三人の男と、父一人①
私はひりひりと痛む頬を擦りながら、東から上らんとする陽光を見つめていた。もっともそこは外では無く、また部屋の中であった。しかし、昨夜の薄汚れた小屋とは似ても似つかない、そこはよく磨かれた板敷きの床に、恐ろしく丁寧に清掃された広い部屋。その部屋の引き戸を開けて紺碧の空を見つめていると、眼前に鏡のように煌めく剣の刃が差し出された。
「何か」
扉の向こう、こちらからは死角になる位置に立つ男が、低く威圧するような声でこちらを制してくる。私は一言「朝ですから、空気の入れ替えを」と言うが、彼はとってつけたような謝罪を口にした後、
「申し訳ございませんが、お二人を部屋から出さず、ひと目に触れさせぬようにと仰せつかっておりますので」
と言った。
引き戸を閉めて振り返ると、壁にもたれかかったまま眠っていたメイがゆっくりと大きな瞼を開く。
「ん、何かあった?」
彼女は瞼を半分だけ開いたまま、やや首を傾げている。その顔には深い疲労の色が見えるが、幸いそれ以外に体調が悪い様子は無い。
それにしても強い人だ。昨日の大立ち回りもそうだが、あれだけの事があった後なのに、僅かな時間で眠りに入り即座に目覚める事が出来る。
慣れている。
そう思わざるを得ないのだが、昨日馬車で自分の出自を語りたがらなかった彼女には、どんな過去があるのだろうか。
「いえ、外の様子が気になって」
「何か分かったことある?」
「いいえ、ただ、単なるお金持ちの邸宅、という訳では無いようですね」
昨夜、賊の集落から助け出された私たちは、馬車に乗せられこの家に連れてこられたのだが、どうやらここは首都・華河の一角、それもかなり奥の方らしい。
周りを武装した屈強な男達に囲まれてこの部屋に通されたため、周囲の様子を窺う事はあまり出来なかったのだが、家の門は見上げるほど大きく、それを潜ってからも随分と歩かされた。塀の高さや目の端に映った調度品の数々を見る限り、恐らくこの館の主は樊の高官、それも相当高位の人物だろう。
だとしても、私たちがここに連れてこられた理由はよく分からない。
確かに私の実家は地元では大店だし、嫁ぐ予定だった家もかなり大きな店ではある。しかし、高官の娘や大金持ちのご息女ならともかく、単なる町娘同然の私を救うために数十人の兵隊を派遣するとは思えない。まして私たちは誘拐されたその日のうちに助け出されているのだから、余りにも行動が早すぎるではないか。
偶然?それにしては出来すぎてる気もするけど。だとすれば――
私はメイを見る。
彼女は眠たげに、高い位置に穿たれた採光用の窓を見上げている。
私たちを助けてくれたあの二人の青年、いや、私に手を差し伸べてくれた方は少年だっただろうか。二人とも、メイの顔を見て驚いているようだった。
「どうやって抜け出した!?」「何故あんな賊に捕まっていたのですか?」
「人を馬鹿にすんのもいい加減にしろ」「いい加減にしてください"あねうえ”」
そう、確かに彼はメイを「あね」と呼んでいた。しかし、メイは二人を知らないようで、いったい何を言ってるのか、そちらは何者なのかと逆に問いただしていたのだから、やはり他人同士であるはずだ。
人違い?
だとしても彼らの驚き方は尋常でないように見えた。「呼ばれるまでここに居ろ」と大柄な方の男が命じられたが、彼らが来るまでは何も分からないという事か。
ふと、視線に気づく。思案に耽る私の顔を、寝ぼけ眼のメイが見つめているようだ。彼女はこちらをじっと見たまま、弛緩した笑みを浮かべている。
「頭、使ってるね」
彼女は昨夜私が言った事が気に入ったらしい。
「ええ、私にはこれしかありませんから」
微笑み返す私、それを満足そうに受け取るメイ。まだ出会って1日しか経っていないというのに、もう半年は一緒に旅をしたような気分になる。
くすくすと笑う私とメイ。そこに、遠くから足音が近づいてくる。それは板敷きの床をスルスルと撫でるような足音で、恐らく例の二人の男では無いだろう。
二人とも一瞬で口をつむぎ、戸の方へ顔を向けて、近づく足音に身構えた。
引き戸の前から声がする。
「おはようございます。お二方とも、起きていらっしゃいますでしょうか」
その声は中年の男性だった。
メイが身なりを整えたのを確認してから、「開けて頂いても構いません」と応えると、引き戸がゆっくりを開いていく。
男性は両手を胸の前に合わせ、拱手の向こう側からじろりとコチラを見つめた。目じりに皺の目立つ両目が私たちの間を二度行きかってから、彼は「我が主がお呼びでございます」と低い声で告げた。言葉の裏に有無を言わさぬ鋭さを感じたが、自分達が置かれている状況を理解するためにも、"主"とやらへの謁見は願っても無い事だった。
「まずは、こちらのお着物に着替えていただきます」
男がそう言うと、横から侍女らしき女たちが4人、それぞれ着物を手にしながら現れた。男の「終わりましたらお連れ致します」という一言とともに戸は閉められ、私とメイはあれよあれよと言う間に、裸にされていた。
同性同士とはいえこうも突然だと、多少なりと恥ずかしい気持ちが湧いてくるものなのだが、一方でメイは不機嫌そうに眉をしかめながらも、侍女たちにされるがまま、どんどんと着付けを進めている。不思議とその所作は自然で、袖を通す、向きを変える、といった仕草も、言われるよりも先に行っているようだ。
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