三人の男と、父一人②

 着替えを終えて廊下へ出ると、先ほどの男性に連れられ私たちは長い廊下を歩いていった。

 着慣れない礼服は異様なほど着心地が良く、その生地の質感は全く未体験のものだった。およそ値段の予測も付けられぬほど上質な絹と精緻な刺繍が施された袖を眺めながら、この屋敷の主の身分を推察しようとしたが、結局怖くてやめてしまった。

 こんなものを着ねばならぬ身分の人なんて、この国に何人もいるものか。


 廊下の最奥部、突き当たりには大きな両開きの扉があり、私たちはその横にある小さな部屋へと案内された。恐らく面積だけであれば先ほど私たちが通された部屋よりも広いのだが、部屋中ところ狭しと並べられた木簡や竹簡の山がその面積を大きく狭めている。早朝の部屋はまだ夜の名残が残っていて、やや薄暗い。先ほどの男が室内にある蝋燭を何本も灯し、やっとハッキリと部屋の全貌が見えたくらいだ。

 ふと、部屋の奥に置かれた机の上を見ると、真新しい紙が広げられ、そこにはびっしりと漢字が並べられている。紙なんて高級品、私の実家でも滅多に扱わない代物だ。

「主は間もなくいらっしゃいますので、今しばらくお待ちください」

 そう言って男が部屋を退室すると、一瞬の静寂の後、机の横にあった引き戸が開く。

 私は反射的に居住まいを正し、跪き、頭を下げ、拱手の形を作った両手を頭の上まで上げた。入って来た人物が腰を下ろしたことを音で判断し、私は感謝の言葉を並べ立てた。

「この度は、私どもをお助け頂き誠にありがとうございました。私は青覧より参りました辛孔と申します。華河へ参る途中で賊にかどわかされ、このまま慰み者になるよりはと、一時は自ら命を絶つ事さえ考えましたが、貴方様のお力により、こうして生きながらえる事ができました。このご恩、如何にしてお返ししようとも、返しきれるものではございません」

 そこまで言ったところで、低い男の声が私の言を遮った。

「礼は良い。二人とも、面を上げろ」

 落ち着き払ったその声は、独特の張りと威厳を持っていて、彼の位の高さを物語っているように感じた。私はゆっくりと両手を下ろして顔を上げ、正面上座に座るその人物の顔を見た。

 若い。そしてそれ以上に、見たこともないような容姿をしていた。


 あまりにも美しすぎる。


 鋭い切れ長の目の奥で光る瞳は真珠のように輝き、細く流れるような輪郭は、特級の工芸品を思わせる。鼻筋はするりと真下へ流れ、やや薄い唇も健康な桃色だ。

 全体的に酷薄そうな顔立ちであるものの、その整いすぎた顔つきは、宝珠を散りばめた刀剣のようだと思った。

 長い長い黒髪のてっぺんに鎮座する冠の飾りが、朝日を反射してちらちらと煌めいるのが全く嫌味にならない。彼が着物の襟を正す。その大きく節くれだった手はまるで鷲のようだ。年齢は20代半ばといったところか。

 そしてそこで初めて、入室してきたのが彼を含めて3人だと気がついた。正面に座る男性の後方に二人の男が立っている。

 左隣に立っているのは昨夜私に手を差し伸べてくれた男だ。宵闇の中でも歳若く感じた顔立ちを改めてみると、それは歳若いというよりも幼さを感じさせる。涼やかな目元に長い睫毛、やや栗毛がかった長髪は清流のように流れ、その細い首と相まって少女のようにも見えた。

 対して右に立つ偉丈夫は、恐らくメイの胸倉を掴んだあの男であろう。男は先の二人とは違い短髪で、その艶やかな黒は黒曜石を思わせる。意志の強そうな目は猛禽類の光を宿し、憮然とした表情をしながらも、その凛々しい顔立ちは僅かたりとも崩れていない。三人とも平服(それも金満家の礼服を更にに上回るような生地に見える)を着ているが、彼の身体は服の上からでも分かるほど筋肉質で、その雄大さは獅子を思わせる。

 怜悧な男、麗しき男、猛き男。三者三様、それぞれ違うが、その整った顔立ちと鋭い目元は共通しており、彼らの中に何らかの血縁関係を感じた。


「どうした。面を上げよ」

 中央に座る男の鋭い瞳が、私の隣に座るメイを射抜く。メイは拱手・平伏の姿勢のままであったが、ゆっくりとその構えを解いて顔を上げた。その瞬間、男達の顔がありありと色めくのが見えた。

「似ている」

 中央の男が小さく呟く。

「なあ、ホントにアイツは寝所にいたんだよな」

「いたと言っただろう。眠りこけていたところを無理やり起こしたから、私の手を引っ掻いてきたんだ。そんな女、アイツしかおるまい」

「ではやはり」

「そうなるな」

 男達が小声で話をしている。やはりメイは誰かと勘違いされていたらしい。

「貴様、名は」

 メイは、中央に座った男を見つめたまま黙している。

「どうした、名乗れぬか。まさか名無しではあるまい」

「おい、てめえ、どういうつもりだ」

 中央の男に続いて隣の偉丈夫が威圧する。私はメイの顔を伺うが、彼女の瞳には何か迷いとともに獰猛な光が見えた。

「メイ?」

 私が声をかけた瞬間、彼女は意を決したように立ち上がり、一歩前へ出て再度跪いた。彼女の突然の行動に、偉丈夫は腰に差した剣の柄を握るが、メイは再度拱手をして、ハッキリとこう告げた。



「私は姓を楊、名を瑾、字を明と申します。私は…………これより南方、【仁覇】の大将軍、楊当の娘にございます」

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