思いを遂げる

 翌日になっても、天気は回復しなかった。雨の勢いは衰えない。


 新たに土砂崩れが発生して、また山道の一部が通行止めになったらしいと宿の主人が教えてくれた。幸いにも集落へ行くルートとは被っておらず、ひとまず安堵したのだが……。


「暇だな」


 灼は、悶々としながら煙草を吸った。事態が進展しないことに苛立ちが募る。


 夜一は、電卓をバチバチと叩いて思案している。


「事務所に戻られへんから、相談料が入ってこない~~! あれは立派な収入源やから、困ったなぁ。おまけに宿賃もかかるし……」


 経営者は大変だ。こういうとき、労働者で良かったと心の底から思う。


 寧々とカヤは、相変わらず仲良く遊んでいる。ついさっき、民宿の中を探検するのだと言って、二人で部屋を出ていった。さすがに手毬をつくのにも飽きたのだろう。


「同じ歌やのに、最初に聞いたのとイメージが違うねんなぁ」


 ふいに、夜一が言った。


「手毬唄のことか?」


「うん。ずいぶん物悲しい歌やなって思ってんけど。気づいたら、ぜんぜん違う印象になっててん」


 不思議やなぁ、と夜一は微笑む。


 夢の中で、自分も同じことを思った。……いや、違う。あれは、カヤの記憶だったのではないか。


「……夜一」


「うん?」


「昨夜、夢を見た」


「そうなん?」


「夢だけど、たぶん夢じゃない」


 夜一が、怪訝な顔になる。


「どういう意味?」 

 

 自分が見たことを夜一に話した。的形の人間に、辛くあたられていたこと。母屋に足を踏み入れることすら許されていなかったこと。蔵の中で暮らしていたこと。ずっと、寂しかったこと。


 夜一は、手の甲で涙を拭った。


「……可哀相になぁ」


「あの屋敷には、良い思い出がなさそうだった。それなのに、カヤは解体工事を妨害していただろ? 俺には、それが謎なんだよな」 


 嫌な記憶ごと、粉々にしてしまえば良かったのに。考えても分からない。もしかしたら、的形の人間をおびきよせるためか? 


 あの屋敷は、的形の人間を集めるための「箱」だったのだろうか。


「……待ってたんちゃうかな」


「的形の人間に、恨みを晴らすために?」


「最初は、そうやったかもしれへんけど。今はもう、恨みの感情は消えてる。そういう気配がないねん。たぶんやけど、一緒に遊んでくれるひとが来るのを待ってたんちゃうかな」


 灼から夢の話を聞いて、夜一はそう感じたらしい。


 二人でしんみりしていると、寧々が慌てた様子で部屋に入ってきた。カヤの姿はない。


 寧々が、一生懸命に何か言っている。ぱくぱくと口を動かしているが、もちろん灼には聞こえない。


「おい、何て言ってる!?」


 灼は夜一に問う。


「カヤちゃんが……」


「どうした? カヤが何だって?」


「急に、いなくなったんやって……」


 いなくなった? どういうことだ? 迷子? いや、幽霊が迷子になるはずがない。 


 灼は、ハッとした。もしかしたら、カヤは……。


「消えてもたんやって。一緒に遊んでたら『ありがとう』って言って。何回も何回も、寧々ちゃんに『ありがとう』って言って、笑って。それから、消えたんやって」


 消滅したのだ。


 思いを、遂げた。だからカヤはいなくなったのだ。そのことを強く認識した。おそらく、夜一も。


 あのカヤはもう、現世のどこにもいない。そのことを寧々に、伝えなければいけない。


 不安そうに、寧々の瞳が揺れる。


「ね、寧々。あのな……」


 どう言えばいい? どう伝えたら……。

 

 灼が逡巡していると、夜一が話し始めた。


「おれは、寧々ちゃんやカヤちゃんの気配が分かるねん。感じ取ることができる。カヤちゃんの気配は、ずっと『寂しい』やった。でもな、少しずつその『寂しい』が小さくなっていってん」


 夜一の声は、ひどく優しい。誰に話すときよりも穏やかだった。


「カヤちゃんには、ずっと叶えたい『願い』があってな。それは『寂しい』っていう気持ちが、心の中から消えることやってん。その『願い』が、やっと叶ってん。寧々ちゃんのおかげやで。寧々ちゃんの優しい気持ちが、あの子の『願い』を叶えてあげたんや」


 寧々は、ぎゅうっとかたく口を結んでいた。うつむいて、必死に耐えているようだった。けれど堪えきれず、ごしごしと目元を擦る。


「寧々ちゃんには、おれと灼くんがおるよ。ずっとそばにおるから、な?」

 

 夜一が、優しく寧々を励ます。


 しばらくすると、寧々の小さな頭が、こくんと上下した。思わず、灼は息を吐いた。


「……助かった」


 そう言って、夜一の肩を軽く叩いた。慰めたり、励ましたり。そういうことは不得手だ。


「灼くんは、口下手やもんな」


 夜一が上手すぎるのだと、言ってやりたかったが我慢する。


「できひん部分を補うのが、パートナーやもん。気にせんで良いよ」


「ただの雇い主と助手の関係じゃなかったのか?」


「主従関係は苦手やねん。そもそも灼くん、おれのこと呼び捨てにしてるやんか。それでよく、雇い主なんて言えるなぁ」


 呆れた様子で、夜一は肩をすくめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る