消えた屋敷

 雨が止んだのは、それから三日後のことだった。民宿の玄関を出た灼は、思いっきり深呼吸した。それまでの長雨が嘘のように、雲ひとつない空が広がっている。


「何日も足止めくらって、体が鈍った気がするな……」


 晴天の下、ぐいぐいと体を伸ばす。それから煙草に火を付けて、灼は車に乗り込んだ。雨が止んだことで、ようやく集落に行くことができる。


 今日は的形の屋敷へ赴き、カヤの供養をするのだ。


「……はぁ」


 シートベルトを装着しながら、助手席の夜一が肩を落とす。かなりテンションが低めだ。理由は、宿賃がかさんだから。


「過ぎたことを言ってもしょうがねぇだろ。天候なんて、どうしようもないんだから」


「……そうやけど。ガソリンは値上がりするし、光熱費も高い。食品も値上げラッシュが止まらへん。もうあかん。破産や」


 オーバーな奴だ。そもそも光熱費や、食品の値上げラッシュと今回のことは、無関係だと思うのだが。


「また仁川とか、他の相談者とか、小金持ち連中から相談料をふんだくれば良いだろ」


 庶民から金を毟り取ることはしない。これでも灼は善人なのだ。粗暴だが。


「……うちは明朗会計やもん」


「料金設定を変えればいいだろ」


「え?」


 夜一が顔を上げる。目の下のクマがひどい。せっかくの美貌が台無しだ。唯一の取柄なのに。


「便乗するんだよ」


 灼は、口の端を上げてニヤリと笑った。たぶん今、悪役ちっくな表情をしているのだろうなと、自分でも思う。


「……便乗、値上げ?」


「そう。どこもやってるだろ? 原材料費がかさんだとか、人件費が高騰してるとか、それっぽいこと言って。うちもやれば良いんじゃないか?」


「そ、そうかな……?」


 険しかった夜一の表情が、幾分和らぐ。


「事務所が潰れたら、困るヤツがいるだろ」


 幽霊とか、呪いとか。そういった類のモノが、確かに存在すると身を持って知った。だから、御影探偵事務所は必要な存在だと思うのだ。未だに、胡散臭せぇ……と、ドン引きすることもあるけれど。


 灼の助言を聞き、夜一はすっかり気を取り直したようだ。ボディバッグから電卓を取り出し、意気揚々と叩いている。


「二割くらい値上げしようかな。いや、この際やから景気よく、ぷわぁ~~っと三割ほど上げて……。そうなったら売り上げ的に、うん、うん! ええ感じやーー!」


 満面の笑みで、電卓をひしっと抱きしめている。確かにあったはずの目の下のクマは、どういうわけか消えていた。謎に肌ツヤが良くなっている。なんという単純な男なのだろう。


 横目で夜一を見ながら、灼は呆れかえった。


 山道に入ってからは、慎重にハンドルを握る。晴れているが、道の両脇は濡れていた。雨水が地層からしみ出しているのだ。しかし、それ以上の影響はなかったようで、無事に集落の入口にたどり着いた。


 村に足を踏み入れた瞬間、灼は思わず息を飲んだ。


「う、うそや……」


 夜一も、愕然としている。


 的形の屋敷が、土砂に埋もれていたのだ。


 裏山が崩れたらしい。母屋も、蔵も、あの立派な壁も、全てが土砂にまみれている。


 しかし、他の民家は被害を受けていない。的形の屋敷だけが、跡形もなく流されていた。


 土砂に足を取られながら、屋敷があった場所まで行く。ひどく、土の匂いがした。


「……カヤが消滅したことと、因果関係があると思うか?」


「分からへん。でも、的形の最後には相応しいのかもしれへん。ここにはもう、呪いは残ってない。わずかに思念が漂ってるだけや」


「カヤの思念か?」


 灼の問いに、夜一は首を振る。


「……違う。今、分かった。初めてこの集落に来たとき、おれが感じた気配。すごくイヤな感じやった。あれは、カヤちゃんの気配と違うかったんや」


 ゾッとするような、絡めとられるような。暗い場所から、いくつもの手が伸びてくるような感覚だったという。


「遺影を見たとき、なんですぐに気づかへんかったんやろう」


 夜一が感じたモノ。その正体は、仏間で見た的形の人間たちだった。


 遺影の目に、じいっと見られている感覚は、確かにあのとき灼も感じていた。


「……まずは、残った思念を祓う」


 そう言って、夜一は道具を取り出した。

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