第2話 黄泉の国で料理をしよう

 古風な見た目の食堂の引き戸を、イザナミは音もなくスっと引き開いた。

 建物の中に入ると、薄暗い室内に木の机と椅子が並んでいる。カウンターもある。カウンターの向こう側は厨房らしい。よく見る町中華の店のようなつくりになっていた。

 そして、食堂には奇妙な組み合わせの客が座っていた。

 カウンターの一番奥には、老人風の男性。武士のような、着物と袴姿で腰には大小の刀をぶら下げている。その隣には女子高生。スマホをいじって貧乏ゆすりしている。もう1人はカウンターの下に隠れている小さな男の子。

 3人はカウンターに並んでいるのだが、身体がうっすら透けている。透けて向こう側が見えているのだ。


(うわ、幽霊だ! 3人も!)

 太郎は心臓が止まりそうになり、思わず「ひぃ!」と小さな悲鳴を上げて飛び上がった。

「静かに」イザナミが振り返り、鋭い目で睨む。

「ここで働くんだ。いいか、お前が怖いのは、何も知らないからだ。料理を覚えれば味がわかる。そして恐怖も消える」

(働く? 料理? 俺、包丁すらまともに持ったことないのに!)

 イザナミは太郎に有無を言わせない圧で言い切ると、カウンターの奥の厨房に入った。

「新人君なんだぁ。よろしくね」

 スマホから顔を上げた女子高生が、太郎に声をかける。

 うっすら透けてはいるのだけれど、健康そうな肌にショートボブの髪型がよく似合っているのは分かる。

(うわぁ、俺、幽霊に声かけられちゃったよ)

 太郎は絶望的な気分になったが、イザナミの圧倒的な存在感に拒否することもできず、仕方なく頷き後を追った。


 厨房に入ると、奇妙なものが調理台に並べられていた。

 霧のようなものが入った瓶詰め、高麗人参のような黒い根っこ、灯されたろうそくの周りを漂う火の粉。灯されたろうそくが明るく見えるほど、店内が薄暗いのだと太郎はようやく気がついた。

 厨房の奥で待っていたイザナミが、瓶詰めを手に取った。

「これは『記憶の霧』。黄泉の国を漂っている霧から凝縮したエキスで、魂の過去の断片を呼び覚ます」

「これって……もしかして料理の材料ですか」

「そうだ。そして、この黒いのは『未練の根』地中深くから掘って取る根っこで、魂の執着や後悔を象徴している。苦味が強いが、調理次第で甘みや温かみに変わる」

「……はぁ」

「そして、この火の粉が『魂の灯火』。灯籠の火から抽出したもので、希望や光を与える」

「この材料って、売ってるんですか?」

「いや。私がそこら中から集めてきた」

 太郎は頭の中で、失敗した時のことを考えていた。高価な食材を無駄にしたら、何をされるかわかったものじゃない、と。しかし、聞いてみればどうやらその辺にあるものらしく、失敗して食材を無駄にしても、許してもらえそうだと分かった。


 ほら、とイザナミから手渡されてしまっては受け取るしかできず、太郎はこわごわと瓶の中身を確認した。

(これが記憶の霧)

 霧と言われると白っぽいものを想像するが、瓶の中で渦巻いているのは黒っぽい薄墨のようなものだった。

(こんなもので料理なんて作れるのかなぁ。記憶の霧って、どんな味なんだよ)

 受け入れたくはないが、どうやら自分は死んでいるらしいという実感が、不思議な材料達を見ているうちに、太郎の心に積もっていく。どう考えても、現実的な料理の材料ではないから。

 記憶の霧が詰まった瓶を、太郎はぼんやりと眺めた。

 薄墨のような霧が形を変え、誰かの顔に見えた。自分の顔のようでもあるし、家族の誰かの顔のようでもある。

 死んだらスライムに転生したかったな、などと太郎は妄想した。異世界に転生して、アニメのような愉快な冒険をして、ちょっとした有名人になって……。なのに、自分は黄泉の国に到着してしまった。何をやっても中途半端、生きている間と変わることもなく流されるように。


「……はぁ」

 太郎がため息を吐いたその時、手の中にあった瓶がつるりと滑り落ちて、食堂の床に落下した。ぱりん、とガラスが砕ける音。

「うわぁ、ご、ごめんなさぁい!」

 瓶の中に閉じ込められていた霧が、もわもわと部屋中に広がった。

「霧風呂みたいで、なんだか気持ちが良いな」老幽霊は、頭の上に手ぬぐいを乗せた。

「ミストシャワーじゃん、映えるぅ」女子高生幽霊は、スマホでバシャバシャ写真を撮っている。

 カウンターの下では、子供の幽霊が何かを捕まえるように両手をたたき合わせている。

 太郎も広がる霧を捕まえようと両手を伸ばしたが、実体のない霧を捕まえられるはずもなく、ただ顔を真っ赤にして焦り散らかしている。


「戻れ!」

 凜々しいイザナミの声が響いた。

 新しい瓶を持つ彼女のもとへ、声を合図にしゅわわと霧が集まっていく。カポンと音を立てて蓋が閉められた。

「次はもっと慎重に扱え」

「は、はい……」

「お前、料理のことをナメてるだろう」

「そ、そんなことは……ない……です」

 窄まる語尾と共に、太郎は肩を狭めた。

「それか、あれか。お前まさかドジっこか?」

 へ? と顔を上げた太郎を、女子高生の幽霊が甲高い声を上げて笑った。

「まじウケる~。アタシより年上っぽいおじさんが、ドジっこだって」

「……勘弁してくださいよ」

 おじさんはない。まだ……いや、多分、20代のはずだ。

「太郎、聞け」

「はいっ」

 イザナミが話を始めると、幽霊達も息を詰めた。


「食事には魂を縛る力があるんだ。軽々しく扱うな」

 魂を縛る。太郎にはそれが具体的にどういうものなのか理解できなかったが、とりあえず頷いた。

「この食堂で出す料理は、魂の持つ未練や願いに寄り添うものでなければいけない。魂の願いが叶えば、ようやく成仏できるのだ。太郎、お前は幽霊が怖いのだろう?」

 幽霊本人達を前にしてなかなか答えにくい質問ではあったが、小さく首を縦に振った。

「成仏しなければ魂は増える一方。お前が怖いと思っているものが増えるんだ。それなら、お前が魂を救う料理を作って、減らしたほうがいいとは思わんか?」

 なるほど、と納得できるところもあれば、腑に落ちない部分もあるイザナミの説明に、太郎は首を傾げたままだ。

「とにかく、お前はここで料理を作れ!」

 イザナミの言葉を合図に、老幽霊が「スープを頼む。家族に謝罪をしたいんだ!」と大声で叫び、女子高生が「デザート! インスタ映えするやつ!」と続いた。子供幽霊はカウンターの下から顔を出し、「おやつ! でもいたずらが入ってるやつ!」とニヤリと笑った。


 太郎は頭を抱えた。

(死んだってのに、こんな地獄が待ってるなんて……。でも逃げられないよな。だって俺、死んでるんだもん)

 彼は深呼吸し、震える手で材料に手を伸ばした。

 イザナミが後ろから「失敗したら魂が腐るからな」とつぶやき、太郎は「え? 魂が腐るってマジで!?」と叫びながら、厨房での最初の戦いが始まった。

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