#6 体育祭に向けて


 6月に入った。梅雨前線が早々に関東の頭上を覆い尽くし、自然の恵みとばかりに押しつけがましい豪雨と湿気を齎しては外でのランニングが難しくなってきた昨今。

 高校ではなぜこのシーズンに催されるのかは定かじゃない体育祭の時期が訪れていた。


「それではこれで決定とします。各自参加する競技は覚えておくようにしてください」


 今日は6限を丸ごと使って体育祭のメンバー決めだった。体育祭実行委員会の生徒が黒板に各競技ごとに生徒を割り振った後で、既に俺もどの競技に参加するかは確定していた。

 ここでライフハックなのだが基本全員参加の体育祭と言えど、全員が平等に機会を与えるわけじゃない。望めば一種目だけ参加して、他は体力自慢の体育会系クラスメイトに任せてしまうという技も存在する。


 ───なのだが、俺は帰宅部だしあまりやる気も無いにも関わらず参加数は四種目、つまり個人で参加できる最大数の種目への出場が決定していた。

 その全ての原因は一週間前に遡る。


 ここ二か月で大分兄妹関係にも習熟してきた俺たちはいつもの如く二人でプリクラを撮って、その後に駅前のファーストフード店で暇を潰していると冬佳が唐突にこんな事を宣った。


「そういやお兄ちゃんの学校の体育祭行くから」

「……はあ? 突然何故に?」

「だってお兄ちゃんが本当に運動を頑張ってくれてるか分からないんだもん」

「いや待て。それ言う前にこの上腕二頭筋を見てみろ。はち切れんばかりだろ?」


 と、俺は力瘤を作って見せるが冬佳の反応は芳しくない。


「全然ひょろいじゃんー」

「これでも一か月真面目にやってるんだけどな」

「まあ流石に一か月程度じゃ見て分かるほど筋肉付かないでしょ」


 それもそうか。俺も毎日風呂上りに鏡で身体の仕上がり具合を確認しているが正直あまり鍛えられている実感は無い。精々が階段の上り下りで多少疲れなくなったくらいか。

 冬佳は俺の二の腕をぷにぷにと触る。


「だからさ、お兄ちゃんの雄姿を見せてよ。体育祭で仕上がりばっちりチェックするから」

「……マジで?」

「大マジだよ。私のお兄ちゃんへの熱量知ってるよね?」


 じゃあ大マジじゃん。俺の妹愛と同等程度の兄貴愛を冬佳はその身に宿している。血は争えないな。だとしたら冬佳には一切その血が遺伝していないことに疑問があるが、まあ細かいことは今は気にしないこととする。


「いやちょっと待ってくれ。そう言えば俺って何時まで筋トレすればいいんだ?」


 ふと気になって聞いてみる。

 冬佳はなんでそんなことを聞くんだろうかと言いたげに目をパチパチさせた。


「え? 私のお兄ちゃんであり続ける限りだけど?」

「おいおい……マジか」

「そういう契約だからね。良いじゃん私も恥ずかしいことするんだし、これでお相子でしょ?」

「それはそうだが俺だけ重くない?」

「お兄ちゃん何だからそれくらい耐えてよね」


 そう言われれば頷くほかない。

 いつだって兄貴とは妹にとって都合の良い存在なのだ。(※ただし現実の妹は除く。)


 ───以上、体育祭へ積極的参加せざるを得なくなった場面の回想。


 依然とやる気は無いのだが、冬佳が応援しに来るとなれば本気を出さざるを得ない。

 しょうがない。体育祭までにペースを上げて更にトレーニング量を増やすか。


「珍しいね、新四谷が体育祭に前のめりになるなんて思わなかった」


 授業終わり10分休憩。後ろの席からシャーペンで突かれて振り向くとクラスメイトの小宮凛こみやりんに話しかけられた。陸上部の短距離選手である彼女は肌色という色相の範疇で程良く焼けた皮膚、黒髪をポニーテールに結び、半袖のYシャツから生えた均衡の整った筋肉質な四肢と、運動部らしく活発な風貌であることが分かる。しかしクラス内のご近所さんだから知っているが、活発な見た目に反して意外にサバサバとしていてクールなんだよな。体育会系にありがちな元気さとは無縁で、このクラスにも数人在籍する部活仲間とのコミュニケーションもほぼ取らず、基本は一匹狼でゴーマイウェイを貫く女子生徒である。

 普段は何事にも興味を示さなそうな澄ませた目をしているが、今はどうも珍しい言動を取った俺への興味が尽きないようで、何処か揶揄うような視線が俺へと降り注ぐ。


「ちょっと理由があってな」

「もしかして彼女にいいとこ見せたいとか?」

「ちげえよ」


 速攻で否定させてもらう。

 冬佳とは無関係な人間に対しては互いの関係性をオープンにしても良いと話が付いているが、それでも無暗矢鱈に言い触らせばそれだけ噂が拡散してしまう。特に俺の通う高校には玲も違うクラスとはいえ同学年に在籍している。冬佳が大学の同級生やサークル仲間に言う分には問題無いだろうが俺がクラス内で吹聴するのは極めてリスクが高いと言える。


 小宮は目を細めながら俺の琴線を触れるような言い方を敢えて選びながらニヤニヤと口角を上げた。


「ふーん。それにしては異様な気合の入れ方だと思うけど」

「何処が?」

「だって最近鍛えてるでしょ。分かるよ、後ろの席から見えてるからさ」

「お前俺のことそんな観察してたの?」


 もしかして俺の事好きだったりする?

 我ながら思春期特有の煩悩が湧き出すが、それを否定するように小宮が首を横に振る。


「目に入ってくるから見てるだけ。新四谷って普段からオタクっぽい猫背だしそういうのとは無縁だと思ってた」

「まあ……否定は出来ないけどな。ただ探られても大した理由じゃねえよ、ちょっと心変わりがあっただけだ」

「そう。まあ別に私も違和感を覚えただけだしどうでもいいけど」

「それにそれを言えば小宮が俺に話しかけてくるのも珍しいだろ」

「あ、それなんだけど」


 小宮は話題を変えるように視線を切って、教室の外に目を向けた。


「さっき教室の外から何か覗かれてたよ」

「はあ? 誰から?」

「多分新四谷の妹じゃない? 私、去年同じクラスだったし。話したことはないけど」

「……玲が? なんでんなことすんだよ?」

「知るか」


 心底疑問に感じてつい口を突いた言葉を小宮は冷たくあしらった。

 玲が俺の様子を見に来たのは考えにくいぜ。いやホント無い無い絶対に無い。俺と玲だぞ。俺らの兄妹関係の境界には南北38度線が敷かれているレベルで常在冷戦期なのに、そんな関心が向けられるはずがない。

 まあ妥当に誰か他のクラスメイトに会いに来たんじゃないか。

 このクラスに玲の去年のクラスメイトがいても可笑しくはないだろうし。


「もしかして……仲悪い?」

「まあな」

「ふうん。ま、兄と妹なんてそんなもんか」


 察したように言葉を投げ掛ける小宮に俺は適当に相槌をして会話を打ち切った。





★───★






「なんでいるの?」

「そりゃこっちの台詞だ。お前こそ本屋なんてガラじゃないだろ」

「は?」


 放課後、ラノベの最新刊を買いに行こうと駅前の本屋に行ったところ何故か玲が物色するように立ち尽くしていた。しかも手に取って見ていたのは肌色過多なヒロインが表紙になっている小説、要するにラノベである。当然ながら清楚系ギャルっぽい見た目をしたこの妹がラノベを読んでいるところを見たことは無いし、漫画やゲームと十把一絡げにして見下す対象にしているはずだ。

 にも拘らずラノベ? どういう心境の変化だ?


「お前それ……」

「べ、別に私が何を見てようがいいでしょ」

「読むのか?」

「読むわけ無いでしょ普通に考えてこんな気持ち悪い本! アンタみたくキモイオタクじゃないっての」


 ラノベを睨みながら玲は俺へと変わらぬ毒舌を浴びせてくる。だが俺には効かない。俺は知ったのだ、毒舌を食らい続ければ毒無効化スキルを獲得できることを。

 肩を竦めながら仕方が無いなという形を取り繕って俺は注意する。


「あのな、公の場であまり騒ぐなよ。兄として恥ずかしいだろ」

「何よ。そうやって今更兄貴面して何のつもり?」

「兄貴面って誠に遺憾ながら俺はお前の兄貴だからな。つか今更って言うが俺結構ずっと兄貴っぽいことしてると思うぜ? 家事とか料理とか色々と」


 玲は鼻白むように黙りこくって俺を無言で睨んだ。あ、ノーダメージなんでそれ。俺がこの期に及んで実妹の視線如きで怯むと思うなよ。


「とりあえず退けよ。俺も今お前が立ってる本棚見たいから」


 俺の言葉に苦々しい表情で玲はスペースを開けた。

 玲の事はこの際一切気にせずでいこう。コイツのことを考えながらラノベ漁りをするのは少々精神衛生上に悪い。

 さて何があるかな。

 お、今月の新刊も絵柄が良いやつがあるな。王道騎士道風で、妹が姫騎士になってしまうと……これはキープだな。その隣の田舎で中高生のニートが集まって共同生活を送るラノベも捨てがたい。なんか設定が面白そうだしヒロインの陰気な絵柄がちょっと刺さるな…………。


 …………うん。

 玲からの視線が気になる。何でずっと俺の手元見てるんだお前は。


「何か欲しいもんでもあるのかお前」

「あるわけないでしょ」

「じゃあ何でずっと隣にいんだよ」

「そんなの私の勝手じゃない」


 気になって声を掛けてみればやはり刺々しい返事が来るばかりで、本当のことを言う気はないらしい。

 コイツ自体にあまり興味は無いが、それでもラノベを選定する隣に家族がいられると非常に居心地が悪い。しかも兄や弟とかならまだしも寄りにもよって妹だ。どういう気持ちでこの様子を眺めてられるんだよマジで。


「……はあ。お前さ、何でここにいるの? お前が好きそうなファッション雑誌とかは下の階だぞ?」

「アンタ私が何を読んでるかなんて知ってんの」

「そりゃな。家族だからそうだろ」


 リビングにほったらかしにしてる雑誌を片しているのは誰だと思ってるんだ。否が応でもインプットされてるわボケ。俺だって玲が何を読んでいるかなんて記憶、さっさとリリースして脳内メモリを別のことに使いたいんだっての。


「……私はアンタと家族で最悪よ」


 間を置いて何故かそんなことを呟くように口にした。

 どういう意味……って考えるまでもないよな。額面通りの意味だろう。つまりいつもの敵対宣言と。

 ならば俺だってこう返してやるよ。


「奇遇だな。俺だってもっと可愛らしい妹が欲しかったっての」

「死ね」


 俺はただきたボールを打ち返しただけなのに、玲は突如そう瞋恚の目を灯して、眉間に皴を作ると俺を一睨みする。持っていたラノベを平台に置いてスタスタと立ち去って行った。

 本当に何考えてんのか分からない。唯一分かるのは山の天気と実妹の気分は移ろいやすいってことだな。


「……うん?」


 玲が何を見ていたんだろうとつい気になって平台に目を遣ればかなりマイナーな妹系ラノベだった。タイトルは『淡い連枝に花束を』、5年前くらいのラノベで俺が人生で最初に読んだラノベでもある。

 まあアイツがそんな俺のパーソナルデータを持っているとは思えないので偶然手に取ったか、或いはタイトルや表紙が他より一般文芸っぽいからつい気になったか。しかし内容はそこまで面白いわけじゃないんだよなこれ。何より最終的に兄妹恋愛で起きる問題を全て投げ捨てては駆け落ち同然で実家から出て、片田舎に二人揃って移住して事実婚エンドだ。

 全く以て酷いと思う。 

 特に兄貴が妹に対して恋心を抱いてプロポーズするのとか最悪の最たる例だ。兄貴が妹に恋心を持っちゃダメだろ。これは俺のポリシーというのもあるが、やはり主人公に共感が全然できなかったというのが一番デカかった。仮に妹に恋心を抱いていたとしても俺の考える理想像としては絶対に誰にも明かさず生涯隠し通すことが兄貴の務めだと考えている。兄妹婚なんて互いに辛い思いをするだけで、妹を愛しているならこそ恋心を絶対に表にしちゃならないと思うんだよな。


 ま、現実にゃそんなことはあり得ないけどな。

 精々、冬佳が相手なら将来的にワンチャンそうなる可能性があるかもってくらいだ。今は無い。


 俺は玲が適当に置いて行ったラノベを正しい位置に戻すと、再度新刊を吟味し始めた。





 そうして俺と玲の関係性は変わらず、冬佳との関係性は少しずつ進展して。

 二週間が経過して憂鬱な体育祭が開幕するのであった。

 

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