第8話 矜持、定宿

 受付で手続きを済ませ、順に隊員を見舞っていく。神霊獣とはいえ狼であるシロは病院には入れずに車で留守番をしていた。

 ほとんどの者が軽傷であり検査入院であるためか、怪我の具合と気軽な雑談に興じただけだった。だが、やはりどの隊員も御剣優佳大尉の殉職に触れると顔を曇らせる。それだけ優佳の人柄の大きさがうかがい知れた。

 そうして最後に、重傷であり御剣優佳の妹でもある愛佳の病室へと向かう。有馬第四部隊長として、そして長年優佳と組んだ者としてどれほど後回しにしようとも逃れられぬ責務がそこにある。


 ノックして扉を開くと、憔悴した顔の愛佳がベッドの上で半身を起こしていた。医者によると袈裟懸けに斬られたらしいが、間一髪の所で致命傷を避けたらしい。その辺りは、さすが近衛衛士といった所か。

 ただ、縫い合わせたとはいえ傷口は大きかったし、大量に輸血も行っていた。本来なら、寝ているべき傷だ。


「具合はどうだ? 御剣少尉。無理をせず、横になっていいぞ」

「隊長……大丈夫です。ええ、事務仕事なら明日にでも復帰できますから」


 そう強がってみせてはいるが、顔色は真っ青だった。あるいはこれから告げられる事実を予感しているからだろうか。


「強がらなくていい。今回の件は予想外だった。全快になるまで療養してていい」

「いえ、そういうわけにもいきません。姉は死んだのでしょう?」


 核心を突かれて由貴の身体が強ばった。その反応だけで愛佳は全てを察したようだった。

 すまない、と思わず出かけた謝罪の言葉を飲み込む。近衛の隊長として、由貴にはそれを口に出すことはできない。


 たとえ間違った命令にせよ、部下を死地に追い込むことがあるのが軍隊だ。ゆえに軍隊では苛烈なまでの上下関係が形成される。上の命令に、従わせるために。今謝れば、その大前提が崩れてしまう。自分の命令で優佳が戦闘に赴き、死んだのだとしても。

 それは軍組織に属する者として、決してやってはいけないことだった。


「ああ。御剣優佳大尉は戦死した。追って二階級特進となり、中佐となる」


 事実のみを告げた。その言葉を、御剣愛佳は唇を噛み締めて聞いていた。そこだけはぎらぎらと衰えることのない眼光をこちらに向け、喉から絞り出すような声で訴えてくる。


「医者から退院許可をもらいます。私も専従捜査に加えて下さい」

「駄目だ。俺は今、ヴァリターナ皇国の百翼騎士であるアルテミシア・ル・ヴァナ・カリファート氏と組んでいる。犯人がヴァリターナ人であり、彼女の協力が得られている今、専従の人員を増やすことにさして意味はない。補佐の人員も間に合っている。ましてや君は重傷だ」

「姉を殺されてこのまま病院で寝ているだけなんてできません。私は全てが姉に負けていました。姉は私の女としての憧れであり、超えるべき壁であり、愛すべき家族でした。私は近衛です。近衛少尉、御剣愛佳なんです。そして誰からも愛されていた御剣優佳という衛士の妹なんです。どうかお願いします! どうか!」


 哀切の訴えだった。姉を殺された怒りと、近衛として失態を犯した自噴、一人の人間としての矜持が由貴に叩きつけられていた。その苛烈さは数瞬、由貴を沈黙させた。

 一歩引いた位置で眺めていたアルテミシアが神妙な顔で愛佳を見ている。それは他人の激昂に立ち会った人間という以上のなにかが含まれていた。だが、背を向けている由貴はそれに気付かない。


「私の剣術がもっと強ければ、姉は死なずに済んだかもしれない。私がもっと上手く指揮していれば姉は死なずに済んだのかもしれない。私は自分の力不足が悔しい! 姉の仇を討ちたいんです! お願いします!」


 近衛らしく、病床からでも折り目正しい礼を捧げる。迷った時の癖で、由貴がこめかみを親指で揉みほぐすように押しつけた。どうしたものか、なにを言うべきか、頭の中を言葉がぐるぐると巡る。


「有馬大尉、参加させてはどうだろうか。犯罪捜査に手はいくらあっても足りないはずだ。適材適所という言葉の通り、今の彼女に適切な役を与えるのも隊長の役目だろう? それに、姉の敵を討ちたいという彼女の心情も汲んでやるべきだと私は思う」


 アルテミシアが意外な所から助け船を出した。病室ではずっと黙していた彼女が初めて発した台詞は、意外なほどに由貴に染み渡っていく。

 先ほどのアルテミシアの顔を見ていれば、由貴がその言葉に含まれるものに気付いただろう。だが、振り向いた由貴はその真意を問うようにわずかに顔を傾けただけだった。


「心情を汲む、か。それは公事に私情を挟むことの危険さを知っての台詞か? それこそ俺や君のような、大きな力を持つ階級が一番留意しなければならないことだろう?」

「もちろんそれは知っている。だが、彼女は私情で暴走するような人間には見えない。先ほど貴公が言った通り、確かにこの事件はヴァリターナ人である我々のせいで起きた。だからこそ、解決の確率が上がるのならどのようなことでも行いたいと思っている。彼女の参加が解決に繋がるのであれば、部外者である私でもそう発言するのが妥当だ」


 正論だった。形式上は客将扱いになるアルテミシアにここまで言われたら、反論はできない。結局、現在の状況と愛佳の状態を勘案して由貴は結論を出した。


「分かった。ともかく今日は休んでおけ。医者の許可が出たのなら、明日から執務室に来たまえ。後方支援と情報統括を命じる。許可が出ることが大前提だぞ。無理をして捜査中に倒れられたら元も子もない」

「はっ、ありがとうございます」


 病床から敬礼を捧げる愛佳に、由貴も答礼する。アルテミシアも手の平を相手に見せるヴァリターナ方式で答礼していた。


「それと、もう一つだけお願いがあるのですが」

「なんだ?」

「姉の大刀を私に頂けないでしょうか?」

「……分かった。手配しておく」


 歯車が回り始めている。それは、御剣優佳の死から回り始めているものだ。連鎖して動き始めたその行く末がどこに辿り着くのか、知るものはまだいない。


     ●   ●   ●


 そこからはせわしなく動き回る一日となった。警察署に寄って未明に捕らえた容疑者の供述を照会し、鞍馬刑事と情報交換を行う。自身の所有する情報ルートも当たり、現場に戻って集めた情報を元に襲撃状況をシロとアルテミシアと検証し、お互いの意見を交わす。一日の最後に天舘に連絡して状況を確認するが、まだ目立った情報は入っていなかった。

 全てが終わり、近衛に戻ってきたのは日もとっぷりと暮れた午後十時過ぎだった。さすがに前日から一睡もしていない由貴は気怠さと疲労が身体の芯まで染み込んでいる。最後の方はハンドルを握る手もおぼつかなくなっていた。


 執務室の机で書類に署名をし終えて、自販機で買った紅茶を一気に飲む。優佳が淹れたものとは比べるべくもないが、多少の眠気覚ましにはなる。

 水分が染み渡るのを感じながら、区切りのように大きく一息をつく。


「今日はもう終わりだ。これ以上の成果はないだろうからな。ミス・カリファートも適当な所で切り上げてホテルに戻るといい。ああ、連絡先を渡しておいてくれ」

「ん……うむ」


 そう告げても、アルテミシアは来客用のソファーでもぞもぞと居心地悪そうに動くだけだった。先ほど渡したヴァリターナ人の出入国記録を机に置き、なにかを言いたげに口をうねうねと波立たせている。胸で光る宝石は薄く黒い色を放っており、出会ってから今まで、良い意味でも悪い意味でも直情的な彼女にしては珍しい仕草だった。


 その様子に怪訝な目を向けて、ようやく由貴はアルテミシアの傍らにあるトランクに気付いた。二つもある大型の物は、ただ近衛に来るだけにしては不要な大荷物だ。

 アルテミシアの様子とその荷物を見て、由貴の頭に閃きがよぎる。


「もしかして、宿を決めずにここに来たのか?」

「今朝この国に到着して、それからすぐに近衛に向かったのだ。そのまま捜査に向かうとは思わなかった」


 どことなく恥ずかしげな仕草でつんと目を閉じた。それにしても来日前に宿ぐらいは決めておくようなものなのだが、これも彼女の世間知らずを証左する一つだろう。

 彼女ほどの貴族ともなれば、普段なら周りの人間が手配してくれることなのだ。


「ふむ……予約なしで今からだと安宿程度しか確保できないぞ。外交権限でヴァリターナ系のホテルにねじ込むことぐらいはできるかもしれんが。有馬にも外資系のホテルは多数あるからな」


 由貴の台詞にアルテミシアはその端麗な顔を曇らせた。自分の失態でわがままにも近い権限を行使するのに抵抗があるのだろう。今日一日の付き合いで由貴はアルテミシアを良くいえば清廉、悪くいえば融通が利かない人間だと認識していた。

 由貴の側に微妙に顔を歪めたシロが寄ってくる。他人には分からないシロの表情だが、由貴にはその機微が理解できる。この顔は由貴を非難している顔だった。

 その頭を撫でて機嫌を取りながら、喉奥でくつくつと笑う。


「まあ、無理矢理ねじ込んだ客が丁重にもてなされるかどうかは知らないが」


 がぶりと、撫でていた手の甲が甘噛みされた。シロの怒りの第二段階である。これが第三段階になると、手加減無しで噛みつかれる。過去に本気で怒らせてしまった時は、今も傷跡が残っているほど強く噛みつかれた。

 ぐううと、まるで狼かのようにアルテミシアが喉奥で唸る。少し考えれば、外交権限で使えるような高級ホテルがそんな不作法をするはずはないのだが、彼女には分からないらしい。その辺りも、彼女の経験不足を露呈していた。


 有馬の神霊力は隠匿を旨とする。ゆえに己の状態、ひいては他人の状態に非常に過敏な一族でもあった。己を消し、他人の動きに敏感だからこそ情報収集に優れ、その網が形成されていったといえる。

 とりわけ、有馬を継ぐために幼少から自己や現状の客観視を行うことが多かった由貴はそれが顕著だった。ふとした会話やきっかけで人の内側を見透かす異様な観察眼に、態度には出さずとも由貴を嫌っている人間もかなりの数で存在している。


(間違いなく百翼騎士の実力を持ちながら、実務以外は世間知らずなお嬢様、か)


 そんな思考を寸断するように、ぎりぎりと手の甲の痛みが冗談にならないほど深くなってきている。シロは単純に、女性であるアルテミシアに便宜を図らないことを怒っているのだろう。

 騎士とはいえ女性であり、このままでは深夜に放り出すということに反発しているのだ。その辺りはシロも女であり、人間社会に深く溶け込んでいる証拠ともいえた。

 その頭に分かっていると撫でてやりながら、やんわりとシロの口から右手を抜く。噛み痕が赤くなっていたが、血が出るほどでもない。


「よければうちに来るか? 客人の一人や二人は泊められる広さはある」


 そう告げると、ヴァリターナ皇国の女騎士は目を丸くしてこちらを見た。申し出への嬉しさとなにがしかの戸惑いがせめぎ合っているらしく、上目遣いにこちらをうかがってくる。胸の宝石は色街の時と同じく、桃色に変化していた。


「その、申し出はありがたいが、未婚の女が男の家に泊まり込むというのは、その」


 なにか誤解されやしないだろうか。そう締めくくったアルテミシアに、今度は由貴が目を丸くした。すぐ側ではシロもぽかんと口を開けている。

 いささか不躾な視線でアルテミシアを眺める。さらさらと流れる金の髪に、涼しげな碧の眼が由貴の顔をじっと見ている。騎士の軍装で分かり辛いが、それでも存在がはっきりと分かる胸が、武芸を修めた者独特のしなやかな体躯をさらに魅力的に彩っていた。


 有り体に言って、美人である。ドレスを着ていたなら、ダンスの誘いは引きもきらないだろう。

 捜査の時は凛としていたが、今はどこか童女のような顔でこちらをうかがっている。おそらく、カリファート家の性教育は閉鎖的であり、ゆえにそういった話になるとアルテミシアはいくらか平静を失うのだろう。そのアンバランスさも含めて、確かに普通の男なら情欲をかき立てられる女性だった。


「まあ、確かに君は女性としての魅力に溢れているが、今の俺にそれをどうこうする気はない。それに家にはシロを始め、多数の同居者がいる。別に部屋で同衾するわけでもないから、気にすることはない。第一、今の体力でそんなことをすればこちらが倒れてしまうよ」


 自嘲気味に言いやると、アルテミシアはなにを想像したのかまた赤面して口を閉じたり開いたりしていた。桃色の輝きが強くなった宝石を弄くり回して、うつむいて何事かを呟いている。そんな様子に溜息を一つ吐く。


「で、どうするんだ? なんなら俺が有馬の系列のホテルに話を通してもいい。それなら応対や連絡に不備はないだろうからな」


 アルテミシアへの疑いを解いていない由貴からすれば、目の届く所で監視しておきたかったが、いい加減疲労と空腹で面倒になってきていた。有馬のホテルなら手の者が多数働いているし、自宅に泊めるのとそう変わりはない。ようは、目を離さなければいいのだ。

 ようやく考えがまとまったのか、アルテミシアは何度か咳払いをしてこちらに視線を戻してきた。宝石の色は桃から白へと変わっている。


「いや、世話になろう。せっかくの好意を無下にするのは失礼だし、それに――」

「それに?」

「話でしか知らない御神楽の家屋というものに興味があったのだ。貴公の家は御神楽の方式で建てられているのだろう?」


 抑えられなかった好奇心が微笑となって漏れてくる。そういえば桂馬屋でも内装を物珍しげに眺めていたと由貴は思い出す。

 ただ、桂馬屋の埜々村式は家屋というよりは店子向きの作りだ。古き良き御神楽の家屋が見たいというのなら、由貴の家のような望月式に触れるのが一番だろう。


「本邸ではないから、そこまで形式にこだわった作りではないがな。まあ、来るというのならば歓迎するよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る