第35話 買収話         2025年10月13日(月)11時 

 北首汽車から技術やデザインの検討依頼が次から次に届き、BSコーポレーションは多忙を極めていた。

 藤堂は、BSコーポレーションの社長になり、最も強く感じたのは、北首汽車の開発投資予算の豊かさである。

 BSコーポレーションの運営資金は、100パーセント北首汽車が負担している。

 もちろん子会社とは言え、会社間取引なので、技術・デザイン開発費という名目で北首汽車に請求を起こし、その資金で固定費を負担するというビジネスモデルであった。

 従い、利益は少ないが、赤字になる事はない。

 それでも藤堂の給与を含めた全社員の給与、オフィスのレンタル費など毎月、巨額の開発費を請求しているが、北首汽車は一切細かい事は言わずに送金してきた。

藤堂は、このような状況から、中国の自動車メーカーの将来投資の積極性と失敗を恐れない勇敢さを感じた。

 ある日、会計事務所の高倉社長と法律事務所の許田社長が、藤堂に話があるといい、BSコーポレーションにやってきた。

 二人とも日本の苗字だが、もともとは中国人で現在は帰化している。

 二人の来社依頼は副社長の林が受けたので、四人で会議室に入った。

 会計事務所の高倉社長が口火を切った。

「藤堂さん、BSコーポレーションの会社経営、非常に順調の様ですね」

「そうですね。おかげ様で、皆な毎日忙しく、いきいきと仕事していますよ」

「まあ、もともとBSコーポレーションは利益を出さなくてよい会社ですが、日本の国税もうるさいので、今期は少し利益が出る様に、うちの事務所と林さんとで調整していますよ」

「そうですか。私は、財務領域は全くの素人ですので、林さんに任せっきりです」

藤堂は、笑顔で林の顔を見ながらそう言った。

「ところで藤堂さん、今日は少し込み入った話があって、法律事務所の許田さんと一緒に来ました。今から話す話は、極秘事項です。絶対に口外しないでください。情報が漏洩すると藤堂さん自身の身に危険が及ぶ可能性だってあります。まあ、藤堂さんは口が堅い人だという事は、北京浅田汽車の劉副総裁からも聞いていますので大丈夫だと思いますが」

「高倉さん、『身に危険が及ぶ』って、いったいどんな話ですか。あまり脅かさないでくださいよ」

「藤堂さん、実は、北首汽車は浅田自動車を買収します」

「えっ?何ですか、それ」

 藤堂は、かなりうろたえた。信じられない様な話であった。藤堂は再度聞き返した。

「一体どういう事ですか? なんで北首汽車が浅田自動車を買収するのですか?」

「藤堂さん、ご存じの様に浅田自動車には電動車を作る技術がありません。今は、北首汽車のOEM EVやPHEVを世界の各市場に導入して、CAFE規制をクリアし、何とか商売が出来ていますが、今後、もし、北首汽車がOEMの提供を止めたら浅田自動車は二年後には倒産します。浅田自動車は、もともとは、北首汽車のOEM車を一時的に導入して、時間を稼いで、その間に自社の電動車を開発する予定だったと思いますが、残念ながら全く技術が育っていない様です。電動車に必ず必要な電池でさえ、安価で調達できない様です。投資を惜しんで、バッテリー会社との提携を全く模索しなかったつけも回ってきているのでしょう。北首汽車は、そんな状況を知って浅田自動車に資本を入れて助けたいと思っています」

「高倉さん、きれいごとを私に言う必要はありません。つまり、北首汽車は、OEMを止めると脅して、資本注入して浅田自動車を支配しようとしているのですね」

「まあ、簡単に言うとそういう事です。まあ藤堂さんは浅田側ではなく北首側なので、きれい事を言う必要はなかったですね」

「それで、北首汽車の本当の狙いは何ですか?技術力が無い浅田自動車に巨額の資本を入れる本当の目的は?浅田のブランドですか?」

「藤堂さん、浅田自動車に、もはやブランド価値はありませんよ。業績がどんどん低下しているので、焦った経営陣は販売台数を確保する為に、全世界のディストリビューターに大値引きをさせて販売させています。もう以前の様な優良な浅田ブランドでは無いんです。それでも北首汽車が浅田自動車に出資する目的は三つあります。一つ目は、生産拠点です。2025年から欧州も米国も中国生産車への輸入関税を大幅に引き上げており、現地で競争力のある価格で販売する事が出来なくなっています。北京浅田汽車で生産しているOEM EVも関税が上がり、欧州やアセアンで販売に陰りが見え始めています。ですので、北首汽車は、浅田自動車の日本や米国やタイの工場で浅田ブランドのNEV(EVやPHEV)のみならず北首ブランドのNEVも生産し輸出したいと考えています。特に日本の工場は、日本人が勤勉で品質の良い製品を作る上、今や人件費も安いので魅力を感じています。二つ目はディーラーネットワークです。浅田自動車は全世界に優良のディーラーネットワークを持っています。北首汽車は、今後、輸出車を増やして、中国ブランドが受け入られる市場でEVやPHEVを売りたいと思っています。しかし、ディーラーネットワークを一から開拓するのは大変ですし時間もかかります。そこで、全世界の浅田自動車のディーラーで、北首汽車のクルマを併売させようと言う考えです。そうすれば、全世界のディーラーが、浅田ブランドマークと北首ブランドマークの二つ掲げてクルマを販売する事になります。きっとディーラーも喜ぶと思いますよ。北首汽車の電動車は価格を安く設定していますので、値引きをしなくても競争力があります。ディーラーは値引きしなければディーラーマージンをそのまま収入にする事が出来ます。三つ目は、浅田自動車が持っているエンジン技術が欲しいと思っています。浅田自動車のグリーンマックスエンジンは、ハイパワーで超低燃費の優れたエンジンです。特にディーゼルエンジンは素晴らしい。北首汽車は、将来、全世界でEV販売が頭打ちになり、PHEVやREEV(レンジエクステンダーEV)が主流になると予測しています。そうなった場合、やはりエンジンが必要なんです。優れたエンジンと優れた電動ユニットを組み合わせる必要があります。しかし、現在、北首汽車には優れたエンジンを作る技術はありません」

「そういう事ですか?それで、なぜ私にそんな大事な事を話すのですか?私は、もう浅田自動車とは関係ありませんよ」

「藤堂さんにBSコーポレーションの社長として協力して欲しい事があって、今日、ここに来ました。本当は、林さんから藤堂さんに言えば簡単に済む話ですが、重要な話なので、四人で一緒に話そうという事になりました。良く聞いて下さい。浅田自動車に出資するのは、BSコーポレーションです」

「えっ?どういう事ですか?BSコーポレーションが浅田自動車の株主になると?」

「そうです。浅田自動車の株式の33.4%を一気に取得します。既に、私の方で浅田自動車の海外株主から約20%の浅田株を売ってもらう約束は出来ています。あとの13.4%は浅田自動車に第三社割当増資をしてもらいます。TOBも考えましたが、今後の浅田との関係や世間の風当たりを考えるとTOBは得策でない。浅田自動車が納得してBSコーポレーションの資本参加を認めるという形にしたいと思っています」

「高倉さん、浅田自動車が10.3%の第三者割当増資をBSコーポレーションにすると思いますか?」

「すると思いますよ。というか、せざる得ないと思います。さっきも言った様に、浅田自動車は北首汽車の電動車技術がないと将来生きていけない。それは自分達でもわかっていると思います。おそらく、浅田自動車はメインバンクに助けを求めて泣きつくでしょうが、銀行だって昔とは違う。今の浅田自動車に巨額の投資や融資は出来ないと思います」

「なるほど。でもなんでBSコーポレーションが出資するのですか?北首汽車が直接、株主になればいいじゃないですか?」

「藤堂さん、この資本提携は、浅田自動車の為にも、北首汽車の為にも、目立たせたくないんです。中国国営企業の北首汽車が日本企業を買収したら、マスコミも面白おかしく書き立てるでしょう。日本人は中国が大嫌いだから、浅田ブランドにも傷がつく恐れがある。北首汽車は、浅田ブランドは残したいと思っています。だから、日本法人のBSコーポレーションが筆頭株主になり、北首汽車のメンバーを役員として送り込んで、会社を支配すればそれでいいと思っています」

「なるほど。しかし、BSコーポレーションに浅田株の33.4%を買う資金なんてありませんよね。どうするのですか?」

「既に、北首汽車がBSコーポレーションの増資計画を進めています。それから、今後、BSコーポレーションが北首汽車に提案する技術とデザインの料金が一桁か、二桁上がると思って下さい。国税対応等、色々とめんどくさい手続きがありますが、そこは私達もち屋に任せて頂きたいと思います。藤堂さんは、BSコーポレーションの社長として、林さんが持っていく書類にサインしてもらえばそれで結構です」

 この話を聞き、藤堂は非常に複雑な思いだった。

 浅田自動車は既に退職しているとはいえ、浅田自動車が違う会社に経営権を奪われる、乗っとられると考えるとすごく寂しい気持ちになった。

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