第8話 初KTV        2018年5月21日(月)20時半 

 「桜屋」を出ると、榎本総裁車が待っていた。両副総裁は、自分達の社用車は既に帰らせている様であった。

 従い、四人は榎本総裁車の高級ワンボックスカーに一緒に乗り込む事になった。

 藤堂は、どこに座って良いのか迷っていた。すると戸田が率先してセンターウォークスルーを使って3列目シートに乗り込み、今川は助手席のドアを開け乗り込んだ。総裁の榎本は、自分の指定席である2列目運転席後ろのキャプテンシートに乗り込んだので、藤堂は必然と2列目助手席後ろのシートに座る事になった。

 藤堂は、今川も戸田も気を遣っててくれたのだろうと思い、「スミマセン、本来、   私が助手席に乗るべきですよね」と謙虚に笑顔で言った。

 隣の榎本総裁は、藤堂が常識のある人間だという事がわかって安心したのか、笑顔で、「いいんですよ。今日は藤堂さんが主役なんですから、気にする必要ありません」と返した。

 クルマは、東三環道路を南に10分程走り、光華路を左折し、「京東」というKTVの前で止まった。

 榎本が先導し四人は店に入った。

 白いワイシャツに黒の蝶ネクタイをつけた男と鮮やかなグリーンのドレスを着た少しぽっちゃりした女性が出迎えた。

 藤堂は、その女性の対応から、榎本が事前に店に行く事を連絡しておいたのだろうと察した。

 また、その女性の雰囲気から、その女性がこの店のママさんである事が容易にわかった。

 ママは、満面の笑顔で、流暢な日本語で榎本に挨拶した。

「榎本さん、ニーハオ。お待ちしておりました。いつもありがとうございます。四人様ならいつもの部屋でよろしいですよね」

 榎本も嬉しそうに返した。

「いつもの部屋でいいよ。今日は四人だからね。今日は初めて中国に来た大切なゲストが居るんだ。ママ、女の子は居るよね?」

「メイウェンティダ(問題ありません)。もちろん大丈夫ですよ。榎本さん、今川さん、戸田さんはいつもの子でいいですよね。それで、そちらのシュワイガー(カッコいいお兄さん)には、女の子を選んでもらいましょう」

 始めて中国のKTVに来た藤堂にとっては、ママが時おり中国語を挟む事もあり、よく状況が掴めないでいた。

 廊下を歩くと左右に部屋があり、日本のカラオケボックスの様であった。

 ママと四人は一番奥の部屋に入った。部屋には、大きなグレーのL字型のソファ、テーブル、小さな円椅子が三個、大きなカラオケ用TVが配置されていた。シーバスリーガルのウイスキーボトルとグラスも既にテーブルに乗っており、ウイスキーボトルのネックには「榎本」と書かれたタグが掛かっていた。

 大きなソファに、奥から戸田、榎本、ママ、藤堂、今川の順で座った。この時も藤堂はどこに座るべきかわからなかったが、榎本がスマートに各人を誘導し、この順で座る事になった。榎本と藤堂がママを挟んで着席すると、榎本がママに藤堂を紹介し始めた。

「ママ、彼は藤堂さん。うちの会社の新しい開発部長だ。中国赴任は初めてだから、よろしく頼むよ」

「あら、そうですか?駐在員さんなんですね。それは大歓迎です。私は、てっきり、いつもの様に榎本さんが出張者を連れてきたのだと思っていました」

 藤堂は後から知ったが、駐在員は店の常連客になる可能性が高いので、一見の客である出張者よりも歓迎されるらしい。当然、ホステスも出張者よりも駐在員の方を好む。ママは、体の向きを藤堂の方向に変えて藤堂に挨拶した。

「藤堂さん、かおると申します。今後ともよろしくお願いしますね。それにしても、藤堂さんってカッコいいですよね。お世辞じゃありませんよ。きっと中国でもおモテになると思いますよ。でも、あまり悪い事しちゃダメですよ」

「かおるママ、よろしくお願いします。昨日、北京に来たばかりなんです。中国のKTVも初めて来ました」

 藤堂は勝手がわからなかったので謙虚にせざるを得なかった。

 そんなやり取りをしていると、先ほどの白シャツに黒蝶ネクタイのボーイ風の男が、部屋に入ってきて、ママに向かって、中国語で話かけた。

「ママ、女の子の用意が出来ました。今、部屋に入れてもいいですか?」

 ママは、すかさず「カーイダ(可以的)、OK」と大きな声で返事をした。

 すると、部屋の中に女性が七人ほどぞろぞろと入ってきて、部屋の中央に配置されていたカラオケ用大画面TVの前に並んだ。

 ママが藤堂に向かって言った。

「藤堂さん、どうぞ女の子を選んで下さい。どの子がいいですか?」

 女の子は、どの子も赤や青の原色のワンピースを着ていた。痩せている子、太っている子、背が高い子、背が低い子、笑顔の子、無表情の子とまちまちであった。藤堂はママに聞いた。

「ママ、全員、日本語を話せるのですか?」 

 すると、ママは、すかさず女の子達に向かって日本語で言った。

「日本語を話せる人は手を挙げて!」

 七人中五人が手を挙げた。残念ながら藤堂が一番可愛いと思っていた女の子は手を挙げていなかった。

 藤堂は、会話が出来ないのでは、仕方ないと思い、四人の中から一番笑顔が可愛い子を選んだ。

 選らばれた子は、嬉しそうに「シェシェニー(ありがとう)」と言って藤堂とママの間に座った。

 ママは、その子に藤堂が新たな駐在員である事を耳打ちしている様であった。

 戸田が、藤堂に向かって、「藤堂さんの好みは、こういう子ですか。」とニヤニヤしながら言った。

 藤堂は、「本当はもっと好みの子は居たが、その子は日本語が話せないので、仕方なくこの子にした」と言いたかったが、酒の席でそんなしらける事を言っても雰囲気を壊すだけなので、笑顔を戸田に返すだけにした。

 選ばれなかった六人が退室すると、別の三人の女の子が部屋に入ってきて、それぞれ榎本、戸田、今川の横に座った。

 三組の様子から、藤堂は、この三人の女の子が、先ほどママが言っていた「いつもの子」である事を知った。

 ママが、「ではごゆっくり」と言って退室した。

 藤堂は、自分が選んだ女の子に「水割り?」とウイスキーの飲み方を聞かれたので、「水割りで」とだけ答えた。

 戸田の女の子と藤堂の女の子が、協力して水割りを作った。

 その間に、榎本の女の子が部屋を出て行き、酎ハイの様なピンク色の缶を3つ抱えて戻ってきた。

 それは、榎本が女の子に「何か飲んだら?」と勧めたからである。

 三つの水割りが出来上がり、女の子の酎ハイもグラスに入ったところで、六人は一緒に乾杯をした。

 「ガンベイ!」、それは藤堂にとって初めての中国での中国語による乾杯であった。

 乾杯が終わると、藤堂の女の子は、藤堂に名刺を差し出し自己紹介をした。

 名刺は、店のオリジナルの名刺台紙に、名前と電話番号が手書きで書かれている物であった。

「婷婷(ティンティン)と申します。あなたは、何というお名前ですか?」

「藤堂と言います」

「どういう字ですか?」

 藤堂はテーブルの上にあった小さなメモ用紙に、テーブルの上にあったボールペンで自分の苗字を漢字で書いて、婷婷(ティンティン)に見せた。

 藤堂は、こういう店では、日本人と中国人の女の子が円滑なコミュニケーションが取れる様にテーブルの上に紙とペンが用意されているのだろうと思った。

 その苗字が書かれたメモを婷婷(ティンティン)が見ると、

「あなたの名前は中国語では、『テンタン』です。でも、ちょっと発音が難しいですね」と言った。

 藤堂は初めて自分の名前が中国語で何というのかを知った。

 藤堂は、婷婷(ティンティン)に、出身地や北京に出てきた理由、北京のKTV事情や料金システムなどを聞き時間を過ごした。婷婷(ティンティン)は中国の東北地方である吉林省長春で生まれ育った東北人だが、長春では仕事が見つからず友達と北京に出てきたとの事だった。

 北京のKTVは、ボトル代の他に、女の子個人にチップを最低三百元渡すシステムになっており、そのチップだけが女の子の収入になるとの事だった。

 藤堂は、緊張感が解けたところで、あらためて榎本、戸田、今川の三組の状況を確認した。 

 三組共とても楽しそうであった。

 榎本と戸田は、中国語はほとんど出来ない様で、女の子と日本語で会話していた。

 しかし、販売担当の今川だけは、女の子と完全に中国語で会話をしていた。

 藤堂は少し驚き、今川に向かって言った。

「今川さん、すごいですね。今川さんって中国語を話せるんですね」

 今川はニコニコしながら答えた。

「話せますよ。中国に居るんだから中国語を話さないと。だって、中国人は、頭の中で何かを考える時は中国語で思考しているんですよ。その思考に少しでも忠実にアクセスしようと思ったら、中国語を理解しないといけません。特に私は営業なので、普段、ディーラーの経営者やメディアの記者と話す機会が多いので中国語を覚えたんです。はっきり言って、中国語が出来るのと出来ないのでは、当社の中方やディーラーの経営者の対応も違ってきます。こいつは、ちょっと侮れないぞと思っていると思います」

「そうですか?どれぐらい勉強すると中国語を話せる様になるんですか?」

「まあ、その人の本気度にもよると思いますよ。二年で習得する留学生の様な若者もいれば、私の様に五年かかったおじさんもいる。でも、ひとつアドバイスするなら、目標を決める事です。目標が無くてだらだら勉強しても上達しません。私の場合は、HSKという中国語標準テストの一番上の六級を三年で合格する事を目標にして勉強していました。でも、仕事が販売なので、土日も忙しくてなかなか時間が取れないじゃないですか。正直、大学受験の時よりも集中して勉強したかもしれません」

 藤堂は、この今川の話を聞き心から感服した。

 そして、今川は続けて藤堂に言った。

「藤堂さん、中国語を話せるともう一つメリットがありますよ。僕の隣の女の子を見てください。この子は、日本語を全く話せません。でも、とても可愛いでしょ」

藤堂は、既に気づいていた。確かに今川の女の子は、自分が選んだ婷婷(ティンティン)よりも、榎本や戸田についている女の子よりも、群を抜いて可愛かった。

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