#2 背理的な契約



 本日金曜日は二回行動の日である。


 まず一回目は言わずもがな高校生の義務である学業を果たすべく、高校へと登校して授業を受けることだ。

 金曜日とあってクラス内の若干浮かれた空気感に飲まれることなく俺は一睡もせず真面目に授業を受け切った。これでも俺は優等生だ。学内順位は上から十番目を常にキープする様にしている。上手く行けば大学受験は一般ではなく推薦で合格を決めることが出来るかもしれない。まあ捕らぬ狸の皮算用にならないように一般受験対策の勉強はするつもりではあるが、学校の内申点も失わないようにバランス良く勉強するのが俺の高校生活の流儀である。


 そして二回目がアルバイトだ。

 帰宅部の有り余る時間を有効活用するべく、俺は放課後にコンビニでアルバイトをしていた。やることと言えばレジ打ちと品出しの単純労働。正直仕事には何一つ面白みを感じないが、客がいない時間帯のバイト仲間との雑談だけはそこそこ面白い。何なら俺の働くコンビニは主要道路から裏路地に一本外れた場所に立地している為に客も少なく、暇な時間も多いから殆どの時間がバイト仲間との雑談に費やされていた。


「まーだ玲ちゃんと険悪な感じなの? 懲りないね光太こうたは」

「俺が険悪なんじゃなくて向こうが一方的に険悪なんだよ。理由は知らないが口を開けば俺への罵詈雑言と誹謗中傷で気分が悪い、冬佳ふゆかさんにも聞かせてあげたいぜあの罵倒っぷり」


 今日も今日とて陳列を完璧に熟して暇を持て余していた俺は、レジ裏で先日の玲の暴言を冬佳さんに愚痴っていた。

 冬佳さんは俺と同じくこのコンビニでアルバイトをしている大学二年生で俺の二つ上、更に言えば俺の従姉でもある。アルバイトが一緒なのは偶然だった。まだここでアルバイトを始めたばかりの頃にこの辺りの大学へ進学したばかりの冬佳さんが偶然アルバイトへ応募してきて、今は親族の縁やらオタク趣味が共通していることから仲良くなってこうして一緒に働いている。


「昔は玲ちゃんって光太から離れない甘えん坊だったのに時間は早いねえ……おばさんしみじみ思うよ」

「冬佳さんまだ19歳だろ……というかそれは冬佳さんも同じじゃないか? 冬佳さんも昔は良くお兄さんに引っ付いて」

「あーあー、聞こえない聞こえないー」


 年甲斐も無く耳を塞いで聞こえないふりを始めた冬佳さんに俺は呆れた目を送ってやる。冬佳さんは全く気にすることなく俺に肩を置いた。


「あのね、光太なら分かると思うけど妹は頼れる兄がいるとお兄ちゃんっ子になるもんなの。だからあれは不可避。……それに最近は甘えさせてくれないし」

「ほーん」

「あ、理解しがたいものを見る目だ。酷い。ウリウリ、こうしてやる」


 ぐにぐにと頬を引っ張られた。地味に痛いし後顔が近い。

 ……こうして見れば冬佳さんって滅茶苦茶可愛いんだよな。

 大学デビューと共に金髪に染めた冬佳さんは表面上、そのインドアな性根とは真反対にギャルっぽい見た目に見える。ゲームやアニメが趣味だから肌は白いし身長は親譲りなのか俺より10㎝くらい高い。親族相手に考えることじゃないが女性らしい一部位も豊満で、整ったプロポーションをしている。身長差だけは少々悔しいものの、俺にとってはこの一年良い姉貴が出来たような気分だった。


「分かった、冬佳さんがブラコンだってことは良く分かったから手を放してくれ!」

「ぶ、ブラコン……いやまあ否定はできないけど……」

「うん?」


 不自然に俺の頬から手が離れた。

 冬佳さんの浮かない顔を見る。眉は下がり気味で、少し落ち込んでいる様子が伝わってくる。


「……どうかしたのか?」

「いやその、ね?」

「ハッキリしないな。俺と冬佳さんの仲じゃん、もし悩みがあるんなら俺に話してみろよ。何が出来るかは分からないけど相談に乗るくらいは俺でも出来るぞ?」

「……光太って頼りがいがあるよね。何かお兄ちゃんって感じがしてさ」

「そりゃ俺は兄貴だし当然だけど……突然どうした?」


 突然褒められてもビックリするから止めて欲しい。

 いやまさか、ここから告白され……いや無いか。相手は親族だぞ。社会通念上で結婚できる相手と言えど、赤の他人同士が結婚するのとは訳が違う。


 俺は脳内から邪な妄想を振り払うように後ろ髪をボリボリと二回掻いて冬佳さんの言葉を待つ。

 冬佳さんの口が開いたその刹那、コンビニの入店音が店内に鳴り響いた。


「光太、ちょっとバイト終わったら時間良い?」

「……えっ」


 冬佳さんはそう言うなり「いらっしゃいませー」と機械的な言葉を口遊んで飲料棚を補充しにレジから離れていく。

 まさか……いやまさか違うよな?





★───★





 そこから三時間、バイトが終わるまでは気が気じゃなかった。

 アルバイト中はずっと冬佳さんの言葉が脳内を反芻した。

 あんなことを言われたのは一緒のシフトに入ってから初めてのことだった。

 いや流石に告白はないだろう。無い無い。だって俺達親戚だぞ。もし付き合い始めたとして、どんだけ他の親戚から揶揄われるか分かったもんじゃない。というか許されるのかすら怪しい。姉弟は論外として、従妹同士での結婚だってそう一般的な考え方じゃないはずだ。

 取りあえず付き合うのは保留だ。だって俺はアルバイト外の冬佳さんをあまり知らない。暇なときに色々と話すことはあれど、休日に一緒に出掛けたことなんて無ければ親戚の集まりでだって特段話した記憶は無い。俺と冬佳さんの関係性はあくまでこのコンビニ内でのみ完結しているのだ。


 って俺は何で告白されることを前提として物事の対策を打とうとしているんだ!


 あーもう馬鹿馬鹿しい。告られるわけがないだろうが。

 相手は冬佳さんだぞ?

 コイツを物差しにして評価をすると若干ケチが付いてしまうが、俺の現実妹とタメを張るレベルで容姿が麗しい冬佳さんだぞ?

 俺の事を好きになるがはずがないだろう。

 落ち着け新四谷光太あらしやこうた

 冷静に考えて物事を俯瞰しろ。どうせ何か簡単な頼みがあるだけだ。そうに違いない。うん間違いない。


 そんなことに時間を使っていれば気付けば今日のシフトは終わっていた。

 交代のバイトと簡単な引継ぎを終わらせると、冬佳さんが軽く手を振った。


「先に着替え終わったらコンビニ前で待ってて」

「りょ、了解」


 どもってしまった。たった二時間強では冬佳さんが頬を紅潮させて俺へ愛を囁くなどいった、俺の邪な思いが生み出した醜い幻想を消し去るに足りなかったようだ。


 バックヤードで手短に着替え終えると、俺はスクールバックを持ってコンビニの入り口で立ち尽くす。既に20時を回って夜だった。


 二分ほどして私服姿の冬佳さんが入口の自動ドアから現れた。今日は水色のパーカーにジーンズというファッションセンスの欠片も無いラフな格好である。今年になってから金曜日は講義を一つも入れていないからキャンパスに行くと違って適当な服で来れるとは冬佳さんの談だった。大学の授業の仕組みを良く知らないけどやりようによっては平日も暇になるとは羨ましい限りだ。


「お待たせ、じゃあ行こうか」


 俺に目を配った冬佳さんはそのまま俺の家とは反対方向に歩を進める。

 何度も何度も違うと否定しているにもかかわらず胸の鼓動は収まらない。

 クソ、どこに連れて行く気だ?


「ここで良いかな」


 一分もしない内に踏み入れたのはコンビニから階段を上がった先、人気のない市役所裏の空き地だった。管理が碌にされていないせいで俺の踝ほどまで成長した雑草がぼうぼうと茂っていて、その裏手には木々に囲まれた小さな寺があるために虫もそこそこ生息している。唯一存在する街灯に照らされた公衆便所は昭和のボロさを隠さず照らし上げていてとても不気味な光景を作り上げており、以上様々な不人気要素が盛り込まれて地元住民どころか夜のたまり場を探すヤンキーすらここには寄り付かない。


 人目に付かない場所ではあるが……告白って雰囲気の場所ではないよな。やっぱり勘違いか。そうだよな。うん。良かった……良かったはずなのに何だろうかこの虚無感は。

 俺が独りでに自分の中で芽生えた僅かな未練と格闘していると、冬佳さんは空き地と道路の境界線に立てられたフェンスに腰を掛ける。


「光太も隣来なよ」

「う、うん」


 その言葉に俺は弾かれたように冬佳さんの隣にあるフェンスに腰を掛けて座るような形になった。街灯に背中を照らし上げられて、正面に影法師が二つ伸びる。


「光太はさ、妹が好きだよね? えっと、玲ちゃんのことじゃなくて光太の思う妹の話ね」


 冬佳さんから語り出された話は予想だにしない話題で、要領を得ずに俺は冬佳さんの目を見た。

 暇な時間ならアルバイト中に無限になったから、そういう俺自身の妹話は既に冬佳さんには沢山していた。そしてそのお返しと言わんばかりに冬佳さんがお兄ちゃんっ子であるという話も無限に聞かされている。だから脈絡が無いわけではないが……。

 しかしどうしてこの場所でその話を?


「……なんの話がしたいか分からないんだが」

「光太さ、可愛い妹が欲しいんだよね? 理想の妹。ところで理想ってどんな感じなの?」


 俺の疑問には答えることなく、代わりにそう切り出された俺は面を食らいつつも考える。


「まず可愛い。これは大前提だな。なにせ二次元の妹をモデルにしたのが俺の理想だからだ。可愛くない妹も妹には違いないけど可愛い妹はより理想に近い。次に純粋無垢であること。これは別に下ネタを使わないとかそういう意味じゃなくて精神の在りようの話だ。理想の妹は常に自分の感情に正直で、兄貴に対してはその感情を滅多に隠さない。そして何より一番最後に重要なのは、兄貴に甘えてくることだ。妹は兄貴に甘えてナンボ、兄貴より優秀な妹ってのも悪くは無いけどやっぱり兄貴としては頼って欲しいって感情があるか」

「なるほど! 気持ち悪いね!」

「……冬佳さんが言えって言ったんだろうが」


 笑顔で俺の妹概論をぶった切った冬佳さんに苦笑いをしてしまう。確かに少々熱が入ってしまった自覚はあるけど引き金を引いといてそれはないんじゃないか。


「でも私もそれ笑えないんだ。だって私にも理想のお兄ちゃん像ってのがあるんだよ」


 初耳だ。まさか俺と同じように冬佳さんも兄妹に理想を追い求めるタイプの人間だったなんて。


「へえ。試しに冬佳さんの理想の兄貴像を聞いても?」

「まず妹が絶対。彼女が居てもお兄ちゃんには妹との予定の方を優先してほしい。それから頼りがいがあること。お兄ちゃんは妹の要求くらい易々と受け入れてくれて、大抵のことなら解決できちゃう程度には優秀であってほしい。後お兄ちゃんは私を褒めて叱ってくれる存在であることも絶対条件だね。悪いことをしたらメッて叱って、良いことをしたら頭を撫でる。これくらいはしてもらわないと困るかな。それからそれから容姿も───」

「分かった分かった! ストップだ冬佳さん!」


 早口で回り続ける滑舌に溜まらず俺は止めた。年上の親戚が語る言葉としては聞くに堪えない願望ばかりじゃないか。いや俺も人のことを言えないけどさ。

 冬佳さんは少し不満げに表情を曇らせたが、直ぐに気を取り直した。


「ここからなんだけど……でもいいや。ともかく光太、私達って似た者同士だと思わない?」

「似た者同士?」

「私も光太も拗らせてるじゃん。私はお兄ちゃんを拗らせて、光太は妹を拗らせている。そしてお互い現実にそのフラストレーションを解決する向け先が存在しない。ふふ、これは良い関係性を気付けると思うんだ私」

「話の行く末が全然見えないんだが……」


 確かにお互い兄妹感で深く拗らせていることは理解した。

 で、だから何だと言うのだろう。

 俺の理想の妹なんてこの世界には存在しないし、冬佳さんの理想の兄貴だってきっとこの世界には存在しない。


 冬佳さんは軽く息を吸って、こう言った。


「兄妹契約しない? お互いがお互いの相手の理想の兄妹になって、姉弟になるの」


 は……はあ?


「何言ってんの冬佳さん」

「そのままの意味だよ、案外理解が遅いなあ。つまり私は光太の妹になるから光太は私のお兄ちゃんになって。どうかなこの契約?」


 微笑みながら冬佳さんは前に掛かった長い後ろ髪をかき上げた。

 ……何かとんでもないことを言い始めたぞこの人。

 言ってる意味は分かるけど理解が追い付かない。


「ええと……血が繋がっていないのはまあ良いとして、それ以前に年齢が逆だろ。俺達じゃ兄妹じゃなくて姉弟だ」

「確かにそれは正論かもね。でも考えてみて光太、私達が求める理想の兄妹に年齢って関係ある?」

「そりゃあるに決まっ……」


 言いかけて気付いた。

 俺は理想の妹として挙げた存在に年齢を挙げたか?

 いいや、挙げてない。

 考えてみれば年齢なんてどうだっていい。理想の前には妹の年齢なんて些事である。

 重要なのは精神性と見た目だ。塩梅としては6:4。

 それを踏まえて冬佳さんを観察してみれば、案外冬佳さんは妹として最適な人材なのかもしれない。俺より背丈は大きいが綺麗系の玲とは違って可愛い系の顔立ちで年齢よりは幼く見える。中身は……純粋無垢かと問われれば違うが、まあ究極言ってしまえばそんな妹は二次元にしか存在しない。現実に理論値を求める方が間違っているのだ。


「ね? 関係ないよね? 私達相性抜群じゃない?」

「そうかもしれない……けど」


 小首を傾げる冬佳さんに俺は肯定した。

 俺は理想的な妹を欲していて、冬佳さんは理想的な兄を欲している。

 ……だがだとして、本当の妹である玲はどうする?

 兄として玲を見捨てるのか?


 そんな事を考えていれば薄く笑いながら冬佳さんが言った。


「この手を取ってよ、お兄ちゃん。一緒に兄妹になろう?」

「……冬佳さん」

「"さん"だなんて他人行儀なの止めてよ。冬佳だよね?」


 冬佳さんは俺へ右手を差し出した。

 分かってる。これはインモラルな扉の入口だ。一度手に取ってしまえば共依存となって俺達は自分の願望と引き換えに決して誰にも話すことが出来ない隠し事を腹に抱えることになる。

 理想なんて存在しない。現実は現実でしかない。それは俺の妹が玲であるように、冬佳の兄が理想的な兄ではないように。互いがどれだけ努力研鑽を積んで相手の理想に寄せてもそれは紛い物で、欺瞞まみれの偽者だ。本物じゃない。


 それでも俺は偽物と理解した上で星に手を伸ばす。

 二次元にしか存在しない妹を現実にするために冬佳さんの手を取る。

 冬佳さんの手は夏前だというのに冷やかで、少し震えていた。この提案に少なからず不安を怯えていたのだろう。俺はその手を両手で包んだ。


「一つ聞かせてくれ」

「なにかな」

「正直言ってその……唐突すぎる。確かに俺は理想の妹が現実に居れば良いなと思っていたし、冬佳さんが理想の兄貴が欲しいのならそれは利害の一致なのかもしれない。でも俺達が求める妹も兄貴もきっと、現実には実在しない。いや、実在出来ない。理想は理想だから輝いて見える。それでも冬佳さんは良いのか?」

「難しいこと言うね。でもうん、その通り」


 冬佳さんは即答した。


「私ね、傲慢なんだ。欲しいものは欲しい。現実にならないからって諦めない理由にはならないよ。違う?」


 俺は固唾を飲んだ。

 冬佳さんの儚い笑顔が、あまりにも妹らしかった。


 ふと昔の玲の顔を思い出す。


『お兄ちゃん、アイス買って! でも一種類はヤダ! チョコと抹茶とイチゴが良い!』


 小学生の頃、一緒にお遣いに行ってそんな我儘を言われたことがある。

 その時の表情はそれはもう泣きっ面で手を焼いたものだが、何故か全く似もしない目の前の美人の笑顔を見て記憶の底から蘇った。


 ……名づけるなら理想の妹化計画か。

 よし、やってみようじゃないか。

 俺だってアニメやラノベで羨ましがるだけの生活は飽き飽きしてたんだ。


「分かった。今日から冬佳、お前は俺の妹だ」

「うん。宜しくね、私のお兄ちゃん?」


 冬佳は人懐っこい目をして穏やかな笑みを浮かべた。

 こうして俺達は兄妹になった。

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