第34話 矛盾

【芹夏side】


 同じ列の後ろにこっそり視線を向ける。

 そこにいるのは幼なじみのユキで、隣には横川くん、そして齋藤衣乃がいる。

 ユキは二人と話しながら楽しそうに笑っていた。いつからか私や大毅の前では見せなくなった、心の底からの笑顔。

 私と大毅がユキから消してしまったものが齋藤衣乃たちによって戻っていくのを見るたび、どれだけのことをしてきたのか思い知らされる。


 私たちが関わらなければ、ユキは前みたいに自然に笑える。

 だから助けなんて求めちゃいけない。そんな資格もないのだから。


 視線を前に戻すと、次の競技が始まっていた。その様子をぼんやりと眺める。

 向こうの赤組や同じ白組の生徒たちが響かせる声援がずっと遠くに聞こえた。


 ……虚しくなるだけだってわかってたのに、なんで参加したんだろう。


 ぼんやりとした視界の中に、ふと笑い合う男女が映った。

 赤い鉢巻きをつけた二人が白組の応援席の前を並んで通っていく。彼らのところだけ視界が明瞭になった。


 ––––大毅と、彼の新しい彼女の高木唯花。


「大毅くん、すごくかっこよかったよ!」

「唯花が応援してくれたおかげだよ」

「えっ!私の声、聞こえてたの?」

「ばっちり。彼女の応援だしね」

「そ、そっか……!」


 にこっと笑いかける大毅と、彼の言葉と笑顔に顔を赤らめる高木唯花。

 甘い雰囲気を出しながら恋人になりたての二人が過ぎ去っていく。

 なんとなく目で二人を追っていくと校舎の方へ向かっていた。暑い中にずっといるから校内に避難しに行ったんだろう。わざわざ二人で。

 

 大毅との関係が終わりさえしなければ、何もかも気づかずにいられたら、私は今日をああして過ごしていたはずだった。

 でも私はもう知ってしまった。大毅の隠されたもうひとつの顔と私への気持ちを。私と彼がもうひとりの幼なじみにどれほど酷いことをしてきたのかも。

 何もかもが手遅れでどうしようもない。

 ……ううん、ちがう。もうどうする気も起きないんだ。


 実を結んだと思っていた長年の想いはずっと私の一方通行に過ぎなくて、初恋を捧げた相手はもう私が知っている彼ではなくなっていて。

 二重のショックですっかり頭が回らなくなり、高木唯花への嫉妬も失恋の痛みも感じる余裕がなくなりつつある。


 体操着の半ズボンにぽとりと雫が落ち、丸いシミを作る。

 泣く気力だけはあるのかと微かに笑みを浮かべた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 体育祭前半が終了し、昼休憩がやってきた。

 俺は衣乃さん、洸樹、士朗と一緒に昼を過ごせることになった。三人それぞれと昼を過ごしたことはあったが、たまには四人で過ごしてみたいと思い言ってみたら承諾してもらえたのだ。

 なんとなく複雑そうだった衣乃さんに嫌かと聞けば「これは私の問題だから大丈夫」と返された。どういうことかわからなかったけど、心から嫌と言うわけではないようでほっとした。


「齋藤さん、ちょっといい?」


 少人数へ向かおうとしたとき、ボブヘアの女子が齋藤さんに声をかけてきた。

 クラスメイトで俺や衣乃さんと同じ白組の須貝さんだ。たしか野球部のマネージャーをしているんだっけ。


「これからご飯ってときにごめんなんだけど……。うちの野球部の先輩が齋藤さんと話がしたいって言ってて」


 あそこの、と須貝さんが廊下側の開いている窓を指差す。短く刈り上げた髪に日に焼けた肌といかにもスポーツマンといった男子が立っているのが見えた。

 衣乃さんに気づいたその先輩は、後頭部に手をやりながら高い身長を軽く折った。


「……全然知らない人なんだけど」

「ええと、同じ白組にいた齋藤さんを見かけて気になったんだって。それで話をしてみたいって……」

「それだけで?」

「お願い!先輩もそんなに時間とらせないって言ってたから!」


 わけがわからない、というように首を傾げる衣乃さんに、須貝さんが両手を合わせる。

 衣乃さんは少しだけならと頷き、俺たちに「先に行ってて」と言って野球部の先輩のいる廊下へ向かった。


 ……今のって。


「今の人、ちょっとかっこよくなかった⁈そんな人から呼び出しってさあ……」

「絶対告白でしょ‼︎じゃなきゃおかしいって!」

「しかも今日初めて見た的なこと言ってなかった?」

「それ一目惚れじゃん‼︎やばぁ〜!」


 きゃあっと色めき立つ女子たちが俺が頭に思い浮かべたことを口にする。

 誰の目から見ても、そうなるよな。


「ゆっきー、行こ」

「……あ、うん」


 その場に立ちつくしていた俺は士朗に促され、すぐに二人の後を追った。

 少人数に入ってからも、開いた窓から見えた野球部の先輩と衣乃さんが向かい合う光景が頭から離れなかった。

 喉に魚の骨が刺さったときのような、些細だけれどたしかな不快感がゆっくりと胸に巣食っていく。


「さっきの呼び出しさあ、本当に告白だと思う?」

「あり得なくはないけど……。全く面識のない相手から好きとか言われても困るだろうし、せいぜい連絡先交換くらいじゃない?まずは自分を知ってもらおー的な」

「相手によっちゃキモがられるんじゃね?まああっちは鍛えてる感じもあってモテそうだし、他の女子ならいけるかもだけど……あの齋藤だぞ?」

「興味ない、でばっさり切り捨てるに賭ける」

「絶対零度の目でキモい、だな。どっちか外れたら飲み物奢りで」

「乗った」


 先ほどのことに関心があったらしい二人の会話は次第に賭け事になっていた。

 衣乃さんに知られたら雷ならぬ氷柱つららでも落とされそうな内容だったが、洸樹と士朗の緩い空気感が胸中に広がるモヤモヤを少し薄めさせてくれる気がして、今はありがたい。

 俺が今ひとりだけでいたなら、確実に猫動画に逃げていただろう。


「––––で、ゆっきーさんよ」

「行人さんよ」


 士朗と洸樹が揃ってこちらに顔を向けてくる。

 その目が怪しげに光っているのを見て、なんとなく嫌な予感がした。


「齋藤、告白されるかもしれないけど。そこんとこどうなの?」

「さっきから何も反応してないけど、まさかどうでもいいなんてこと……」

「どうでもよくなんか……っ!……ない、よ」


 思わず過剰に反応してしまう。咄嗟に声量を抑えるももう遅い。


「ふぅ〜〜〜〜〜ん?」

「へえ〜〜〜〜〜?」


 ニヨニヨと笑みを浮かべながら俺を見てくる二人に、頬がかあっと熱くなる。

 衣乃さんに対して俺が特別な想いを抱いていることを、彼らは知っている。直接聞いたことはないがなんとなくわかる。

 衣乃さんが男に、しかも先輩のところに行くのを見て俺がどう思ったのか。

 二人の好奇心がそそられないわけがなく、ふざけ半分の会話を続けるだけと思っていた俺は完全に油断した。


 ……この際だし、もう言ってしまおう。

 観念した俺は頬の熱を誤魔化すように息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。


「そりゃ、気が気じゃないよ。もう「友達」として見られなくなった人が、告白されるかもしれないなんて。……でも、衣乃さんは前から人気があったし、いつ誰と付き合ったっておかしくないんだよな」


 学年の中でもトップレベルの愛くるしい容姿で、気まぐれで予想がつかない言動で周囲を振り回す。そんな彼女が魅力的に映る人間が数多いる中、自分はそのひとりでしかない。とっくにわかっていたことだ。

 最近は彼女を下の名前で呼ばせてもらえて、距離をかなり近く感じるのが当たり前になっていて忘れていた。


 本来ならば俺のようにこれといった特徴がひとつもない人間と関わることはなかった。たまたま猫が好きという共通点を見つけて、運良くここまで親しくなれただけ。

 温かい光のような彼女のそばにいたい、なんて。一瞬でもこれ以上を望むなんて愚かにもほどがある。


「あんなに素敵な人が俺なんかと仲良くしてくれるだけで十分だって思わなきゃいけないのは、わかってるんだけど」


 胸を刺す感情を飲み込み、笑みを作る。きっとぎこちないものになっていただろう。


「そんなこと……っ」


 洸樹が微かに眉を寄せ、士朗が何かを言いかけたときだった。

 少人数の戸が開き、小さな少女がこちらにやってきた。


「お待たせ」

「話、終わったの?」

「うん。大したことない話だった」


 無感情に言いながら衣乃さんが俺の右隣の席に座る。

 彼女にとっては大したことのない話でも、そこに俺にとって重要なことがあるような気がしてならない。けれど、どんな話をしていたのかと訊ねられるほどの勇気が足りなかった。

 聞きたいのに聞きたくない。知りたいのに知りたくない。

 矛盾する思いが心のもやを濃くしていく。


 衣乃さんが「友達」として仲良くしてくれるだけで充分。

 そう思わなければいけない。


 友達の前でああ言っておきながら実際はそれとは全くかけ離れている。

 我ながらあまりにも滑稽で、心の中で自嘲した。




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