#1 妹よ、爆発しろ


「お、お兄ちゃん、今日は一緒に寝ない? べ、別に何も無いんだけどね、お兄ちゃんがあまりにも寒そうでほっといたら凍え死にそうになってるから死なないことを確認したいだけなんだけどね?」


 月夜が隠れる土砂降りの夜。

 妹がそんなことを素知らぬ顔で言いながらもオレの部屋に侵入してきた。

 オレの聡明なる脳内はすぐさま結論を見出す。


「はは~ん、もしかして雷が怖くて人肌恋しくなったか?」

「ち、違うから! 私はただただ純粋無垢にお兄ちゃんが部屋に雷が落ちて死んじゃったら孤独死で可哀想と思っただけなの! 怖い訳無いじゃん!」

「オレの部屋に落雷が落ちるってどんな心配してるの?」

「知らない知らない! そんなことより入るからねベッドに!」


 妹はオレの言い分など無視してベッドに我が物へ入ってくる。狭いシングルベッドの中では妹と距離を取るのも儘ならない。隣から伝わってくる温い感覚に少々の違和感を覚えていると、背中を身体で押された。


「お兄ちゃん狭い。もうちょっとそっち行って」

「これが限界なんだが? なに? 俺の部屋に勝手に入ってきたくせに何でそんなに権利の主張をするんだ妹の分際で。オレの部屋なんだからこのベッドの主権はオレにある。その辺弁えた上で口を開きたまえ」

「お兄ちゃんこそ何その言い方? じゃあお父さんに聞いてみる? お兄ちゃんと妹、どっちが優先されるだろうね?」

「やめてくれ、娘原理主義者に判断を委ねられたら勝てるもんも勝てない」

「じゃあどうすれば良いか分かるよね?」


 嬉しそうに声を弾ませる妹に少々イラつきながらも父親の話を出されると手も足も出ないオレは仕方なく5㎝ほど横にずれた。


「それだけ?」

「これが限界だっての。見りゃわかるだろ、これ一人用ベッドなの」

「えー?」

「えーじゃない。そっちから来たんだからお前が我慢しろ」


 というかオレが我慢するこの状況も些か変なのだ。

 おかしいだろ、オレがこの部屋の主だぞ。なんで妹ごときに寝具の主権を半分分け与えているんだか。親父に感謝しろよこの野郎。

 そう考えながら寝ようと瞼を下ろそうとすると、妹がごそごそと動いて、それからすぐにオレの上に乗りかかった。重いぞ妹よ。


「こうすれば狭くないよね?」


 目を開ける。妹がオレの身体に跨るように座っていて、そのままこちらへ倒れるように抱き着いてきた。


「お兄ちゃん抱き枕の形をしてて抱きやすい~。雑貨屋さんで売ったら1000円くらいで売れそう」

「IKEAのサメみたいな扱い辞めてもらえるか?」


 しかし妹はオレを抱き枕のように扱うことを止める気は無いようで、手を俺の肩に回した。妹の掠れるような呼吸が耳朶を打つ。妹が首に頬を当ててくる。温いというか、もう暑い。


「お兄ちゃん……落ち着く……」

「あのさあ」


 オレは溜まらず口を開いた。

 ここは兄貴として言ってやらねばなるまい。


「いい加減暑苦しいから止めてくんねえそれ。流石に抱き着かれたら重いし嫌なんだが。てか妹が兄に抱きつくとか気持ち悪いだろ、マジでやめてくれ。そりゃお前は妹だけど妹でしかないんだよ。俺の彼女でも無ければ娘でもない。兄妹でこの距離感は止そうぜ。オレは一般的感性を大事にしたいんだ」


 妹のためだ。妹がオレの事が好きなのは分かるよ。オレって結構良い兄貴をしていると思うし、親愛を示されるのは吝かじゃない。

 でもこれは行き過ぎているだろ。駄目だろ普通に。

 例えばこの光景を親父やお袋に見せられたらどう思われると思う?

 絶対に絶望される。具体的には近親相姦を疑われて俺が家から追い出される。

 そんなのは勘弁だ。だからそういう勘違いされるような行動を取られると俺は非常に困る。


 妹はオレを見た。暗くてよく分からなかったが涙が溜まっていたように見えた。


「お兄ちゃんの馬鹿!」


 ベッドから弾かれたように飛び降りると、妹はオレの部屋を飛び出した。バタンと大きな音を立ててドアを閉じる。

 ……何だったんだ今の。

 泣くほどのことを言ったか俺?


 モヤモヤする。

 疑問は晴れぬまま、まあいいかと目を閉ざして寝ようとしても強制的に意識をこじ開けては頭の中でぐるぐると疑念が回り続ける。

 思えば確かに言いすぎだったかもしれない。でも俺は普通のことを言っただけだという自負もある。

 何が良くなかったんだろうか。


 大量の雨粒を纏いながら雷が落下する音だけが部屋に鳴り響いた。】



 ──────っ。


「気づけよお前馬鹿じゃねえの兄貴失格だろ!?」


 俺は思わず叫んでいた。

 手には昨日買ったライトノベル『最近妹の様子が少々可笑しい~引き気味のオレに対して妹はより距離を詰めてくるようです~』が握られていて、少し力を込めたせいでページに皴が寄ってしまった。それもしょうがない。

 だって何だよこの主人公。

 こんな素晴らしい妹に気持ち悪いとかアホじゃねえの? 馬鹿じゃねえの?

 こんな可愛い妹がいることに感謝しろボケナス。もし目の前にコイツがいたら一発拳をくれてやる自信があるね。


 それでいて朴念仁とは救いようがない。

 自分が妹から好かれていることは理解しつつも家族構成図を念頭に置きすぎて、妹が主人公のことを好きであるはずがないと思い込んでしまうのも良く分からない。

 だってこれどう見てもラブじゃねえか!

 notライクbutラブ!

 誰がどう見ても妹はこの主人公のことが好きなの! でも妹という立場も理解しているからあくまで表には出さず、その代償行為として夜中に兄貴の部屋に行って甘えることで発散していたという簡単な事実に気付かない主人公にやっぱり俺は二発ぶち込みたい。拳じゃなくて足で蹴り飛ばす。こんな奴にこんな可愛い妹は勿体無い。俺が兄貴になる!


 と、拳を握り締めているとリビングのドアが開いた。

 悲報、現実の妹が帰ってきたようだった。

 いつもは友達とマックで寄り道するからもうちょっと遅い時間で帰ってくることが多いが、今日はやけに早い。お陰で鉢合わせてしまった。


「……今日は早いんだな」


 何も言わないのも変だろうと思って口を開くが現実の方の妹、れいは俺の言葉に反応を見せない。誰がどう見ても意図的に無視していること丸分かりだった。青筋がピキリと来たが俺は大きく息を吸って堪える。

 こんな無愛想で仲はお世辞にも良いとは言えない女でも、こいつは俺の妹だ。戸籍謄本を取り寄せれば誠に遺憾ながら明々白々と俺と兄妹関係にあることが証明できる。俺が4月生まれ、玲が3月生まれと同学年ではあるが確かにコイツは戸籍上の妹なのだ。


 だが俺はコイツを妹として真には認めていない。

 容姿が悪い訳じゃない。寧ろ良い。身内贔屓な評価じゃないが、てか身内贔屓とかこの妹に対しては死んでも使いたくない言葉ではあるがそれはさておき、学校でもかなり人気の存在だ。同じ高校に通う玲は毎週のように男子生徒から告白されてはその度に断っており、結果的に見事に氷の美少女のアチーブメントを獲得している。

 毎日のケアの結果か、玲の肌はとても白い。しかも不健康な白さではなく上品な白さで、つぶさに観察しても毛穴すら見当たらない。黒髪をボブカットにしており、前髪は1分に1度は触って左右の比率を確かめている甲斐があってか非常に見栄えが良い形状を維持され、分け目には若葉色のヘアピンが止まっていた。顔の造形に関しては生まれつき非常に整然としていて、釣り目がちな目に細い眉、薄い唇、ぷくと膨れた頬。まるでアイドルだ。実際街中を歩いて芸能事務所から勧誘されたこともあったりするらしい。


 しかし、しかしだ。

 玲を妹として見ることは出来ない。

 それは単に仲が悪いからだとか、空気感が最悪だからとか、そういう理由じゃない。


 ───俺の思う妹というのは妹力の高い妹である。

 コイツには妹力が足りていない。

 部屋は汚くて生活力は皆無だし、兄への思いやりが一ミリも存在しないし、何かと付けて自己中心主義だ。あとさっきは排除したがやっぱり俺への態度が最悪なのもほんのちょっぴりは存在するわ。親父もお袋も共働きで家にあまり帰ってこないが、もし家事が俺の担当じゃなければ欠片も会話をしなかった自信がある。


 そう思うと二次元の妹は最高だ。

 二次元の妹は妹力が高い。そりゃそうだ。大概のケースで二次元の妹はそういう風に設計されている。

 ここで俺の事を勘違いしてもらっちゃ困るが、俺は二次元こそが至高と言っているオタクではない。あくまで俺の考える最高の妹が二次元にしか存在しないから二次元で妹力を消費しているだけで、もし現実に存在していれば全力で愛でる。絶対に可愛がる。甘やかして依存させる気概もある。それが俺の思う理想の妹の兄貴ってもんだ。


 話を戻すと、以上を踏まえれば『最近妹の様子が少々可笑しい~引き気味のオレに対して妹はより距離を詰めてくるようです~』の主人公は兄貴として最悪だ。共感が出来ないってレベルじゃないぜ。折角理想の妹ホルダーなのにあの対応はマジで無い。無いわー。可愛い妹との縁を下賜した神様に感謝して咽び泣きながら甘やかすのが兄貴の役目だろうが。


「何読んでるの」


 完全に意識の外だったが、目を向けると玲が冷蔵庫からミルクティーの紙パックを取り出しながらそんなことを言ってきた。

 愚門だな。


「哲学だ」

「キモ」

「ああ?」


 哲学良いだろうが。プラトンとかアリストテレスとかソクラテスとか。いやあんまりそういうのは知らないから強くは反駁できないけど。だが一つ述べられる事実として少なくとも妹論も哲学である、俺にとっては。時に理想の妹を追求していくと哲学的な問いになりがちになるからだ。いつか俺の中にある妹論を軒並み書き連ねた新書を出版できれば感無量である。願わくばプラトンの解釈本の隣に『妹原理論~観念的妹と現実妹の乖離~』というタイトルで本を書店に並べられたらマジ最高。


 玲は甘ったるいミルクティーをコップに注ぐと、それを手に持ってソファーに座って優雅に本を持つ俺へと近づいてきた。思わず俺は背中に隠す。


「見せてよ。気になるんだけど」

「俺が何を読んでようが良いだろうが」

「違うから。アンタが目に見えるところにいるとムズムズするって意味。床に楕円の形した黒いゴミがあったら見るでしょ」


 この女、俺のことをゴキブリと同列視してるのか?

 これだから現実の妹は儘ならない。二次元の妹であれば兄に対して絶対に有り得ない対応だ。

 だがここで憤慨するのもみっともないし何より理想の兄からかけ離れた行動であるので、俺は敢えて肩を竦ませて見せる。


「分かったよ。部屋に行けばいいんだろ」

「素直に聞き入れるのもキショいんだけど」


 腹が立つ物言いに思わず拳を握りそうになったが言い争っても不毛だ。

 思春期を迎えた現実の妹なんていう存在は何時の時代においても理不尽の権化で兄のコントロール下に収まらないことを俺は知っている。

 俺は怒りを呑み込んで、何も言うことなくラノベを背中に隠しながらリビングから退散することにした。


「妹から逃げるつもり? 自分でも情けないと思わないの? 何か言い返せば?」


 うるせえこの野郎。黙っていれば良い気になりやがって、思春期だからって調子に乗ってんじゃねえぞ!

 と、言いたい気持ちはあったが俺は言葉にはしない。何故なら俺は兄貴だからだ。妹は俺の思う妹ではないが、俺が兄貴であることは不変たる事実である。ここで事を構えて醜悪な言い合いをするような兄貴に俺は成りたくない。

 背中に妹の暴言を背負いながら歯を食いしばってリビングの扉を潜り抜ける。


 幾ら俺が兄貴とは言えど、俺にだってプライドはある。

 玲の言葉に何も感じない訳が無い。


 以上の態度から現れた俺の結論は一言でこうだ。

 リアル妹なんて爆発してしまえ。

 これ以上の感想は何一つ必要ない。全ての所感が籠った最高の一文だ。


 分かってるさ。現実なんかこの程度の代物でしかない。

 ただただ腹立たしくクソ生意気で可愛くない、それが今俺が一緒に生活を送る妹という生態の正体だ。

 二次元に住む純粋無垢で可愛くて癒してくれる妹はこの世界に存在しない。


 もっとこうな、純粋で可愛くて天使みたいで俺の言葉に一喜一憂喜怒哀楽してくれる理想の妹欲しいな。出来れば玲とチェンジで。無理ですよね。知ってた。

 でも俺だってそう簡単に諦められない。

 あ~どっかに落ちてねえかな俺だけの理想の妹。

 親父、腹違いの義妹とか隠してねえかな。

 そしたら家内は確実に修羅場になるが俺だけは親父の味方をしてやるのに。でも実際問題、義妹なんて言葉も二次元でしか今日日聞かないしなあ。


 現実の無常さに思わず溜息を落とす。

 俺、新四谷光太あらしやこうたの日常はこんな感じだった。

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