#7 小悪魔的な妹



 体育祭というイベントは、「祭」という漢字を冠しているせいか、いかにも滅茶苦茶楽しいイベントですよ感を醸し出している。だが、正直なところ大抵の学校では渋い学内イベントの筆頭だ。


 特に俺のようなインドア系人間からすれば身体を動かすってだけで嫌なのに、それが梅雨が終わるかその寸前かの蒸し暑い6月に開催されるってのも宜しくない点だ。あと勝ち負けに大して重みがないのもやる気が湧かない理由の一つだろう。個人競技で勝とうが組全体で勝とうが、ささやかな名誉以外は得られるものが何も無い。


 だから去年は最低限の楽そうな競技のみに出場して後は太陽の陽射しに照らされながらぼおっと過ごして体育祭を乗り切った訳だが、今日に限ってはそういう訳にはいかない。

 妹に可愛い寝巻を着せるその一心で俺は今日は本気を出す。

 このミッションさえ完遂できれば今日を以って冬佳はより俺にとって理想的な妹に近付くことができるのだ!


 ……とか息込んでみたのは良いものの、ぶっちゃけて言えば良いところを見せられるかどうかは不安が残っていたりする。

 たった二週間トレーニングを積んだところでこれまで高校生活、もしかしたら中学生活からずっと運動部で努力を積んできた人間を相手にどこまでの結果を残せるか未知数なところがある。更にそれを見た冬佳がどういう基準で判断を下してくるのかも分からない。流石に『お兄ちゃんなら一位だよね、一位取らなきゃお兄ちゃんじゃないよね』みたいな無理難題ルナティックは言ってこないと思うが、一方で冬佳なら言いかねないという気迫は言わずもがな。捉え方によっては俺以上に理想のお兄ちゃんを追い求めているのかもしれない。


 さて、体育祭のために教室にある椅子をグラウンドに運び出してクラス毎に並べ、開会の挨拶もそこそこしてに遂に体育祭が始まった。

 俺の出番は種目順で「100m走」「玉入れ」「1000m走」「学年別男女混同リレー」である。我ながら走ってばっかで気が滅入る。幾ら最近日課でランニングをしているとはいえ元はただの出不精なので、走る行為自体普通にやりたくない。今週はずっと曇か雨で推移してきたのに今日に限っては雲を吹き飛ばす程の快晴で、湿気を突き抜けて天から注がれる不快感満載な初夏の陽射しも相まって本当に憂鬱だ。サウナと化した蒸し暑いグラウンドで数分待機していれば、理想の妹を希求する意志でうずうずとしていた俺のやる気だってそりゃ削がれる。


 天候はさておき、選択した競技が地味で微妙なものばかりなのはしょうがないことなのだ。

 種目は他にも色々あるが「騎馬戦」や「大玉転がし」みたいな人気競技は応募倍率も高くて普通にじゃんけんで負けて普通に落選したし、「借り物競争」や「二人三脚」なんかは俺のトレーニング結果が反映されにくい競技性だから冬佳の納得を引き出すことができるかは怪しい。その結果として単純に走力が試される競技ばかりに偏ってしまった訳だ。


 ともかく開会式が終われば初っ端から100m走である。

 早速走者列に並んだ。流石シンプルな競技性とあって参加人数もかなり多い。

 白色の鉢巻を頭に結んで準備完了だ。


 体育祭で俺のクラスは白組である。

 色は赤白緑青の4種類があり、1学年8クラスであるため白組は俺以外にももう1クラス存在する。

 まああまり気にすることでも無い。色が同じだからといって特に作戦を練ったりすることはしないからだ。体育祭で他クラスと連携を高めたり、逆に謀略を企てて優勝を狙おうとかそんなことが普通の公立高校で起こるはずも無く、何なら俺はどのクラスが白組であるかも興味が無いから覚えていない始末であった。


 左右の競争相手を確認していれば俺の番が回ってきた。

 こういった競争はあまり経験が無いから少し緊張する。


 何となく予感はしていたのだが、緊張が解れず身体が見事に固まってしまっていた俺はピストル音のタイミングで走り出せず、若干出遅れてしまった。

 日々のトレーニングの成果を発揮すべく必死で挽回を試みたものの、結果は8人中5位と振るわない結果で一種目目終了。はあ……最悪だ。上手くいく確信があった訳では無いといえ、少々芳しくないスタートだ。

 だが俺にはまだ三種目残っている。

 挽回するチャンスはまだまだあるはずだ。


 少し日陰で休もうとしていれば見覚えある金髪がふわりと眼前で揺れた。

 冬佳だった。今日は清涼感のある水玉色のワンピースにスニーカーというラフなファッションを着こなしていて、後ろ髪で結われたポニーテールも似合っている。マジで見た目だけなら俺の思う妹そのものだなこりゃ。流石だぜ冬佳。今の格好なら例え高校一年生と混じっても違和感なくやれるだろう。

 冬佳は俺を探してやってきてくれたのか、ペットボトルに入ったスポーツ飲料を俺へと差し出した。


「お疲れお兄ちゃん~にひひ。残念だったねえ。はいこれ水分補給」

「本当に来てくれたのか。ドリンクもサンキュ。丁度疲れてたところなんだ」

「うん。そりゃ行くでしょ、折角のお兄ちゃんの晴れ舞台なんだしさ」


 心臓の裏を弄られるような擽ったさを覚えつつ、感謝しながら受け取ると冬佳は少し困ったように目を細めた。


「100m1本で疲れるのは流石にどうかと思うよ?」

「いや、肉体的には大丈夫なんだけど精神的な疲労がな」

「ああー確かに色んな人に見られながら走るのって何か恥ずかしいよね。分かるかも」


 おう、その通り。流石俺の妹(理想)。納得してもらえたようだ。

 相手が俺の妹(現実)であれば「は? 常識的に考えてそんなわけないでしょ。アンタがひょろいだけじゃん。モヤシ野郎」と罵倒されるところだった。クソ、なんだこいつ。考えただけで腹立たしいな。猛暑の中で玲の罵詈雑言など聞いてられないので脳内から仮想玲を消しておく。


「でもお兄ちゃんってばそんな感じで本当に私の期待に応えられるかなー?」


 俺は熱くなった頬を冷やすべくスポドリの蓋を開ける。気を遣ったのか既に栓は開いていた。

 ごくごくと水分補給をする俺を傍目に期待と疑念をごちゃまぜにしたような目で冬佳は俺を凝視する。動いたばかりで身体に熱が籠っているのか、何だかをじっと見つめる妹がとても可愛い生物に見える。思わずゴクリと喉が鳴った。

 駄目だ駄目だ! 俺は妹には恋愛心を持たない清廉潔白な兄貴なの!


「安心しろ。俺はまだまだこれからだからな」

「お、流石! 期待してるねお兄ちゃん! でも妹を安心させるならなんか足りないんじゃないかな~?」

「はいはい、そうだったな」


 ヘアータッチをご所望の様子なので俺は慎重に金色の髪の毛を撫でた。太陽の熱を含んで仄かに温かく、ふわりとした質量感は相変わらず撫で心地が良い。だけど妙な気分になりそうだから俺自身は自分を律することに必死だ。対して冬佳は気持ちよさそうに目を閉じて俺の手へと押し付けるように軽く頭を押し付けている。この余裕の差がもしかしたら年齢の差なのかもしれないなと思う今日この頃である。

 数秒程そうしていると、向日葵のような笑みを咲かしてパッと冬佳が離れた。


「じゃあ私向こうで見てるから!」


 どうも兄妹同士のスキンシップに満足したようである。斯く言う俺も満足した。次の種目も頑張ってやろうという気概も生まれた。よし、やってやる。1位取ってやんよ。


 手を振りながら冬佳は木陰となっている体育倉庫方面へと去って行く様子を見送って、俺もそろそろ事績に戻るかと考えていれば冬佳が突然振り返る。


「あ、それ間接キスだからね! お兄ちゃんの唇は私がもらった!」

「ぶふっ…………!!」


 思わず口に含んだスポドリを誰もいない場所に放水。幸いなことに周囲は俺の奇行に気付いておらず注目を浴びることは無かった。

 だから最初から栓開いてたのかよ……!?

 ああもう、俺の妹が可愛すぎる! それでいて小悪魔すぎる!

 つかなんでそこまで出来るんだ冬佳は!


 ……クソ、心臓がバクバク脈を激しく打ち始めたのが自分でも分かる。

 それも当たり前のことで、冬佳は妹以前に異性で他人だ。だがそんな決まり切った事を言っていたらいつまで経っても俺は冬佳の兄貴になることは出来ない。兄と妹が友達以上恋人未満みたいな関係性になることは断じて許されないのだ。


 歯を食いしばり、多少余裕を取り戻すことに成功した俺は慌てて冬佳の姿を探してみると、冬佳は既に俺へは背を向けて離れた場所を歩いていた。遠目からでも明らかにルンルン気分で腕を動かして楽しそうな様子だ。

 大きく息を吸って吐いて、気持ちを切り替える。


 ……こりゃ、俺も本気で気合入れ直さないとだな。







★───★







 席に戻る途中には次種目であるハリケーン(長い棒を複数人で持ってI字状のコースを走る競技だ。戻る際にコーンを中心に一回転するのだが、最も内側の人間が力強く棒を回すのがコツらしい)が既に始まっていた。これは人気種目ではないが集団競技ということで俺の選択肢から外れた競技だった。

 ……良く見れば玲がいるな。白組の鉢巻きを身につけて、険しい顔をしながら長棒のちょうど真ん中あたりを持って走っている。アイツ、俺と同じ組だったのか。

 だからと言って応援は別にしない。

 応援する様な間柄でもないしな。


「妹が出てるのに声掛けないんだ。フレーフレーって応援してるとこ見たかった」


 腕を組んで競技を見守っていると隣に座る小宮が話しかけてきた。恐らく暇だったのだろう。小宮もどうも体育祭には乗り気ではない派閥の一味らしい。気持ちは大いに分かる。


「んなことしないっての。妹と仲悪いって知ってるだろ」

「でも白組じゃん」

「そんな殊勝な心掛けしてないからな俺は。お前こそ体育祭に大した興味ない癖に、絶対俺の事揶揄うためだけに妹の話題出したな?」

「あ、バレた?」


 小さな悪戯がバレたかのような言い草に俺は肩を落とした。ここ最近は隙があれば俺へ妹の話題を振ってちょっかいを掛けてくるからかい上手の小宮さんである。俺と玲の間に横たわる兄妹間の不仲は家庭的なウィークポイントなので勘弁してほしいとは思うが、一方で指摘しようにも本人が楽し気に目で笑うもんだから水を差すのも気が引けて結局注意出来ないでいる。


「というか小宮って種目全然出なかったよな? 陸上部員的にはそれで良いのか?」

「参加は義務じゃないし、参加しないことに意義があるから問題無し」


 妹の話題では反撃できないと思った俺は別の角度から苦言を呈すことにした。だが小宮は気にした様子もなく、つまらなそうにハリケーンが進行中のグラウンドに視線を向けた。


「自慢じゃないけど私、夏の大会でインターハイ狙えそうだからそっちに賭けたいんだ。こんな茶番に付き合う気はないよ」

「すげえじゃん。でもクラスメイトには種目多めに出るよう説得されたりしなかったのか?」

「一回だけ言われたけど断った。興味ないから他当たってって」

「流石の小宮ニズム」

「妙な言い方止めてくれる?」


 定まった軸から一切ブレる素振りもない小宮に思わずそんな言葉を投げ掛かければ、返事とばかりに冷たい目を浴びせられた。

 ……いや悪かった悪かった。小宮ニズムという言葉に悪気は無いし、他人に自分の意見を曲げさせない学生離れした強い意志は寧ろ尊敬に値すると俺は思っている。

 だから睨むのはやめよう、な? 小宮切れ目の美人系だからそういう顔されると怖いんだって。


「はあ……まあ良いけど。新四谷はあと何に参加すんの」


 思いが通じたのか小宮は軽く溜息を吐く程度で場を治めてくれた。


「全員参加を除けば玉入れと1000mと混合リレーだな」

「ふぅん。そんなに良くやるね。何でそこまで頑張るわけ?」

「この前も言ったろ。詳しくは言えないが事情があるんだよ」

「インドアキャラの新四谷がそこまでする理由普通に気になるんだけど」


 はぐらかそうと流した言葉を小宮は再度拾い返してきた。再度誤魔化そうと口を開きかけて目が合った。小宮はじっと獲物を狩る狼のように俺の次の発言を窺がっている。

 ……小宮はそういう他人の事情なんて興味が無い人間だと思っていたんだが、そうでもないのかもな。思えばこれまでちゃんと話したこともないし人の本性なんて簡単に知れるものでもない。何が言いたいかって言えば俺は小宮のことを無機質で鎖国主義で淡白質な鋼鉄少女と勘違いしていたってことだ。


 ただ俺が小宮への評価を改めるのと、事情を話すのはまた別問題である。 

 少し悩んで俺は口を開いた。


「理想の妹を作るためだな」

「……………………は? キモ」


 怪訝な声と共にヤンキーのみたいな低音かつ低温のドスを叩きつけられた。吊り上がった小宮の目は俺を蔑んでいた。

 目的ではなく最終的な目標を言えば問題無いかと思ったが少し外聞が良くなかったようである。はい、反省します。反省。

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