お客様が神様と仰るなら
広川朔二
お客様が神様と仰るなら
「この時間帯、またあの人来るかもです……」
控えめな声でそう呟いたのは、ホール担当のアルバイト・吉澤遥だった。まだ二十歳そこそこの彼女は、エプロンの裾をぎゅっと握りしめ、カウンターの内側から出たがらない。
午後八時四十分。ラストオーダーまで、あと二十分。
佐々木陽人は時計を見てから、穏やかな笑顔を保ったまま、遥の側で立っていた。
「大丈夫。僕が対応するから、気にしなくていいよ」
その声色は、まるで春先のぬるい風のように優しかった。遥はわずかに頷き、レジ横へと身を引く。
モール内のカフェ『デライト成田店』。佐々木陽人はこの店に、本部からの「接客品質改善アドバイザー」として派遣されてきて、今日で一週間になる。
接客の技術、スタッフ教育、そしてクレーム対応──すべてが陽人の仕事だった。それらをそつなくこなす彼が最も得意としていることは、“観察”だった。
入り口の自動ドアが、重たい音を立てて開いた。
男が一人、足を引きずるようにして入ってくる。ハンチング帽にウールのジャケット、くたびれた皮のショルダーバッグを下げている。
「いらっしゃいませ」
陽人が軽く頭を下げると、男──安西修は無視してズカズカと店内へ入ってきた。座るのはいつも決まっている。入口から一番見える、壁際の四人席。
「ったく、狭い席ばっかり通しやがって。俺の身体のサイズ見りゃわかるだろ」
独り言のような文句を口にしながら、ドスンと椅子に腰を落とす。誰も何も言っていないのに。
陽人はメニューを持って近づきながら、目を細めた。
「いつもご利用ありがとうございます。本日は何をお召し上がりになりますか?」
「……お、今日は初顔か? 新入りか?」
安西は陽人の顔をまじまじと見て、ニヤリと口角を吊り上げた。
「じゃあアレだ。ミートソースのパスタ、唐辛子多めで。あとソースは多め、麺は硬め、でも焦がすなよ。ドリンクはアイスコーヒー、氷抜き。もちろんセット価格な」
その注文は、メニューに一切記載のないカスタムだった。
「申し訳ありません。現在、ミートソースの提供は十八時半までとなっておりまして──」
「はぁ? お客様に向かって“できません”? あんた、教育なってないねえ?お客様は神様なんだよ、わかるか?」
安西の声が一気に大きくなる。
視界の端に映る遥がビクリと肩をすくめるのが見えた。陽人は変わらぬ笑顔で頷いた。
「少々、お時間いただければ……厨房に確認してまいります」
「最初からそう言えばいいんだよ。ほんっと最近の若い奴は、使えねぇな」
安西はそう言って、無遠慮に机にスマホを置き、動画アプリの録画を始めた。
──記録するつもりだ。スタッフの“落ち度”を。
陽人は厨房に戻るふりをして、バックヤードの棚に貼られたメモをそっと確認する。そこには、こう書かれていた。
『安西修:週一から三回来店。要注意。女性スタッフに執拗。SNS晒し・クレーム多発』
記された日付は、二か月前から続いていた。
(……なるほど。あれが実物か。お客様は神様だなんて戯言を妄信してやまない愚かな男)
陽人はそっとポケットから、自分のスマホを取り出した。
画面には、店舗から連絡を受けて事前に作っていたファイルが開かれている。
──「case.03:安西修」
──写真、SNSアカウント、クレーム履歴、位置情報、裏アカ。
彼の笑顔が、ごくわずかに歪んだ。
「……ようこそ、お客様。お望み通り、特別な“ご対応”をいたしますよ」
次に安西が店に現れたのは、三日後の昼過ぎだった。
「アイスコーヒー、今日も氷抜き。あとでホットにしないようにな」
自分で笑っている。ウケているのは自分だけ。注文というより、呪詛に近い呟きだ。
陽人はカウンター奥からそっと様子を伺い、店長の山田に視線を送った。
「……今日も、出ましたね」
山田は小声で言った。疲れ切った表情。スタッフの誰も、安西のテーブルには近づこうとしない。陽人が代わりに動いた。
「いつもありがとうございます。アイスコーヒー氷抜きで、お間違いないですね」
「おう。で? 今日は誰が持ってくるんだ? あの子、ほら。前に“土下座すれば済む話”って言ったら泣いた子。名前なんて言ったかな?」
陽人は笑顔のまま、少しだけ瞳の奥を冷やした。
「本日は私がご案内いたします。ごゆっくりどうぞ」
彼のお気に入り、吉澤遥が接客につかないことに対する腹いせなのか、それからの数日、安西は連日やってきた。
・持ち帰り商品を開けて注文通りの商品に対し「中身が違う」とクレーム
・他の接客対応をしていた女性スタッフに「敬語のトーンが冷たい」と怒鳴る
・スタッフの名前をメモし、スマホで動画撮影
・「本社に電話するからな」と毎回脅す
・会計時に店の売上や接客について長々と説教
厄介なのは、「店の為に注意してやっている」という彼の態度。明らかな迷惑行為なのだが「俺はこの店が好きだから言ってやってるんだよ」「改善点を教えてやってんの。サービス向上だよ? わかってないなぁ」と言われてしまえば対応していたスタッフは強く出ることが出来なかった。
陽人は、平身低頭安西へ対応した。その彼の態度で安西が調子に乗り、さらに横柄になっていくのにも関わらず。
ただ静かに、記録していく。
──スマホには、安西の言動をまとめたメモが日付入りで並び、動画データや音声データが蓄積されていった。
その日の閉店後、バックヤードのスタッフルームで、陽人はノートパソコンを開いた。
「……さて、そろそろ“次の段階”か」
打ち込んでいたのは、独自に立ち上げた匿名情報収集サイトの管理画面。
「#迷惑客リスト」「#晒し系クレーマー」とタグをつけて、全国の同業者から届いた情報を精査していた。
安西の名前も、すでに複数の店舗で確認済みで近隣の店舗からは出入り禁止処分を受けていた。
「一年以内にこの範囲を渡り歩いてる。時間帯は午後から夜が多い」
陽人はつぶやきながら、マップ上に安西の“巡回ルート”を打ち込む。ピンが赤く点滅し、線が浮かび上がる。
(……生活圏も行動パターンも、予測できる)
手元のスマートフォンで開いたSNSには安西の裏アカウントが表示されている。
──「@shuzo?_landlord」
──プロフィール:『不動産業・地元飲食応援中。モラルを守ろう!我こそが日本の接客を守る神である』
フォロワー数十人のアカウント。その投稿には飲食店での“接客批判”、従業員の制服姿(顔なし)、無断撮影動画が並んでいた。そんな彼の投稿は“通報用の資料”として、全て保存済みだ。
「──もう十分かな。そろそろ“やる”か。証拠は揃ったし、あとは世間が勝手に動いてくれる」
・安西のSNSアカウントのログ履歴
・迷惑行為の動画
・被害を受けた他店の証言まとめ
・不法録音・無断撮影の法的問題点
・女性スタッフが受けた精神的被害の記録
陽人はマウスをクリックした。画面上に、アップロード完了の通知が出る。
──匿名のSNSアカウントから、安西の“迷惑行為ダイジェスト映像”が投稿されたのは、そのすぐのことだった。
《#カスハラ #晒し系クレーマー #特定班すごい》
──『これは酷すぎる……飲食店で女性スタッフを恫喝する男の正体とは?』
SNSに投稿された一本の動画が、日曜の夜から月曜の朝にかけて急速に拡散された。
無断撮影された動画には、あの笑顔で皮肉を並べる安西の顔と声が、はっきりと映っていた。
「こっちは客だぞ」「土下座すればいいって言ってんだよ」──音声も鮮明だ。
安西の裏アカ「@shuzo?_landlord」も瞬く間に特定され、過去に上げていた“接客批判動画”も掘り返されていく。時間とともに増えていく登録者。
「この人、うちの店にも来て同じことしてた」
「名ばかり不動産業って聞いた」
「動画に映ってる制服、これ○○チェーンじゃん」
「やべぇ、こいつガチのモンスターだ」
翌日の昼過ぎには、ネットニュースにも取り上げられた。
そして、さらに次の日の午後。安西は、カフェ・デライト成田店に、いつものように現れた。
いつもと同様に、いや、いつも以上に機嫌の悪そうな安西。
「……なんだよ、誰も来ねぇのか? あ?」
その様子にホールは静まり返っていた。スタッフは全員、バックヤードに避難している。
出てきたのは、陽人一人だった。静かに、お冷をテーブルに置く。
「本日はあいにく、他スタッフが体調不良でして」
「それよりさ……お前。なんか知らねぇけど、変な動画が出回ってんだよ」
安西はスマホを叩きつけるようにテーブルに置いた。画面には、自分の顔が映っている。
「これ、誰だ? お前らか? 本部に言うぞ? 名誉毀損だぞ?」
陽人は、やわらかい笑みを浮かべたまま、答えた。
「私どもは、そのような動画をアップロードしておりません。ただ……内容をご覧になったうえで、どうお感じになりましたか?」
「ふざけんな。こういうのって、営業妨害だろ? 俺の顔勝手に使って、誹謗中傷だぞ? 法的に……」
「当店に法的な瑕疵があるようでしたら、法廷でのお話とさせていただきます。お望みでしたら当社の顧問弁護士に連絡いたしましょうか。もちろん、あなたの撮影行為に関しても含めて、ですが」
一瞬、安西の顔が固まる。
「──なんだよ、脅しか?」
「いいえ。ご説明です。お客様の撮影行為は、スタッフの同意を得ずに行われており、かつSNSへの投稿が確認されています。肖像権とプライバシーの侵害に該当する可能性があります」
「証拠がねぇだろ、そんなもん──」
陽人はポケットからスマホを取り出し、画面を見せた。そこには、安西の裏アカウントと投稿履歴、日時、IPアドレス情報などがまとめられていた。
「すでに開示請求が進んでいます」
「……あ?」
「ご自身が、どれほどの“足跡”を残してきたか──お気づきではなかったようですね」
陽人の声は、氷のように冷たいが、決して怒気を含んでいない。ただ、正確に、淡々と事実だけを突きつけている。
安西は立ち上がった。大きな声を出そうとしたその時──。
「うわ、本人じゃん」
「マジで来てる……やば」
「晒し系クレーマー、リアルで遭遇するとは……」
周囲のテーブルの客たちが、スマホを構えていた。さっきまで静かだったホールは、まるで劇場のようになっていた。
安西が、店を飛び出すのに、時間はかからなかった。
その日の夜、陽人は静かに報告メールを打っていた。
件名:【対応完了報告】迷惑客・安西修に関する件
本日、安西修が当店に来店。これまでの記録に基づき、外部リーガルチームおよびSNS監視チームの支援のもと対応を実施。 動画拡散、裏アカ特定、口コミ誘導により、店舗スタッフのメンタル負荷は著しく軽減。再来店リスクは低下済。 今後、他店舗への波及防止のための事例共有・注意喚起を行う。
──陽人は、決して正義の味方ではない。
ただ、理不尽に泣くスタッフのため、徹底して“観察し、記録し、仕掛ける”。二度と同じ間違いが起きないように。その後の相手のことなどは関係ない。
今日も一人、お客様は神様だと豪語する愚かな“神”を人間の座に引きずり下ろした。
「いやぁ、ついに会社にもバレちゃってさ。全然笑えねぇよ……」
安西修は、薄暗いスナックのカウンターで酒を煽っていた。
スーツはしわだらけ。ネクタイはゆるみ、顔はやつれている。
あの自信満々な笑みはどこにもなく、スマホを握る手は、ずっと震えていた。
SNSでの炎上からわずか三日──
社名もネット上に流出し、勤務先に苦情の電話が殺到。
管理していた不動産物件のオーナーからは一斉に契約解除を申し出られ、実質“業界追放”となった。
「俺はただ、マナーを正してただけなのに……」
そう呟くが、自分の声にも説得力がないことはわかっている。
手元のスマホはすでに通知が止まらず、弁明した投稿は罵倒や皮肉のコメントで埋まっていた。
《自業自得》
《まだ被害者ぶってるの草》
《やっと地獄に落ちたか“神様”》
──神様、というあだ名は、皮肉として定着してしまった。
一方その頃、カフェ・デライト某店舗。
陽人は新しく入ったバイトの研修をしていた。
明るく元気な学生が、緊張しながらも一生懸命に接客の練習をしている。
「笑顔は、まず口よりも目に出ます。お客様の目を見ることを意識してみましょう」
そう言って優しく微笑む陽人は、まるで“理想的な接客指導者”のようだった。
裏では──今日も、自作のデータベースにひっそりとアクセスしていた。
彼がクリックしたのは【追放顧客リスト】というタイトルのファイル。
そこには、これまでの“迷惑客”たちの行動パターン、記録、対応履歴が丁寧に蓄積されている。
そして、新しく加わった一つの項目:
● Case No.27 安西 修(あんざい・しゅう)
状況:SNS上で社会的信用喪失・業界追放確認済
再来店リスク:ゼロ
彼の観察は続いている。
誰も気づかないところで、
理不尽を“記録”し、“裁く”者として──。
お客様が神様と仰るなら 広川朔二 @sakuji_h
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