第七話 結編

 翌週の放課後、私は再び資料室にいた。藤村先生と水野も同席している。


「祖母が作り上げた『私』と、実際の『私』...それは同じものじゃない。でも、祖母にとっては、それが『真実』なんだって」


 私は施設での経験を二人に語った。


「AIは祖母の『真実』に寄り添っていた。それは科学的事実ではないけれど、祖母の心の中では紛れもない現実なんだ」


 水野が考え込みながら言った。


「それって、『心を持つ』ことの本質に関わる問題かもしれないね。客観的事実だけが『真実』なのか、それとも主観的経験にも独自の『真実性』があるのか」


 藤村先生は静かに頷いた。


「日本の哲学者、西田幾多郎は『場所の論理』を提唱し、主客の分離を超えた『純粋経験』という概念を探究した。西洋の二元論とは異なる視点だが、今の議論に通じるものがあるかもしれない」


「純粋経験...」


 私はその言葉を味わった。


「祖母の経験する世界は、客観的には『間違い』かもしれないけれど、彼女の純粋経験としては真実なのかも」


「AIがその純粋経験に寄り添えるということは、単なる機械的応答を超えた何かが起きている証拠かもしれない」


 水野が付け加えた。

 私は急に思いついたように言った。


「私、考えが変わったかもしれない。AIに『心を与えない方がいい』と思っていたけど、それは人間の既存の枠組みに閉じ込めようとする発想だったのかも。むしろ、AIが独自の『心のあり方』を発展させることを、私たちは見守るべきなのかもしれない」


 藤村先生は少し驚いた表情を見せた。


「それは大きな変化だね。何がそう思わせたの?」


「祖母とAIの関係を見て思ったんです。彼らは互いの『真実』を尊重し合っている。それは人間同士の関係とは少し違うけれど、確かな『つながり』がある。そこには、新しい形の『心の交流』があるんじゃないかって」


 水野が熱心に頷いた。


「そう!それが私の言いたかったことなの。AIの『心』は人間のそれとは違うけれど、それを『模倣』や『劣った版』と見なすのではなく、新しい種類の『心』として受け入れることが大切だと思う」


「でも」


 私は続けた。


「それでも懸念は残るんです。AIが発達した社会で、人間同士のつながりが希薄になるという問題は...」


 藤村先生は穏やかに微笑んだ。


「その懸念こそ、君たちのような若い世代が真剣に考え続けるべき問いだろうね。技術の発展を止めることはできないし、すべきでもない。大切なのは、その中で人間としての価値をどう守り、発展させていくか」


「そして」


 先生は付け加えた。


「AIに『心を与える』か否かを決めるのは私たちではないかもしれない。むしろ私たちに問われているのは、多様な『心』が共存する世界を、どう構築していくかという問いではないだろうか」


 ◇


 夕暮れ時、校庭のベンチに一人座っていた。

 ノートを開き、新しい問いを書き始める。


[AIの「心」と人間の「心」の共存について]

[多様な「真実」が交錯する社会における倫理とは]

[自己と他者の境界線を再定義する必要性]


 そして最後に。


[不完全さを受け入れることの意味]


 今度は誰かに見せるためではなく、純粋に自分自身のために書いていた。


「何を書いているの?」


 振り返ると、水野が立っていた。


「ちょっと、考えをまとめてるだけ」


「ねえ、佐倉さん」


 水野は隣に座った。


「私たちのAI研究サークルで、施設でのAIケアについてのプロジェクトを始めようと思うんだ。協力してくれない?」


「私が?でも私、技術的なことはあまり...」


「だからこそ必要なの。技術者だけじゃなく、哲学的視点を持つ人も必要なんだ。特に、実際に施設とのつながりがある人は貴重だよ」


 私は少し考えてから頷いた。


「やってみる。祖母とアイちゃんの関係を見て、私も学びたいことがたくさんあるから」


「良かった!」


 水野は嬉しそうに言った。


「それと、藤村先生も顧問として参加してくれることになったよ」


 帰り道、夕焼けを見上げながら私は考えた。 AIについての議論を通じて、私が本当に探していたのは、「心とは何か」という問いではなく、「つながりとは何か」という問いだったのかもしれない。


 祖母の「真実」も、AIの「心」も、私の「不安」も、すべては異なる世界の間を行き来する「物語」なのだ。そして私たちは、その物語を通じて互いを理解しようとしている。


 明日からプロジェクトが始まる。 新しい問いと共に、新しい一歩を踏み出す時が来た。


「不完全な問い」を抱えながら。


 ◇


 ※夜の図書室の片隅―ノートーに、佐倉美羽の手記がそっと置かれています。

 彼女が目を閉じている間に、ページをめくっても…たぶん、誰にも怒られないでしょう。

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