と、一大決心で誰にも話したことのない秘密を、特別に彼だけに、打ち明けたつもりだった。けれど……けれど、彼ときたら、まるで普通、そっけないぐらいで。
肩透かしをくらって落ち込むかとも思ったけれど、しかし、気付いた。それが、一番欲しい反応だったんだ、と。そして、アマネは思った。
……書きたい。いつか、このことを。この、ヘンな人と、ヘンな魔法のことを。そこで私が、どう感じたか、思ったか、そして世界が、どうなるのか。
そう思って、アマネは大きく息をつき、言った。
「よしっ! 決まった!」
「へ?」
「私は、やる! 君の隣で、戦う! 私が君の、騎士だから!」
その瞬間。
観覧車が、光で満たされた。
バグぴの、アマネの、それぞれのポケットに入っていたGlyPhoneが震えている。だがそれは通知や着信ではない。
事象庁異説局第一開発部GlyPhone開発チーム・コードネーム〈G1Zm0z!〉が作り出した、まだ総数二百台に満たないGlyPhone。現代魔法工学によって計算機工学の限界を打ち破った、ゲート長1
「へ、わ、なに、これ……!?」
赤橙色のシェヘラザード限界則〈mE≦MS²〉が無限に展開する正接曲線の中を駆け抜ける。驚いて立ち上がったバグぴが、しかし、その美しさに目を見張る。
「ちょ、え、えぇ……!?」
アマネの目の前を通り過ぎていく黄金振動則〈mV=(Sp×2πS×s)/√1.618〉は、無限に拡大する曼荼羅じみた黄金長方形の中を飛び回る。黄金色の光が彼女の顔を照らし、目を細め、思わずバグぴに身を寄せる。
「……あ、これ…………?」
飛び回る数式、グラフ、図形の数々の中、一際目を惹く、青白い光を放つ数式があった。想像力交換則〈PX−XP=kS〉。ルフィアから説明は受けていた。k、つまり騎士係数を表す文字。それが一際強く輝き、やがてほどけたkの文字がいつしか、0.5という文字を形作った。
「どどど、どういう、こと……?」
アマネの声に恐怖はなかった。ただ目の前の、超常的な光景に見惚れていた。
「騎士係数が……上がったんだ……0.5……高級術式を可能にする閾値……!」
今やバグぴの前には、無限に等しい空間が広がっていた。五つの基礎呪文を組み合わせ、重ね合わせ、自在に呪文を織り成す、真の魔法使い、量子の魔法使いとしての空間が。
そして。
いつしか立ち上がっていた二人の影は、重なっていた。
GlyPhoneはしばらくの間、二人を祝福するように、騎士係数=0.5という人類で初めての領域に達した二人を、魔法陣と数式で照らし続けていたが、一分もしない内、ふっ、と消え失せる。
「…………おわり……?」
「…………みたいだ……」
二人は呟くと、体を離し、しばらくの間顔を見合わせ……そして、笑った。なんだか、おかしかった。自分たちの関係が深まったことを、まるでゲームのように数値であらわされ、しかも、それを祝うかのように非現実的な光景があらわれる、なんて。
「あははははっ……ねえ、バグぴ、なんか……なんか……」
「あはははっ……うん、アマネ……あははっ……」
二人は笑い続け、やがてどちらからともなく、椅子に座った。アマネは躊躇なく、バグぴの隣に腰を下ろし、ぴったりとくっつく。
「ちょ、君、おい、なんだよ!」
「えへへ、くっついてた方が、ちゃんと君のこと、守れるでしょ?」
「ばっ、今そんなことっ、ちょ、ふひっ」
「あ〜変な声出した〜えっち〜私なんにも変なことしてないのに〜、あ~、また騎士係数が上がっちゃうかもしれな~い、ね~ね~、何したら1になるのかな~? 気になんな~い? ねえ~ん?」
「やめっ、ちょまっ、だっ、当たって、当たってっ」
「あははっ、じょーだんじょーだん。でも、ね、バグぴ。私たちならきっと、何があっても、大丈夫だよ!」
「い、今まさに、大丈夫じゃないんだがっ君やめる流れだったろっ!」
やがて、観覧車の中から妙に赤い顔をしておりてきた二人の背中を眺めながら、猫――ベインブリッジは、呆れたように呟いた。
「……やーれやれ、発情期がないってのも困ったもんだな、ええ?」
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