孫呉主伝

ニャルさま

まえがき

「呉とは南方にフロンティアを見出した若者たちの国である」

(『正史 三国志8 呉書3』陳寿 裴松之著 小南一郎訳 ちくま学芸文庫 解説より)


 この小説を執筆するに当たり、当初の案としては「孫晧伝」というタイトルにしようとしていた。孫晧そんこうとは孫呉そんごの最後の皇帝のことだ。

 三国志においても最終皇帝ラストエンペラーであり、最悪の暴君とも言われる孫晧を主人公にしようと考えたのである。


 孫晧は英邁えいまいという評判であったが、皇帝に即位すると、呉の人々は失望する。刑罰を濫用して忠臣を殺し、小物に政治を任せるばかりか、いたずらに占いにすがり、国内は混迷を極めた。譜代の将軍である陸抗りくこうも使いこなすことができず、迫りくるしんの軍勢に成すすべがなかったといわれる。

 そのため、呉は滅亡した。そう伝には綴られる。

 しかし、晋に降った後にはその知性と不屈を感じさせるエピソードが語られる。その二面性はどこにあるのか、孫晧はただ暴虐で愚かなだけの皇帝だったのか。それを検証したいと考えていた。


 孫呉のいしずえを築いたのは孫策そんさくである。彼が国を興すべく江東の平定に乗り出したのが西暦194年。それを孫権そんけんが受け継いだのが200年であり、正式に国家としての呉が成立するのは229年である。そして、孫皓そんこうは242年に生まれ、264年に23歳で呉の第四代皇帝となった。その治世は280年まで続く。

 孫策が行動を始めてから86年。年若かった若者たちは老いさらばえて死に、生き残ったものたちも年老いている。老人はフロンティアの存亡に当たり、何を思い、何を見たのだろうか。

 そんな内容を構想していた。


 後期の呉では、諸葛亮しょかつりょうの甥であり、諸葛一族最高の頭脳を持ちながらも、それを台無しにするお調子者である諸葛恪しょかつかくが彗星のように現れ、瞬く間に消える。あるいは、皇帝や宗室たちを手玉に取り、皇室を揺れに揺り動かす悪女、孫魯班そんろはんなるものの活躍もあった。

 知られざる、というと言い過ぎではあるが、あまり知られていない愉快な人物がまだ大勢いるのだ。そうした人物も紹介したいと考えていた。


 当然というべきだが、三国志とは三つの王朝、三人の皇帝が並び立っていた時代である。

 だが、その成り立ちは三国三様で、曹操そうそう曹丕そうひの魏王朝は前王朝である漢の皇帝から譲られる形で成り、劉備りゅうびの蜀漢王朝は漢の皇室の末裔であることを主張して、魏王朝に対抗する形で生まれた。そして、我らが呉王朝であるが、今なら皇帝を名乗っても怒られんやろというタイミングでドサクサ紛れに成立するのである。

 これは偶然の行き当たりばったりの結果で生まれたようにも思えるが、緻密な計算のもとに成り立たせたとも思わせる。実際にはどうだったのだろうか。


 主人公は孫呉主、すなわち、歴代皇帝や王たちの六人を考えているが、袁術えんじゅつのような孫家の運命に深く関わるもの、周瑜しゅうゆ呂蒙りょもうといった功臣たち、あるいは敵となる劉備や曹操といった面々にもスポットを当てるつもりでいる。

 読者の方の中で、この人物のことはちゃんと書くんだろうな、などと思う人はコメントしていただけると、ありがたい。網羅できるように努めたい。


 そんなわけで、本作では「正史 三国志」を参照しつつ、当時の時代を再現していこうと思う。

 ただ不幸なことに、筆者は司馬しば遼太郎りょうたろうのファンであり、彼のもっともらしいウソを平然と書くところに憧れていた。それだけは付け足しておく。


 それでは、まずは孫策、孫権の父に当たる孫堅そんけんの物語から始めたい。筆者とともに歴史を巡ろうじゃあないか。

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