03-03 猫の気持ちを考えて pt.03

 ルフィアの言葉に、バグぴは思わず間抜けな声を出してしまう。


「……はぃぃ? そ、そんなんで、大丈夫なんですか……?」


 首をかしげ、三角帽子も揺れるのがわかる。配信映えするから、と、魔法使いっぽい格好をしようとアマネに提案され、ルフィアが持ってきた三角帽子とローブに杖。どうやら彼女が異世界から持ち込んでいた、魔王城の宝物庫にあったという由緒あるものらしく、着心地は快適でサイズも自動的に調節される。それ以外の特殊効果はないそうだが、杖も、先端にはめ込まれた紫の宝石が、いかにも、といった感じで目を惹く。


「まあ、大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば、これまでは大丈夫だった、としか言えないが……」


 苦笑すると猫に歩み寄り、手のひらを差し出す。猫は興味なさそうに一瞥だけすると、お義理のように一嗅ぎだけしてそっぽを向いた。


「こいつは現状、ウチのスーパーコンピューターでも描画に数十年、数百年かかる、量子魔法に必要な魔法陣を構成する四次元図形、あるいは五次元ないし六次元、高次図形魔法陣演算をフェムト単位の秒でこなし、空中に投影してくれる。理論的には、数百年進んだ量子コンピューター並みの演算能力を持っている……と、想定されている」


 それを聞いて、バグぴはさらに首をひねった。


「猫が、四次元、五次元図形を、描写? どこに……どうやって……?」

「空中に、目がこう、ピカーっと光ったり、喉から出てきたり……見物だぞ。これから先の量子魔法にはすべて、こいつが必要になる。GlyPhoneの計算能力では足りないんだ。今回みたいに氷に突っ込んでいても、先に回路が焼け落ちる」

「いや、あの……なんか……え、マジでわかってないんですか?」

「どうやって調べる?」

「いやなんかこう……」


 バグぴが何やら、手をバタバタ動かしたところで、猫が立ち上がり、バグぴの足元に来て、ちょこん、と座り、彼を見上げ……言った。




「おい人間、オレを解剖しようってか?」


 妙に低音の、やたらといい声だった。




「い、いや、そんな、そんなことは」

「ムリすんなよ、したいんだろ? オマエラはそういうヤツらだもんな」

「ちょ、え、なにを」

「猫を毒ガスが出てくるかもしれない箱に閉じ込めても何も思わないし、不思議なことがあったら猫の体を切り刻んで、脳を取り出して調べるのは当たり前だな?」

「い、いやだからしないって!」

「解剖はしなくても、毒ガスの箱は作って猫を押し込めて来ただろう?」

「してないって!」

「ああ、ああ、そういう連中だよオマエらは、猫の気持ちなんか考えたことないんだろう、ええ? 調べたいなら調べればいいさ、ほら、切れよ、切り刻めよ、なあ」


 皮肉っぽい口調とは打って変わって、上機嫌そうに喉を鳴らしながら、バグぴの足元をぬるぬると行き来しつつ、続ける。


「こぉんな綺麗な毛並みのオレの皮を剥いで、頭蓋骨を開けて、脳みそをとりだして、調べたいだけ調べればいいさ、ほら、やれよ、ええ? どうした? やらんのか? ええ?」


 低い、シブいとさえ言える声で、流れるように澱みなく鬱陶しい口調で、皮肉っぽく言う、猫。バグぴの脳は数十秒、フリーズしてしまった。


「………………とまあ……こうなるのでな」


 くすくす笑ったルフィアが言って、続ける。


「まあ……飛行機がどうして飛べるのかはまだ完全にはわかっていない、みたいなものと思って我慢してもらうしか」


 と、そこで猫が口を挟む。


「おい人間、それは都市伝説だと知らないのか? ベルヌーイの定理、ニュートンの旦那の偉大なる作用反作用の法則、循環流理論、すべてこれで説明できるだろう? ええ? おい、まったく、まいったな、この程度のヤツが異説局の局長とはね、まったく驚きだね、ええ?」

「人間にはたとえ話のため多少の正誤を気にしない習性がある、と知らんキミではないだろう」

「ああ、ああ、猫が殺されるわけだな、大虐殺されるわけだな、民族浄化されるわけだな、それをオマエらが気にしないわけだな、ええ?」


 しゅたん、しゅたん、尻尾を振りながらそんな事を言う猫に、ルフィアは肩をすくめた。


「……とまあ、そんなワケだから、こいつについては納得……と、我慢をしてくれ」


 そう言われ、バグぴは正直に答えた。


「…………ぜ、全然、できねえ……」


 発声器官はどうなってる、脳に人間的な言語野があるってことか、一体全体いつ人間が猫を虐殺したんだ、などと、言いたいことは山のように出てくる。


「あはは、いーじゃん! かわいーし! ねーねー猫くん、名前は? なかったら、つけてもいい?」


 一方、猫好きらしいアマネは喜色満面でそう言うと、猫のもとにしゃがみ込む。が、猫はこの上なく不機嫌な声を出した。


「猫くん? おい人間、今オレを猫くんと呼んだか?」


 不機嫌そうな言葉とは裏腹、ごろん、と腹を上に寝転がり、ざりり、ざりり、脇を舐める。アマネは少し鼻白む


「え、あ、やだ、ご、ごめん……?」

「あまつさえ、名前をつけていいか、と言ったな?」

「そ、そうだけど……」

「オマエの育った地方では初対面の相手を『人くん』と呼び、名前をつけるのが礼儀なのか? 参考までにどこ生まれか教えてもらいたいね」

「いっ、いやっ、そういう……わけじゃ……」


 脇をなめ終え、座り直し、かしかしと耳の裏をかく猫。実にリラックスした姿だが、対するアマネは困惑し通しだ。


「まったく呆れた傲慢さだな。猫は名前を持たない哀れな存在で、人間が名前をつけてあげるのが当たり前、と。ああまったく、新たな魔法使いと騎士がとても人間らしい人間で、オレは安心しているよ」


 実際に一歩退いて面くらうアマネだが、それでめげずに言った。


「ちょ……そんな、ごめん、え、あ、名前があるなら、教えてよ、じゃあ」


 香箱座りになり目を細めると、ぷすっ、ぷすむっ、と鼻を鳴らし、猫は言う。


「オレはファラヒホフ・ボルツヘルツ・プランタイン・ボルンベルフガング・ダンボール・トマスヤング16,777,216世。わかったか? この地球上の偉大なる科学者は――あの猫浄化下劣野郎はのぞく――オレの親であり子なのだ」


 しゅたん。

 尻尾が一度床を打ち、その後くにゃり、体に沿った。


 そして、その瞬間。


 それまでバグぴの目には、三毛猫が普通に座っているだけに見えていた。だがその名前を聞いた瞬間猫の姿がぼやけ、かと思うと次の瞬間猫は、どこからともなくあらわれたダンボールに入っていた。


「…………」

「…………」

「え、いきなりダンボール入った……」

「あはは、なんか、こういう高級そうな猫でもダンボール入ると普通の猫だね」

「……高級そう? 普通の三毛じゃない?」

「へ? ロシアンブルー……ああ、そうか……ホントなんだ……なんかね、見る人によって、違う風に見えてるみたいだよ」

「はいぃ?」

「コメントの人たちも、それぞれ別の姿に見えてるって」


 猫は大きくあくびを一つ。


「オマエらが観測したように、オレの姿は変わる。そもそも、なんだその最初の沈黙は、失礼だと思わないのか、人の名前を聞いてそんな反応とは、ええ?」

「え……呼ぶたびにその長い名前でないとだめ? せっかく知り合えたんだから、あだ名とかつけたいなー……ね、ね、だめ?」


 切なそうな顔をするアマネに一瞬、言葉に詰まったように見える猫。だがその隙にアマネは猫の頭に手を伸ばし、サラサラ、毛並みの良さと温かさを堪能しながら撫でた。


「おい、こら、撫でるな、おい、Grrrrr...」

「あはは、喉鳴ってる~、最高~……なんか、あれでしょ、キミ、なんだっけ……シュレ、ディンガーの猫? だから……シュレくん? ディンくん?」


 が、その名前を口にした瞬間、猫は飛び上がり、パンチをアマネの手にぶち当て、シャーと歯をむき出しにして威嚇した。


「シュレディンガー? おい、今オレをシュレディンガーにちなんで名付けようとしたか? おい、したよな?」

「えっ!? ちょ、あ、ごめっ、ごめんっ……?」


 敵意むき出しに、全身の毛を逆立てる。


「なあ人間、たとえばもしオマエが、ヒトラーにちなんで命名されたらどう思うね? スターリンにちなまれたら? ええ? びらん性毒ガスだのリシン団子なんて名前をつけられたらどういう気分になるかね?」

「え、あ、ちょ、え、そういうアレなの!? え、うそ、シュレディンガーの猫って、なんか、そんな酷い実験なの!?」


 慌てたアマネが尋ね、バグぴも慌てて答える


「い、いや、違う違う違う! シュレディンガーの猫はそもそも思考実験だよ!」

「……実際には、やってないってこと?」

「そう。量子的な世界だと、物質が普通の世界とはまったく違う振る舞い方をする。たとえて言うなら……」

「ふん、オマエなんぞに分かるとは思わんがね」

「……量子的な世界だと、見られた途端に水が流れるのをやめて凍っちゃう、みたいな。で、水が凍った途端に、毒ガスの出る箱に猫を入れとく。そうすると、量子的な世界で、水が見られただけで、普通の世界の猫が死ぬことになる。そんなのおかしいだろ、って言うために考え出された、思考実験。実際に猫を殺してるワケじゃ……」

「実際に殺す、殺さないはこの際関係ないぞ、人間」

「いやあるだろ!」

「たとえ思考実験だとしても、猫の気持ちを考えたことあるかね? 自分が死ぬ話を、延々聞かされ続ける気持ちを? 人間ってのはよくもまあ、そんな残酷なことを考えつくもんだな、ええ? まったく、勘弁してほしいもんだ、なんで毒ガスにした? ペイントボールじゃだめだったのか? もっと言えば、餌が出てくる、出てこない、そのぐらいでいいじゃないか? ええ?」

「な、あ、別に、ずっと聞き続けてきたわけじゃ、ないだろ、大げさな」

「オレはな、人間、ついさっきからここにいるのと同時に、歴史の始まりからいる。すべての空間に遍在しながら、世界のどこにもいない。そういうモンなんだ、だから、全部知ってるのさ」


 こいつの言う事をまともに受け止めないほうがいいな……と、バグぴはそんなことを思い始める。だが……この猫が、量子魔法の鍵を握っていることは間違いない、そんな確信も深まる。


「オマエら人間ならどう思うね? オレが量子力学を腐す際に、量子の振る舞いが観測によって確定すると毒ガスを吹き出す箱に人間を閉じ込めます、みたいな思考実験を発表したら、どう思うね? ええ? ああコイツは人間をそういう実験で殺してもなんの問題もないと認識してるんだろうな、と思って気分が悪くならないのかね? おいそこの人間、そこんとこどうなんだ?」

「い、いや、あの、なんか、わかんないけど……じゃ、じゃあ……なんか……え、名前……科学者にちなまないほうがいい?」

「偉大な先達にちなまれるのは光栄だね、あの民族浄化思考実験クソ野郎以外なら」


 しゅたん。尻尾が一回振られる。アマネは、え、コイツ名前欲しがってない? と思い、コメントもそんな事を言っていたが……口に出すとまた長くなるな、とやめておいた。


「……え、なんだろ、私全然知らないから、バグぴ、なんかある? 科学者をもじって、ネコの名前だとわかるように……」

「……え、あー、なんだろ、ニュートンで、ニャートンとか?」

「なるほど、オレみたいな知能の低いネコは林檎にじゃれつくのがお似合いだ、と」


 しゅたん。しっぽが床を打つ。


「……フェルニャ」

「へえ、推定で計算される程度の存在だと?」


 しゅたん。


「…………ニャラデー」

「オマエの目にはオレが電気に見えているわけか?」


 しゅたん。


「ホーキニャン!」

「ブラックホールに吸い込まれるのがお似合いだ、と。ああ、オマエが言うならきっとそうなんだろうな、ああ、ああ」


 しゅたん。


「あーもー知らん! じゃあベインブリッジ!」


 猫は、ぐぐぐ、と伸びをして。


「……悪くはないな。人間、オマエの好きな科学者なのか?」


 そこでようやく、感心したような口調を見せた。


「……な、なんだよ、悪いのかよ」

「いや、良いセンスだ」


 皮肉の混じらない口調で、バグぴは少し戸惑ってしまう。アマネが興味深そうな声。


「え、どんな人なの? そのベインブリッジって人」

「……マンハッタン計画に参加して……原爆実験の後『これでおれたちゃみんなクソヤローだ』って言った人。ケネス・ベインブリッジ。好き……だったんだと思う」

「べいんぶりっじ、べいん、ぶりっじ……じゃあべーにゃんだね!」

「それはやめろ」

「べーにゃん、ちゅ~る食べる?」

「それは食う」

「あはは、後で買ってくるね」

「なあ、ところで……名前のダンボールって?」

「好きだから」






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