パート2: 思い出した最悪の始まり

「――王都からの永久追放を命ずる!」


王太子の声が、頭の中で不快に響く。

追放? 俺が? なんで?

理解できない現実が、脳を殴りつけたような衝撃を与えた。


ぐらり、と視界が揺れる。

謁見の間の豪華な装飾が歪み、人々の顔がノイズ混じりに見えた。

耳鳴りがひどい。


(なんだ…これ…?)


意識が急速に遠のいていく。

まるで、深い水底に沈んでいくような…。


---


気がつくと、俺は見慣れた安っぽいアパートの一室にいた。

いや、『俺』は、スーツ姿でパソコンの前に座っていた。


(あれ…? 俺は…誰だ…?)


そうだ、俺は確か、しがないブラック企業の社畜、田中 健太(たなか けんた)。三十路手前。

趣味はネット小説を読むこと。特に異世界転生モノが好きだった。


「あー…異世界でスローライフしてぇ…」


それが口癖だった。毎日毎日、サービス残業とパワハラに耐えながら、そう呟いていた。


そして、あの日。

終電間際の駅のホーム。疲れ切ってふらついた俺は、迫ってくる電車のライトに目を焼かれ――そこで記憶は途切れている。


(ああ、俺、死んだのか…)


妙に冷静に、自分の死を認識した。

魂が体から、ふわりと抜けるような感覚があった。


---


次の瞬間、俺は白い空間に立っていた。

目の前には、銀行の窓口か、役所のカウンターのようなものがある。

『転生総合受付』と書かれた看板。

周囲には、半透明の人型の光――魂、なんだろう――がたくさんいて、それぞれの窓口に並んでいる。やけに生活感のある光景だ。


「えー、田中健太様ですね? 現世での善行ポイントが基準値を大幅に上回っておりますので、『優良転生者様』コースにご案内いたします」


受付の天使っぽいお姉さんが、マニュアル通りの笑顔で説明してくれた。

なんか、特典があるらしい。ラッキー。

俺は指定された『優良転生者様』と書かれた札のある列に並んだ。


俺の前に並んでいたのは、キラキラしたオーラを放つ女の子の魂だった。


「それでですね! 私、乙女ゲームの悪役令嬢物が大好きなんです! できれば、一番好きなゲームの世界に転生して、破滅フラグをバキバキにへし折りたいんです! スキルは、何かと便利な回復系がいいなぁって! 万能そうなやつ!」


すげぇ熱量だな…。

担当者は若干引き気味に、「は、はい…回復スキル、ですね…」とメモを取り、彼女の書類を受理した。


(うわー…悪役令嬢とか絶対面倒くさいじゃん…)


俺は内心でドン引きしていた。

破滅フラグ回避とか、死亡エンド確定演出みたいなもんじゃないか。

それに、ヒロインとか王太子とか、絶対厄介な奴らばっかりだろ。


やがて俺の番が来た。


「えっと、俺は…そうだな、辺境の村とかで、誰にも干渉されずにのんびり暮らしたいです。スキルは…なんか物作りできるやつがいい。便利な道具とか作って、静かに暮らしたいんで。…工作スキル、とかあります?」


担当者は相変わらず疲れた顔で、「工作スキル…辺境スローライフ…はい」と、渡された用紙に俺が書き込んだ希望を確認し、ポンと受領印を押して、書類の山に加えた。


「はい、手続き完了です」


よし、これで俺の理想のセカンドライフが始まる…!

そう思って列から離れ、安堵の息をついた、まさにその時だった。


「キャー! 書類が飛んでくー!」

「あれ!? 山田さんどこ行った!?」

「こっちのデータもおかしいぞ!」


俺がさっきまでいた受付カウンター周辺が、突然、大混乱に陥ったのだ。

提出されたばかりの書類の束が竜巻のように舞い上がり、天使たちが右往左往している。


「うわ、なんだこの職場…大丈夫かよ…」


俺は呆れて呟いた。

まあ、俺の手続きはもう終わったし、関係ないか。


すると、別の係員がやってきて、俺を促した。


「田中様、お手続きは完了しておりますので、あちらの転生ゲートへお進みください」


示された先には、エレベーターのような銀色の扉があった。

俺は軽く頷き、混乱する受付を背にしてゲートへと向かった。


扉が開き、中に入る。内側はただ白い空間だった。

扉が静かに閉まると、まばゆい光が俺の魂を包み込んだ。


(さらば、ブラック企業…俺の新しい人生が始まる…!)


希望に満ちた、最後の思考。


---


「――ッ!!」


ハッと我に返ると、俺は謁見の間の冷たい床に膝をついていた。

周囲の貴族たちが、何事かと俺を見ている。


混乱していた頭の中で、全ての記憶が一気に蘇る。

前世の社畜生活。駅のホームでの死。

天界の、あの市役所みたいな受付。

悪役令嬢になりたがっていた女の子。

俺が提出した「工作スキルで辺境スローライフ」の希望書類。

そして、書類を提出した直後に起こった、あの受付の大混乱――。


全てのピースが、最悪の形で繋がった。


(まさか…!! あの時のドタバタで…!? 俺が提出した書類と、あの悪役令嬢希望の女の子の書類が、入れ替わったのか!?)


だから俺が、このクソッタレな乙女ゲームの、悪役令息アルト・フォン・アストレアに!?

スキルが、希望した工作スキルじゃなくて、【万能治癒】!? あの女の子が希望したやつじゃねえか!


(じゃあ、あの女は今頃、俺が望んだ工作スキルで、辺境でのんびりスローライフを送ってるってことか!? ふざけんなああああああ!!!! 俺の夢を返しやがれええええ!!!)


今まで自分が転生者だと気づかなかったのは、転生時のショックのせいだろう。

それが、この追放宣告という強烈な衝撃で、忌々しい記憶と共にこじ開けられた。


最悪の形で、最悪のタイミングで!


(俺のスローライフ計画…開始前に、完膚なきまでに詰んでたのかよ…!)


俺は、こみ上げてくる絶望と、天界のクソ担当者どもへの殺意にも似た激しい怒りに、奥歯をギリリと噛み締めた。

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